10/88 ただの人間でしかない、(ルーファス視点)
シャーロット様に授けられた愛剣『黒鋼朝顔』を抜き放った。迫る国境を、ベルキス将軍が――超えた。
――ガキイイイン!
私とベルキス将軍の刃が交錯する。
(っ、重い……!)
覚悟を持って衝撃を流していなければ手がしびれただろう重さ。いっそ華奢にすら見えるベルキス『将軍』は、その肩書に恥じない実力の持ち主だ。
互いにひらりと下馬し、さらに数合、打ち合う。ベルキス将軍の剣は重く、そして無駄がない。うまく受けなければ刃こぼれをしてしまうだろう嫌な角度での攻撃。周囲は我々を遠巻きにするようにぽっかりと空間を開けていた。それも仕方がないだろう。打ち合うたびに余波が周囲まで広がる。下手に近づかれれば巻き添えにしてしまう。
(この剣でなければ、もう折れていただろうな)
切りかかる。斬撃を受け流す。魔術を放つ。魔術を纏わせる。速さ、重さ、剣の技量は完全にベルキス将軍が上だ。その力量差を『黒鋼朝顔』の持つ最高峰の質が何とか埋めている。魔術の練度だけは、私が勝っているかもしれないが、大きな差はない。そもそも私は魔術師たちには及ばない魔術技量しかもっていない、ということもあるけれど。
(メイソード王国民としては悔しい限りだな……!)
ギラリ、と光る赤い宝玉が、いまだ何の効果も私に及ぼしていないことが不気味だった。
(エイヴァ殿について……やはり孤児院の子供たちを使って……? この戦場に連れてきているのか?)
だがそんな子供の姿があれば目立つことこの上ない。ベルキス将軍の切り札であれば、連れてきているのならば手元においておくだろう。
『ベルキス将軍が本当に信頼しているのはたった二人だろう。ラクメイナム騎士爵とバディア商爵、彼等だけだ。それ以外のすべてが『駒』に過ぎないのだろうね』
ラルファイス殿下のおっしゃっていたことが脳裏をよぎる。殿下の予測が外れたところを、私は見たことがない。……ならば、バディア商爵を欠き、ラクメイナム騎士爵が別行動をしている今、この場で、ベルキス・アセス・ウロム・ヴァルキアが信じる者は彼自身しかないのだ。
つまり行動を起こすのならばベルキス将軍自身ということ。
「……ぐぅっ!」
「考え事をしている余裕があるのかね?」
ベルキス将軍の剣が私の右わき腹を切り裂いた。灼熱の痛みが襲うが、気合で剣をふるう。ベルキス将軍の若葉色の瞳には余裕がにじんでいた。彼の金茶の髪が風に舞うさまが、場違いなほどに優雅だった。
呼吸をする。じんわりと傷が癒えていくのは、イリーナ様の祈りと所持している治癒魔道具のおかげだろう。魔道研究所をフル稼働して、倒れるまでその手の魔道具を量産してくださったターナル男爵夫妻と研究所の所員たちには感謝するしかない。たとえ所員の方々が、量産の傍らで理解できない謎の研究へと道を逸れそうになってはターナル男爵夫人に切れられていようともだ。
深く呼吸をして、魔力を溜めつつ、剣を構える。切り結び、刹那にベルキス将軍が唱えた。
「風と光よ――『八岐大蛇』」
ベルキス将軍の背中から生えてきたかのように伸びる光の大蛇は八匹、その巨大な牙に乱回転する風刃を纏っていた。このままでは受けきれないことを悟り、私は魔術を唱える。
「っ! 火よ! 『炎帝』!」
『黒鋼朝顔』の剣先から私の右腕までを覆う黒炎。ふるった一閃は、大蛇たちのうち半数の首を切り落とした。すべてを切るつもりだったのに、――半分。『炎帝』は切り札だ。威力と比例して魔力と体力の消費が激しすぎる。それなのに……!
それが、明確な焦りだとわかっていて、それでも引く隙もなければ熟考する時間もない。大蛇の残り半分が襲い来ている。視界の端に、斬り落としたはずの四匹の頭が再生しようとしているのすら見えていた。
今しかないと思った。今この時だけ、身体強化を重ね掛けする。大蛇の頭が再生する前、襲い来る残りの四匹を避ける。ベルキス将軍に、迫る。
『――切ってはいけません! ドレーク卿!』
悲鳴のようなジルファイス殿下の声が聞こえるより前、私は既に、私の最高速度で、黒炎を纏った剣を振っていた。
四匹の大蛇が迫り、ベルキス将軍も盾を構えるが、それらごと切り裂くつもりで――振り下ろす。
「え」
何もかもが一瞬だった。何が起こったのかわからなかった。構えられた盾、光った赤い宝玉、そして。
……ああ、ベルキス・アセス・ウロム・ヴァルキアとは、そういう男だったのだ!
贄のごとく盾の中から放り出されるように現れた、子供ふたり。
知っている子供だった。ベルキス将軍と似た若葉色の瞳に金茶の髪。目に焼き付いた、幼い兄妹の驚愕する貌。――けれど私の剣はもう止まらなくて。
迫りくる大蛇もベルキス将軍が手放して宙を舞う盾も、幼い兄妹――エメとリクをも、切り裂いた。将軍にだけは届かなかった刃が、将軍以外を焼き尽くした。
次の瞬間。
「――死ね、ニンゲン」
叫びではなく念話でもなく、しかし頭に叩き込まれるように響いた声とともに、おぞましい何かが、天から降り注いだ。