10/105 あるいは、強者であるがゆえの怠惰
エーが罪悪感などありませんとばかりに笑顔で言ったものだから、ジル達はそのまま凍り付いたように動かなくなった。
『この阿呆! それでは誤解されるであろうが!』
『痛い! ルー兄、痛い!』
ギリギリギリギリとエーのほほをルーが引っ張る。私に助けを求めるかのような視線を送ってくるが、スルーした。あの子は『言わなくていいことは黙っておく』という芸当をそろそろ習得するべきであるし、相変わらず致命的に説明が足りない。
「ちょ……っと、待ってください。シャロン。……え? あれが創造主ですか? ルーヴィー様ではなく?」
『残念ながらそうね』
再起動したジルが頭を抱えている。私の返答にさらに頭を抱えていた。エーのことをごく自然に『アレ』扱いしている様子から困惑の深さが伝わってくる。
「え? ……ええ? でも、シャロン。『管理者』はルーヴィー様なんだよね? それって何が違うの? それに『青教』も、教義から考えても、エイヴァ君じゃなくてルーヴィー様のお姿が伝わった結果できたものだよね?」
そしてエルもまた、深い困惑に躊躇いながらそう問うてきた。
『そうね。『青』はルーの色だもの。……そこはちょっといろいろとあったのよね。とりあえず、『創造主』は世界を作り出した者、いわば親で、『管理者』は世界を育てて見守っている者、いわば乳母、くらいに思っておいて』
私の答えに、エルどころかこの場の全員が、あれが親……? という目でエーを見たが、エーは未だ絶賛ルーにシメられ中だったために気づくことはなかった。ふっと私は笑って、パンっと柏手を打つ。注目が私に戻った。
『さて、エーの言葉足らずを捕捉しつつ、現状まで説明するわね。まず、重要なのは『この世界の創造主はエイヴァ』だということ、けれど『今の管理者はルーヴィー』だということ、そして……『この世界は歪みによって崩壊寸前』だってことよ』
「は? 結局滅びるのか?」
驚きすぎて感情をそぎ落としたかのような声で国王様がこぼした。その結論は早とちりだ。
『当然放置すれば崩壊一直線よ。でも、そうさせないために、私たちが動いてきたの』
そもそも、と私は続ける、
『『世界』って何だと思う? はい、小夏』
『え? えっ!? えっと、あたしたちが生きている場所? 空間? あ、えっと、次元!? はっ、地球!』
突如指名された小夏があわあわと答えるが、私はにこりと笑顔を返す。小夏は私を拝んだ。……そういう反応は求めていない。
『そうね。おおむねその認識でいいと思うわ。でもね、私たち神様にとっての『世界』は意味合いが違うの。そして大雑把に分けて三種類あるわ』
「さんしゅるい」
『三種類。『領域』、『箱庭』、そして『方舟』』
私が列挙すれば、ルーがうなずく。
『うむ。『領域』とは、今いるこの空間のようなものであるな。ざっくりいうと……自宅か』
『そうね、自宅ね』
『なるほど! 自宅だな!』
私たち三姉弟はわかりあったが、エルたちは「え? これが自宅なの?」と如実に表情に出しながら天井のない頭上を見上げていた。だが私の領域は比較的普通である。神によっては自宅なのに己の限界に挑戦しているとしか思えないとんでも領域を作る輩もいるからね。
『それで言うと『箱庭』は別荘のような感じか? ルー兄』
『そうだな、エー。神によって扱いはかなり違うが……決闘場扱いしたり実験場扱いしたりガラクタ置き場にしたりな』
うんうん、とうなずきあう二人に、ふむ、とジルが顎に手を当てて考えつつ発言する。
「つまり、ご自宅の延長のようなもの、だと? と、言うことは、そちらも我々のようないわゆる『人間』は簡単に踏み入ることができない場所なのでしょうか」
『そうね。『箱庭』は、私もいくつか所有しているけれど……そう称される世界に共通しているのは、知的生命体の不存在よ』
