10/72 傲慢な人(ジュリアン視点)
私の名前はジュリアン・ヘルク・ロッセイ。ヴァルキア帝国にて公爵位を継承し、宰相という役職も賜っている。……今でもそう名乗る資格があるのかと言われれば、ないのだろうけれど。
ともかく、私の主は私がそばにいようがいまいが、揺るぎなく破天荒であったらしい。そう来る可能性もあるだろうなと思っていたが、まさか実行するのを皇女殿下たちが止めないとは思わなかった。
「ジューリアーンくーん! こーんにーちはー! お話し合いにきましたー! うちの子返せやオラあああああ!」
あの人は皇帝ではなくチンピラなのでは? と疑ってしまうドスの利いた声とともに繰り出された拳は見事に結界の効果が及んでいたはずの玄関扉を破壊した。そして私を名指し。室内で話し合いをしていた私とバディア商爵は思わず死んだような瞳で見つめあってしまった。
「……呼ばれてますよ、宰相閣下」
「呼ばれてますねえ。……はあ、」
判っている。おそらく何かの作戦なのだろう。ちょっと人間であることを疑う集団が陛下たちの味方についているのだから、作戦のはずだ。まさか陛下の暴走だなんてそんなまさか。皇女殿下が許すはずもないし、ルフ殿ならばなおさらであろう。それは陛下のためではなく、ひとえに彼女たち『影』の主への忠誠であろうけれども。
その後、私が陛下を、そしてバディア商爵が、この大騒ぎに乗じて侵入しているのだろう『招かれざる者たち』の相手をすることとなった。応接室に入室した時には、陛下以外のメイドや兵に救世主を見るかのような目を向けられた。……うん、何をやらかすか全く予測のできない、身分も高ければ戦闘能力も冗談のように高い皇帝陛下と沈黙の支配する室内に取り残されたくはないだろう。よくわかる。メイドたちに私が人払いを命じた時には、表情にこそ出さなかったものの、心底安堵した空気が隠しきれていなかった。
「……」
「……」
二人きりとなった応接室――おそらく、私にはわからないが、陛下の護衛として『宝瓶』の誰かが潜んでいるとは思うが、一見二人きり――で、無言が支配していた。ペリドットの瞳が私を射抜く。そして。
ガアン、と激しい音を立てて、私たちの間にあったローテーブルの上に陛下の右足が振り落とされた。やっぱりチンピラなのでは? と思ってしまうガラの悪さというか、生まれてこの方皇族以外の何者でもなかった筈のこの人は何をどこでそんな品も礼儀も彼方に投げ捨てた所作を覚えたのだろうかという疑問が一瞬飛来して消えた。
何故なら割とこの人はよく行方を晦まして素知らぬ顔で戻ってくると言う蛮行を平素繰り返している皇帝であり、そんなときは大抵の場合『正体不明の誰か』がどこぞの犯罪者集団を壊滅させたという噂がつきものだった。そして言うまでもなく、犯罪者集団を壊滅させていたのはこの皇帝である。私は知っている。毎度毎度、行方をくらますたびに陛下を連れ戻しに向かうのも私だったし、いくら犯罪者相手とはいえやりすぎ一歩手前の陛下の首根っこを掴んで止めるのも私だったからだ。
だから、その、いつも『どこぞの犯罪者集団』に向けていた、好戦的でありながら恐ろしく冷たい光をペリドットに宿して、私を見つめる陛下を、正面から見つめ返した。
「あのな、ジュリアン。いろいろ判ってると思うから、腹割って話そうぜ。とりつくろうのは今更だろ?」
「ええ。今更です。だから話すことなどありません。私は私の望みのために動いた。それだけです」
口角を上げて言う陛下に私がそう返せば、きれいにほほ笑んで陛下はぶった切った。
「却下。お前がなくても私にはある」
「相変わらず横暴な」
「それが私だろ? これでもおとなしい方だろうが。それとも殴り合いの方がいいのか?」
「最終手段でしょうね、それは」
「そうだろそうだろ。で、私がせっかくやってきたんだから、とっととウィルは返せ。逃げたりなんかしねーし、わかってるだろうから言うが、奪還に動いている。どうせ奪い返されるんだから自ら差し出せ」
この人は、見事にご自身の要求しか言わないけれども、皇子殿下を連れ去るときに私が告げた言葉を覚えていないのだろうか。いや、覚えていてこの態度なのだろう。私は私で、こちらもバッサリ斬り返す。
「できませんね」
「なんで?」
「あなたは私の要求を満たしていらっしゃいません。ですから、皇子殿下はお返しできませんよ。判っているでしょう? 『彼女ら』の力をもってしても、力づくであの魔道具を突破するのは至難の業です」
そう、至難の業だとわかっていた。バディア商爵には、私を含め、生かして帰す気がないだろうことも、気づいていた。それでも、私はこちら側に来た。
「……わかってて、ウィルにそんなもんを使ったのか」
「そうですよ。あの魔道具の情報も『彼女ら』が集めたのでしょうね」
「ああ、そうさ。異常なくらい詳細な情報だった。普通に彼女たちヤバいくらいにおかしい」
おかしいのは認める。私も彼女らはいろいろとおかしいと思う。だが。
「……陛下は語彙力を鍛え直すべきだと愚考いたします。言いたいことはわかりますが」
「判るならいいだろうが。てか、話そらすなよ。ま、お前の言うとおり、あのバカみてえな不良品一歩手前の魔道具だと万が一もあるってのは認めてやるよ。だから私がここに来た。それで私がどうしたいのかはわかるだろ。まずはウィルを、返せ」
「できません」
「……ジュリアン」
「できません」
「ジュリアン!」
「できないんですよ、陛下」
それでは、私の『目的』は完遂できないのだから。だから、私は時間を浪費する。どうせさしたる間もなく、バディア商爵は『塞の玻璃箱』を起動させるだろう。それまでは。
そう思っていた。だが、――ふと、目の前のペリドットの瞳が、冷徹さを緩めた。
「……なあ、ジュリアン。あいつらが欲しいのは私の命だろう? やるよ。やるから、ウィルだけは、返せよ」
なぜか、ひどく、陛下は優しく微笑んだ。私は息をのんで、だから次の陛下の行動への反応が遅れた。
「俺の家族を今度こそ守れよ、ジュリ」
そして、陛下は自らの首を――掻き斬った。