10/87 目隠しの先に手を伸ばしている(ジルファイス視点)
魔物の氾濫に気づいた時、私とエルシオの頭に浮かんだことはおそらく一致していた。だからこそ、二人同時に仰ぎ見たのだ――柱状で戦場にそびえたつ光魔術結界の主を。
『なあなあ! あれ、追い返すのと、全部潰すのだったら、どっちがいい?』
至極楽しそうな念話が来た。この人外、何もしないという選択肢は最初からないようだ。
『エイヴァ君……それ、選択肢の意味ある?』
頭が痛そうにエルシオが名を呼ぶ。判る。本当に、エイヴァは己が人外であるということを軽率に露呈しようとするんじゃない。もしここで彼が命じたことに従って魔物たちが動こうものなら、わがメイソード王国軍はまさかの魔物の親玉が自軍に交じっていた事実に恐れおののき、阿鼻叫喚再びとなるだろう。先ほど『魔人』たちに苦しめられたのだから、それの仲間とも思われる可能性もある。
『正直どっちもない、と言いたいですが、そうもいきませんね。そしてエルシオの言うとおり、選択の余地はありません。追い返すよりはつぶす方がましです。――エイヴァ』
『うむ! 我、久々に全力出したいのだ! いいか? いいだろ? ぜーんぶ、我が消してやるぞ!』
『喜々として殺戮宣言をしないでほしいものです。全力はいけませんが、私たちに被害が及ばない範囲で暴れてきてください。よろしくお願いします』
『エイヴァ君、結界張ってね。お願いだから結界張ってその向こう側で暴れてね。本当は僕と殿下で何とかしたいけど、君もう我慢できないみたいだし、僕らはみんなの治癒もあるし、戦争は続行中だしでちょっと難しいから、お願いするね』
恐ろしい宣言をしつつすでに動きだしているエイヴァに、私とエルシオはくぎを刺す。エルシオに至っては治癒魔術を展開しながら目を血走らせて言っていた。そんなエルシオは初めて見た。
が、必要不可欠な助言だったと私も思う。結界は、大事だ。攻撃の手加減は何をどうしても覚えられないエイヴァだ、結界なしで暴れられたらうっかり巻き込まれかねない。いや、その場合シャロンが仕掛けたという『保険』でエイヴァは拘束されるだろうが、それは巻き込み事故が発生した後の話である。しかもヴァルキア帝国側が後退したことからも明らかなように、被害を受けるのは『秘魔の森』と地続きとなっているわがメイソード王国、そしてその国軍である。だから結界は必須だ。完璧なまでに隔てたうえでストレス発散にいそしんでほしい。
エルシオの言うとおり、理想は私たちでの対処だが、持ち場を放棄できないことも事実ならば、まだ余力はそれなりにあるとはいえ、戦争が続くのに魔物の氾濫に魔力を裂きすぎるわけにはいかないことも事実だ。
――だが、ちらり、と脳裏をよぎった不安もある。魔術、『魔人』、そして魔物の氾濫と、こんなにも畳みかけてきたベルキス将軍の狙いは、エイヴァを引きずり出すことにあるのではないか?
