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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第十章 世界の全て
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10/98 悠久に腐り、堕ちる(ベルキス視点)


 そんな馬鹿な。


 目の前で展開された魔術は常軌を逸し、吾輩の想像など軽々と越えていった。鬼神の右腕、聖母の左腕。曇天から地上へと伸ばされた二本の(かいな)は『魔人』を屠り、癒し、眠りにいざなう。それ(・・)を後世の誰かは奇跡と呼ぶのであろうか。あるいは化け物だと畏れるのであろうか。


 ただ、目の前に信じがたい魔術は吾輩のすべてを奪っていった。長年の計画も、準備も、実験の結果も、吾輩の魔力さえも! がくんと膝をつく。砂利の感触が布越しに膝を痛めつけた。だが、それがどうした。目の前の出来事に比べればどうでもよいものである。


 奪われる。喪失する。何もかも。


 あの女が悍ましかった。恐ろしかった。だがどうしようもなく、あの女の放った魔術は美しかった。


 あれは、人間の所業なのか。あれを、人間と言っていいのか。


 なぜ、吾輩は、まだあれに届かない?


「ベルキス様。もう……、終わりにいたしましょう」


 ひどく苦しげな顔で、デュキアスが言う。けれどその声は吾輩の耳を素通りしていった。ふつふつと、心の底から這いあがってくる感情がある。心臓のあたりを掻きむしった。吐き気がする。総身が震える。なぜ。なぜ。なぜだ。なぜ、吾輩はいつも、いつも、いつも! 魔力で劣る。魔術に負ける。ランスリーに奪われる。つぶされる。なぜ!


 ゆがんだ表情をしている自覚がある。ある、が。


「――あれを喰らった(・・・・)程度では、足りなかったのか。ならばあの化け物を喰らえば、吾輩は、」


 つぶやきだった。だがそれは未だ行使され続けていた風魔術で戦場に響いたのだ。――シャーロット・ランスリーの耳にも。


「……その口、閉じた方がいいわ」


 びりっと体がしびれた感覚を覚えるほどに低い声だった。それを聞いて、誰もが凍り付いたように動きを止めた。否、呼吸すらもためらわれるとでもいうように、不自然な静けさが戦場を支配した。


 だが、吾輩は高揚したのである。あの悍ましい『ランスリー』の心をゆがめることができたのだと。


 ゆがめて、壊して、そして、奪いたい。吾輩が、今度こそ。


 かつてアドルフ・ランスリーを陥れ、あの男の『全て』を簒奪したように。


 今だ。今、やらねばならぬ。命を削ってでも魔術を発動せねばならないと思った。あれを吾輩の手にしなければと思ったのである。


 あの『ランスリー』の魔力を!


「貴様の親の骨を喰らったように! お前も殺してわが血肉にすれば! 吾輩はもっと……! もっと力を……!」


 つうっと、両目から鉄のにおいがする液体が垂れる。横でデュキアスが叫んでいる。女は沈黙を保っておった。


 吾輩はただ、魔術を唱えた。枯渇しかけた魔力を、無理矢理に練り上げる。身体がきしむ。痛みは無視した。肌が裂けても、骨が砕けても。


「光と雷よ! 拘束し、降りそそげ! 『白牢雷撃』!」


 他の誰かが止めるよりも早く、白い輝きを持つ帯が女の体を拘束する。なぜか、女は避けもせず、退けもしない。ただ沈黙している。そして降り注ぐ、天からのいかづち。白い帯に頭まで拘束された女は動かず、逃げもせず、それに貫かれた。貫かれたのだ!


 笑った。笑った。笑わずにおれぬ。己の目、鼻、口、体のいたるところが裂けて血があふれる。それがどうしたのだ。吾輩はようやく。


(ああ。これで、ようやく、)


 ――だけれども。


 恍惚は一瞬で終わりをつげた。見上げた先で、パリン、とガラス細工が砕けるような音がした。空中に浮いたままの白い塊が、はがれてゆく。まるで白い繭になったかのようなその塊が、ゆっくりと割れ、砕け、剥離する。


 そして現れたのは。それは。


 ――恐ろしく美しい何か(・・)、だった。


 その瞬間をどう表現すればよいのであろう。すべての音が消え、風も止まり、色すらも失せたかのような感覚。ただまっすぐ天から光が差し、それ(・・)を照らし出す。まるでそう決められていたかのように。


(あれは、なんだ)


 なんなのだ? あれは、あれではまるで。


 ……なぜか、思い出した。はるか昔のことだ。妹と交流があり、吾輩も妹も幼かったころ。隠れるように育った城の片隅で、身を縮めながらひそひそと耳打ちをされたことがある。


 ――(あに)さま、兄さま! 一緒に寝ちゃだめですか? おかあさまからこわいお話をきいたのです……。わるいことをすると、『魔』がやってきて、みいんな食べられちゃうのです! 『魔』をやっつけられるのは、『かみさま』だけなんですよ。


 頼りない声で妹は言い、そして眉を下げて続けた。


 ――でも、わたし、


 消え入りそうな声だった。


 ――『魔』はこわいけど、でも『かみさま』のほうがつよいから、もっとこわいです。


 一層声を潜めて、何からも見つかるまいとするように、つぶやいた幼い声。


 ――だって、『魔』をやっつける『かみさま』は、だからってわたしたちの『みかた』じゃないかもしれないんだもの。


 ああ、なるほど。


 いまさら吾輩は、その言葉にひどく納得をしたのである。











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