例えば、ただ美しい自然と愛らしい動物しかいない世界。あるいは、何もかも凍り付く氷河。あるいは幾何学模様で構成された場所。あるいは無重力空間にただきらめきが舞う。そんな、決して発展することのない、未来の分岐が生まれ得ない、想定外が起こりえない世界。停滞を常とした世界を指して『箱庭』と呼ぶのだ。
「では、……『方舟』と呼ばれるのが、私たちが生きているような世界のことなのですね」
そう言ったジルに、私たちは笑った。
『方舟』。知的生命体――例えば『人間』のような、自律思考もち、自ら発展をしていく生き物の住まう世界。彼らは時に争い、時に手を取り合い、感情豊かに、変化に富み、愚かにも賢しくもなれる生き物だ。滅び、学び、再生し、また滅び、それでも蘇る。分岐する数多の未来を作り出す。
初めに生み出した『方舟』は小さく稚拙だった。長い長い時の中で神力を薄れさせた者たちの住処として作った場所。けれどそれは思いがけず営みを、発展を、変化を、不確定的未来を生んだ。彼らはやがて神であったことを忘れたが、代わりに手を取り合うことを覚えた。
神々はそれを、愛おしんだのだ。
『『方舟』を愛おしんだがゆえに、あの事件が起こったのだけどね』
『方舟』について説明をしつつ、うふふ、と笑ってそう付け足すと、「不穏なことを言いだしたよ……?」とおののかれた。仕方がない。これから私たちは、不穏な話をするのである。
そもそも、一つの世界が滅びに瀕する話であるうえ、最初の三柱全員がかかわっているという現状、不穏じゃないことなどないと私は思うし、この意見には全神が賛同すると思う。
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昔。私たちからしても、気が遠くなるほどに昔のことだ。神も死ぬ。あるいは消える。それは、原初である父も同じだった。もしくはそれは還元と呼ぶべきものなのかもしれない。死と呼ぶには穏やかであり、緩やかであり、『終わり』とは言い難く、そして絶望ではなかった。
彼のそれは、死をも司る原初であるからこそだったのかもしれないけれど。
いずれにせよ、その時が来ることを私たちは知っていた。原初が融け征くことを、消えゆくことを、あるいは眠るようにすべてに同化してゆくことを知っていた。
嘆きはしない。それは来るべき事象だと知っていたから。寂寥感は覚えた。それでも引き留めようとは思わなかった。原初たる父は、二度と私たちの前に姿を現すことはなくとも、与えられたものが、過ごしたこれまでが、露と喪われるわけではないのだから。
そして、そんな偉大なる父の後を継ぐのは、私たちだということも、知っていたし、わかっていた。
だから私たちは、神々のよりどころにならねばならなかった。中心であらねばならなかった。絶対でなければならなかった。すべてを手にするがゆえに私たちは、……そう、神々の『親』たるものらでなければならなかったのだ。
最初の三柱。そう呼ばれた。そう在った。
けれど、原初たる父から受け継ぐべきものは多く、重かった。奔走し、奮闘し、尽力し、修めた。けれどその分、おろそかにしたものがあったのだろう。
三柱、いつも一緒だったとは言わない。むしろ私とエーは勝手気ままに動くことの方が多く、間に挟まれるルーが苦労をしていたものだ。
けれど、三人そろってお父様に振り回されてため息をつきあうことも少なくはなかった。ともに同じ世界に集まり語らったり、創造をしたり、再生をしたり、新たな力を見せ合ったり、……そんなことが、ふと気づけば何億年も、何京年もなかったのだ。
神の時間は長い。人には測れないほどに。神は時間を操る。隔たれた空間に閉じこもれば、自分以外の神々の時間から取り残されることもある。
私たちは、そうして互いにすれ違ったのだ。