孤児院の子供。エメとリク。シャロンがしくじるとは思えないが……。
もし。もし、『来る』としたら、どこからだろうか。エイヴァの向かった『秘魔の森』か? このエブロスト砦か? ……いや。何度も考えた。ベルキス将軍は己の身を簡単に危険には晒さない。
つまり、もしもエイヴァに何かを仕掛けるのであれば、自分の安全を確保したうえで、視覚あるいは聴覚から――エイヴァからわかるが、エイヴァの攻撃は届かない距離で。
私も治癒魔術や守護などの援護魔術を放ちつつも考える。
その頃、前線……騎士や兵士たちの方でも動きがあったようだ。
『殿下、エルシオ様。帝国軍が再び国境を越えようとしております』
最前線、ドレーク卿からの一報だった。
「ドレーク卿、最大限の警戒を。必ず何かを仕掛けてきます」
『はっ!』
ドレーク卿の返答と同時に、隣でも動きがあった。
「殿下。僕は負傷者の治療と援護にむかいます」
「ええ、それがいいでしょう。ここは私が預かります」
ヒュルル、と風が渦巻き、エルシオの体が浮き上がる。軽やかに飛び出していく彼を見送って、私は先ほどの魔術による土煙が薄れ、見渡せるようになってきた戦場へと視線を戻す。ヴァルキア帝国軍が国境の向こうに引いたことで、メイソード王国軍も深追いはせず、陣形を組みなおしている。四つに分割していた騎士・兵士の混合部隊をさらに分け、八分割の部隊が凸を描くような形に展開をしていた。魔術騎士たちは変わらず小隊を組んで散らばっているが、ドレーク卿は凸陣形の先頭にむかって駆けているようだ。戦場と映像転送魔道具を交互に見る。
(なるほど。一度下がったのち、複数の小隊を不規則に繰り出してきているな)
こちらをヴァルキア帝国側に誘い込むつもりだろうか。いや、それにしては……。
(……)
私は無線機にそっと話しかけた。
「アリィ。聞いていますね? ベルキス将軍の所在はそちらから見えていますか?」
『はい。先ほどまで後方にいましたが、今は移動を開始しており、私が動向を追っています。どうやら前線へと向かっている様子です』
「ラクメイナム騎士爵も、でしょうか?」
『別行動をとっているようです。部下に追わせていますが、私が見た限りでは西側……森側へ向かったようでした』
「わかりました」
アリィが担当の画像を見れば、確かにベルキス将軍の後ろ姿を確認できた。
(なんだ? この動きに何の意味がある? 何かが引っかかる)
いずれにせよ、このままベルキス将軍が進むのであればメイソード王国軍と直接交戦することとなる。私は無線機でドレーク卿に声をかけた。
「ドレーク卿。ベルキス将軍がそちらに向かっています。相対した時は、油断せずに。エイヴァを挑発するために何かを企んでいるはずです」
『御意!』
力強い返答。しかし、こちらからもいつでも援護できるように視線はそらさない。そもそも、企みがなかったとしても一筋縄でいくような相手ではない。ベルキス・アセス・ウロム・ヴァルキア。彼は『武の国』にて、実力で将軍位に上り詰めた男なのだから。それはこの戦場でもそうだ。実に行動が読みにくく、誘導もしにくい。あえて攻撃させて叩き潰す方式を取っているが、それもあの男にとってある程度予想の範疇のはず。あの男は強かだ。それこそ、人間から逸脱しているといわれて久しいアリィたちに、手を出すことを禁じるほどには。
正直なところ、アリィやメリィとドレーク卿の実力の差はあまりないと分析している。ただ、『影』である二人とドレーク卿は明確にその戦闘の方向性が異なるのだ。暗殺・情報収集・護衛が本領である『影』に対し、指揮能力に優れ対人戦闘能力が高いドレーク卿。
要は、正面から対峙するという条件ならばドレーク卿に軍配が上がる。それはエルシオも同じ判断だった。だからドレーク卿に任せた。状況判断に優れる彼なら退くべきところも心得ている。
戦場では人が交錯し、魔術と剣戟が飛び交い、森側に出現した広大で強固な結界の向こう側で喜々としてエイヴァが暴れようとしている。咆哮と魔物の足音は近づいているが、まだその姿を現すには時間があるようだった。なお、メイソード王国側の騎士・兵士たちは、事前にもし魔物の氾濫が起こった場合は私たちが対処するということを言ってあるため、混乱は最小限だった。数年前の『秘魔の森・魔物の氾濫事件』に参戦した騎士たちもいるし、エイヴァの結界に覚えがあるのだろう。
魔術で皆を援護しつつ、ベルキス将軍に注意を裂く。彼は馬で疾駆していた。剣と盾を持ちながら自在に馬を操る技術は感嘆ものだろう。ギラリ、と盾についた大ぶりの赤い石が光を反射した。
(石……魔道具か)
魔道具を持っていることは何ら不思議はない。シャロンとエルシオ率いるアザレア商会と魔道研究所によって近年、生活魔道具や護身用の小さな魔道具が急速に普及しているが、元来は武具・防具を魔道具とするのが一般的だったのだ。ゆえに問題は、それがどのような機能を持った魔道具なのかということだ。
(結界・毒・攻撃魔術・精神操作系や魔術効果の相殺系……)
考えられるものはいくらもある。しかしそれは、私よりもよほど対人戦闘に慣れているドレーク卿も予想しているだろう。
――そうして、ドレーク卿とベルキス将軍が、相対した。