10/80 明星はまだ眠っている(エルシオ視点)
足音が響く砦の中を歩く。僕は今、ランスリー公爵領最南西、ヴァルキア帝国との国境かつ『秘魔の森』を一望する『エブロスト砦』に来ていた。いろんな意味で衝撃的だったシャロンの手紙を殿下と共有した翌日には、既にこちらに足を運んでいる。
良くも悪くも、この戦いが最終決戦になるだろうことはこちらもあちらも共通認識だった。僕らも自重せずに割と姑息な手を使いつつヴァルキア帝国軍を抑え込んできたし、シルヴィナ皇女殿下や『影』の皆のおかげで、徐々に締め付けられつつあるベルキス将軍の手勢は、これ以上戦争を長引かせる余裕はない。
もちろんメイソード王国としても、国民への負担や騎士・兵士たちのことを考えても、できる限り損害を抑えたうえで早期の終戦に持ち込むのが望ましいし、国内の状況が余裕綽々かと聞かれれば当然、違う。……まあ、魔道研究所提供の魔道具たちによって、人的被害は想定よりもずっと少なく済んでいる。加えてここ数年アザレア商会を筆頭に実に好景気だった我が国では、国境での一進一退に留まるのであれば切羽詰まるとまではいかない程度の蓄えがあった。
さらには学院生徒(卒業生を含む)経由で貴族たちが派閥を乗り越えて一致団結するという現象が巻き起こっているメイソード王国内では国民までも協力的になっており、シルヴィナ殿下たちの活躍によって実質国内で勢力が真っ二つに割れ、国民も全員が戦争に肯定的ではなくなっているヴァルキア帝国とは状況が違うのだ。
だからこそ、『武の国』相手に僕や殿下方が大規模殲滅魔術などを行使せずにこの戦況を保てているといえる。
――ゆえに、僕らがこの戦争をできうる限り早く終わらせたい一番の理由は、やっぱりエイヴァ君だ。彼が何かをやらかす前に終わらせてしまいたい。彼の正体を知る者たちの間では切実だった。
当初、エイヴァ君には孤児院の子供たちを守ってほしいというお願いをしていたものの、結界魔術においては驚異の器用さを見せつける彼は、孤児院の子供たちの行動の自由を制限しないにもかかわらず、常に身と心の安全を完璧に守るという完璧に近い仕事をすでに完遂している。
いわく、その結界魔術では、敵意を持つ者、害意があるもの、変態、事故を含む怪我など不測の事態までもすべて対処可能である上、『処理』の瞬間やその後の惨状を子供たちには見せない・聞かせないという仕様が盛り込まれており、それでいてごく普通に生活しているのであれば何の支障もない代物らしい。それを子供たちやシスター一人一人にかけているらしいよ。そんな結界が作れるのに、攻撃魔術の出力調整がこの期に及んでできないとか意味が解らないよ、エイヴァ君。
ともかく、こちらは砦にてヴァルキア帝国軍を迎え撃つ体制を整えている。前線には僕のほか、ジルファイス殿下とドレーク卿、ビオルト侯爵もそれぞれの隊を率いてきている。さすがにラルファイス殿下は王城に留まっていただいているけれど。この距離でも映像転送魔道具の機能には問題ないようで、こっそり無線機も利用しつつ情報共有は綿密に行えている。
だから問題は、結局ついてきた(諦めて連れてきた)エイヴァ君なのだった。久々の遠出に、暴れることができそうな気配も相まって今はちょっと機嫌がよくなっているけど……。ちなみに、エイヴァ君が一緒に来ることを知った時にビオルト侯爵は白目をむいて数秒間気絶していた。
なお、騎士や兵士の皆から不満や反対の声が出るのではないかというのも懸念していたけど、杞憂に終わった。何故ならエイヴァ君のストレス発散をこまめにやった結果、忙しいのにその度にいちいち荒野(元・タロラード公爵領跡地)に行くわけにもいかず、公爵邸の鍛錬場まで移動できるほどにエイヴァ君のご機嫌がよろしくない時もあり……つまり、王城の鍛錬場などを多用することになった。そのため結構な数の騎士や兵士がエイヴァ君の実力を目の当たりにしていた。
さらには、優秀なものが集められている部隊ということは、数年前の『秘魔の森・魔物の氾濫事件』により行われた森の調査にむかった騎士たちも当然のように多く含まれている。そのため、毎日シャロンと共に楽しそうに森にむかっては無傷で帰還するエイヴァ君を彼等は目の当たりにしていた。
その上で、エイヴァ君のあまりよろしくないご機嫌の所為で漏れ出る最古の『魔』たる雰囲気が、設定上の身分・平民であるとか学院生である、などの侮りを寄せ付けなかった。兵士たちについては、エイヴァ君の外見の美しさと堂々としすぎた佇まいによって多分普通にエイヴァ君も貴族だと思っていると思う。
……まあ、言いたいことはいろいろあるけれど、みんなにエイヴァ君の参戦がおおむね受け入れられているんだから、素直に喜ぶべきなんだろう。エイヴァ君には、大規模殲滅魔術を使うのはいけないから結界に専念してほしい、どうしても攻撃をしたいときは必ず一言かけてほしい、ということをジルファイス殿下と一緒に延々と言い聞かせているんだけど、大丈夫かな。突然飛び出したりしないかな。
考えながら、砦の屋上に出た。すでに時刻は真夜中。寝る前に心を落ち着かせようと何気なく歩いてきただけの場所。しかしそこには見張りの騎士たちのほかに、先客としてジルファイス殿下がいらっしゃった。ドレーク卿もひっそりと控えておられる。殿下たちも僕に気づかれたため、挨拶をして近づく。
「こんばんは。まだお休みではなかったのですね、殿下」
「こんばんは、エルシオ。あなたも。眠れませんか?」
「進軍しているヴァルキア帝国軍の中に、ベルキス将軍ご本人がいると聞いていますから……どうしても警戒が高くなってしまって。エイヴァ君のこともありますし」
「エイヴァは、今どちらに?」
「収納魔道具いっぱいに詰めてきたお菓子を食べて、ゴリラの人形を抱きしめて、ぐっすり眠っていますよ。ここ数日で一番機嫌がいいので、割とすぐ寝てくれました」
「それはよかった。……一晩中、模擬戦の相手をさせられたこともありましたからね、エイヴァには」
美しく微笑んで、殿下は視線を砦の外へとむける。
「……明日は、これまで避けてきた魔術合戦になるでしょう。エイヴァを抜きにしても、私やエルシオ、あなたも大規模魔術を使用せざるをえなくなります」
「はい。……シルヴィナ皇女殿下にも、お伝えしています」
これまでとは比較にならない死傷者が出る戦いになる。ベルキス将軍が固執する『魔力』。シャロンから奪ったそれをただ持っているだけのはずがない。敵の総大将であるベルキス将軍直々に戦場へとやってくるのだから。
それでも。
「勝つのは私たちです」
「――はい!」