2/34 彼女を織りなしたもの(エルシオ視点)
ついさっき。姉上は言った。『私の真似をしてもエルは私にはなれないよ』と。そんなつもりはなかったけれど、彼女より強い人を知らなかった僕は、知らないうちにそう在ろうとしていたのかもしれない。
でも彼女にも、『過去』はあって。
姉上と僕はきっと似ていた。まるで必然だったかのように似ていて、けれど決定的に違うのは『それ』を彼女がすでに飲み下し乗り越えて笑えていること。
姉上は規格外な人だ。でも、最初からそうだったわけがないとなぜ思わなかったんだろう。
……あの日、姉上の事を知りたくて、わがままを言った。時間をもらった姉上の専属侍女。『少し昔』の話を聞いた。『わたくしも侍女長から伺ったお話です』とメリィは言ったけれど。穏やかな昼下がりの中庭で。
嘗て人見知りで公爵夫妻に溺愛されていたと風のうわさで聞いた少女。その印象とまったく違うと、初めて出会ったときに思った。まあその後の覆された印象が強すぎてそんな噂忘れていたけど。
『以前のお嬢様の噂をお聞きになったことはありませんか。人見知りですとか、公爵夫妻に溺愛されていらっしゃったとか。……全て事実なのですよ。少し対応に困るくらいの人見知りで、知らないお客様の前に出ればそのまま意識を失ってしまわれたことすらあったそうです。今のお嬢様からは想像もつかないと思いませんか』
メリィはそうして苦笑した。けれどどこか懐かしげな表情で。
驚いた。本当に、今の姉上とは似ても似つかない。人見知りどころか大人を掌の上でコロッコロ転がしてるし。人見知りが過ぎて意識を失うなんて、王子からの手紙を完全に無視する神経の持ち主がするだろうか。いや、絶対しないだろう。
でもメリィの声に、嘘は感じなかった。
『……望まれるわがままも幼くていらして。旦那様と奥様がご健在だったころのお嬢様は小さな箱庭のお姫さまでした。そんなお嬢様のお近くに侍る使用人は、あまりいなかったのです。正確に言うのならば長続きしなかったのだそうです。……小さなお姫様のわがままは、台風のようでしたから』
ふふ、と笑った彼女。まあ貴族の子女にはままあることですよ、と。かつてのお嬢様は少々度が過ぎているところもありましたが、と。笑い事だろうか? それが事実なら姉上に何が起こって今の姉上が出来上がったのだろう。
……アッケンバーグ伯爵家は子供が一人ではなかったし、ランスリー公爵家ほどに財もなしていなかった。だからそういう面で、甘やかされ過ぎる、ということは実兄や実姉に対してもなかったはずだ。それでも『貴族』というステータスに自分を他人より『上』だと思っていたところは少なからずある。そのヒエラルキーの最下層に僕がいたことを、知っている。
つまりはそういった『上』だと自分を思って行動していた、ということなのだろうか、かつての姉上は?
そう聞いてみた。けれど。
『……おそらくは、異なるのだと思います』
返って来たのは眉を下げた複雑そうな顔、そして声。
『お嬢様がそう振る舞うようになられたのにはきっかけがあったのだそうです。わたくしは三か月しか、そのようなお嬢様のお姿を見てはいません。ですから『それ』を事実として見たわけではないのですが』
そう前置きして、メリィは深く息を吸い込んだ。
『――お嬢様は膨大な魔力をお持ちです。歴代のランスリー家当主のそれをはるかにしのぐと言われています。……今よりももっと幼かったころ、お嬢様はその魔力を制御できなかった。いいえ、今のようなお嬢様になられる前までは魔力抑制の魔道具をつけていらっしゃいましたから、ずっとできなかったのかもしれません』
『え……』
それこそ寝耳に水。だってその状況は。
同じではない。むしろ真逆で、でも似ていると、確かに思った。
手にしているのに行使できないその惨めさにうつむいていた、かつての自分に。
拳をぎゅうっと握りしめる。息がつまるような時間。沈黙はメリィが言いよどんで生まれたものだ。話していいのか迷うような、話すべきではない事柄をそれでも隠すことができないでいるような。
触れてはいけないのかもしれない。ぶしつけできっと無神経だ。
でも、それでも、僕は。
メリィはひどく、ひどく躊躇って、けれど意を決したように顔をあげた。
『……魔力が暴走して、一人のメイドに……一生消えないと医師が診断するような傷を、つけてしまったことがあるそうです』
囁くような、声だった。
ああだから。
――『――それ以上は、駄目だよ、エル』
あの時僕を止めたあなたは、きっとその後悔と痛みを、知っていたのだ。