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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第十章 世界の全て
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10/99 顕現(エルシオ視点)


 息すらはばかられるような静寂だった。僕は、いやジルファイス殿下も、ドレーク卿も、動き出そうとしていたアッケンバーグの二人も、そのほかの騎士や魔術師たちも、残らず腰を抜かして座り込んでいた。


 白い繭がはがれて姿を現した人。シャロンのはずだった。確かにシャロンだ。だけど。


(本当に、シャロンなの?)


 風もないのにゆらゆらとなびく髪は膝裏どころかくるぶしも通り越して、空中に毛先が溶け込んでいるように見える。色は黒。黒だと思う。けれど揺らめきながら光を受けて七色の輝きを放っていた。


 纏う服は先程までの騎士服じゃない。夜を閉じ込めたような漆黒のドレスだ。そして整いすぎた白く小さな顔。閉じられた瞼がゆっくりと開かれる。開かれて、そして、その瞳がアメジストではなかったことに、めまいがするほどの動揺を覚えた。


 星の輝きを映しているような美しい瞳。金色にも銀色にも見えるそれ。


 シャロンは美しい。作り物のように美しい人だ。けれどそれでも、シャロンは人間だったのだと思った。今、目の前の存在は確かにシャロンの面影を残しているのに、無機質で、完璧すぎる容貌だった。


 それそのものが『芸術』。存在そのものが『美』の体現。表現する言葉が見つからないほどに。


(いったい、何が、)


 きっかけはわかる。ベルキス将軍の言葉。彼は言った。


 『貴様の親の骨を喰らったように! お前も殺してわが血肉にすれば!』と。


 それが、シャロンの魔力をベルキス将軍自身で操れた理由なのだろう。親子の魔力の質は似ている。先ほども盾型収納魔道具と魔道人形で、意図せず共鳴を起こしていた。アドルフ様・ルイーズ様の遺骨を体内に取り込み、それを媒介にシャロンの魔力を使っていたのだ。遺骨を喰らうなどという狂気の沙汰を実行したのは、おそらくはベルキス将軍自身の魔力の増強のためでもあったのだろう。


 妄執。魔力至上主義。……何度でも思う。ベルキス・アセス・ウロム・ヴァルキアは、狂っていると。


 そしてそれは、シャロンの逆鱗に触れたのだ。でも、だけど。彼女のあの姿は――?


「ああ、そうか。思い出した。我は、『×××(永遠)』なのだ」


 一秒が一年にも感じそうなほどの静寂のなか、シャロン以外にたった一人、たった一人だけ、この場に自分の足で立っていたエイヴァ君がつぶやいたのだ。彼はシャロンを見上げ、目を限界まで見開いている。


 けれど彼の言葉を僕がきちんと理解する前に、空中でゆっくりと、シャロンが一歩、踏み出した。ぐわり、と、世界が揺れた気がした。違う、揺れていない。ゆがんでもいない。僕らは無事だった。ただ、色を失い、音を失って、世界そのものがたわんだ気がした。モザイク画のようにズレてゆく。霞んでいく。否、つくりかえられていくような。森が、地面が、空が、大気が、川も、はるか向こうの山も海すらも、何もかも。歪み、崩れ、――シャロンにひれ伏すように。


 その中で僕らだけは無事だった。ヴァルキア帝国軍はおろか、メイソード王国軍の人々すら、全てが地に伏し、意識を飛ばし、その姿かたちすら曖昧になっていくのに。


 ああ、僕らは護られているのだと、知った。


「なに、か、ご存じなのですか、エイヴァ」


 苦しそうに、絞り出すように、ジルファイス殿下が言った。あんなに震えた声は、初めて聴いた気がする。


「××××姉上がお怒りなのだ。この世界は滅ぶかもしれんな」


 平然と言う、エイヴァ君。聞き取れなかった言葉は、名前だろうか。『姉上』。『姉』。エイヴァ君の? でも、シャロンを見て言っているようだ。シャロンは僕の姉上だよ?


 そんな混乱の中、さらに一歩、シャロンが進む。ベルキス将軍にむかって。おそらく、あれがベルキス将軍だったもの(・・・・・)だろう。ゆがんでブレて、判別はもうつかない。だけどそこにむかっていると思う。多分、あえて、ゆっくり、向かっている。ベルキス将軍と思しきものは、意識を保っているようだから。


『だから口を閉じろといったのに。……ねえ?』


 声が聞こえた。声というよりは、意志、だろうか。凍えるほどに冷たくて、感情なんてないような無機質さで、でもわけもなく許しを請いたくなる怒りが籠っているとわかる。


 ……僕じゃない。あれを向けられたのは僕らじゃない。むしろ、僕らは守られている。傷つかないよう、損なわれないよう、大切に大切に守護されている。


 それでもまぎれもない恐怖で涙が流れた。


「ほろ、ぼす……? シャロン、が? この、世界、を?」

「うむ。終わらぬ責め苦の中で永劫にもがき苦しむことになるだろう、あの人間は。姉上のことだから、あれに連らなるすべてを消すだろうから、ついでに世界も滅びそうだ」


 僕の切れ切れの言葉に、エイヴァ君は答える。先ほどまで、後悔をしていた姿が幻のようになんでもないことのように。


「とめ、とめないと、きみだって、」

「ん? 姉上が大事にしているものの中に我の大事なものも入っているからな。別に、他はいい。それに我と違って、姉上の力で滅ぶなら、あの人間と連なるもの以外は安らかに終わり、無事輪廻にのるだろう。むしろ魂の格すら上がるかもしれん。姉上の力は『否定』や『剥奪』だけではないのだ。母の腕に還る赤子のごとき安寧をもたらす。あの人は『(ことわり)』そのものなのだ」


 泰然と語る、彼は一体何なのだろう。その言葉の半分の理解できなかった。彼は、何を、『思い出した』のだろう。


 涙でぐちゃぐちゃの顔で、シャロンを見る。ゆっくり、彼女は進んでいる。七色に黒髪がなびき、煌めき、すっかりと雲が消え去った空は彼女を祝福するように光を降り注がせる。まるで神話のような光景。


 きっと、このままここで何もしなくても、僕らは無事だ。僕らはシャロンに守られているから。そしてシャロンは後悔しない。大事なものだけ大事にできればそれでいい人だから。その他のことは気にかけないわけではないけれど、いつでも切り捨ててしまえるのがシャロンだから。


 でも、それでも、僕は彼女を止めたいんだ。シャロンのためだなんていわない。僕のために、彼女を止めたい。ままならない事ばかりの世界でも、僕らの生きてきた場所だから。


「止めないと、いけませんね」


 冷や汗が噴き出す余裕のない顔で、それでも笑ってジルファイス殿下が言った。僕はうなずく。


「はい。もちろんです」


 そして固まった体を無理やり動かして、エイヴァ君を二人で振り返る。がしっとその腕をつかんだ。僕と殿下は完璧に同じ動きだった。


「むっ!?」

「「もちろん、手伝ってくれる(くれます)よね?」」

「えっ」


 使えるものは使う。当然の選択だった。








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