10/67 刻み付ける人たち(シルヴィナ視点)
「私の旦那は、救えないほど胡散臭いんですヨ」
そう言ったのはケイラ殿でしたわ。
――わたくしたち、救出班は滞りなく侵入に成功いたしました。お父様の躊躇なき暴挙におののくバディア商爵邸の皆様が右往左往されていらっしゃるうちに、ソレイラとダブ殿がバディア商爵の気を引き、その隙にルフ殿がウィルの監禁されている部屋へとたどり着き、三人の見張りを倒し、わたくしとケイラ殿が個人間転移魔道具を使用して侵入するという流れでしたわ。
懸念事項といたしましては、ルフ殿いわく、倒した見張りの彼らはいずれもイーゼア中毒患者であったことですわね。お姉さまが開発してくださったイーゼア中和剤は、長く違法薬物に浸された体を一瞬で浄化することはできません。それは肉体に負担がかかりすぎ、最悪廃人となってしまいますわ。時間をかけて中和していくものなのです。よって今回の作戦では使用できませんでしたわ。
彼らは暴走して『塞の玻璃箱』を壊すようなことがないように理性は保たれていましたが、イーゼアによって底力を無理やり引き上げられた状態ですわ。手加減が難しい、とルフ殿はおっしゃったの。……『意識を刈り取る』にとどめてくださったのは、見張りが絶命するとそれとわかる魔術がこの室内に組み込まれているからだともおっしゃっていましたわ。
それでも、ルフ殿はやり遂げてくださり、こうして侵入したわたくしたちですけれど、これですべての準備が整ったわけではございませんわ。部屋の補強、魔術の準備、救出のための軌道の確認。何一つ間違えられないのですから、入念に、それでいて迅速に行動が必要ですの。
『お話を聞くと、バディア商爵は鋭い視点をお持ちです。ダブとジッキンガム卿がいかに優れていても、稼げるのは十分間だとみるべきでしょう』
作戦を詰めているとき、予知もかくやという予測を繰り出していたジルファイス殿下は、無線機の向こう側でおっしゃっていましたわ。
つまり、わたくしたちは、ソレイラたちが時間を稼いでくれている十分間のうちに、ウィルを救出せねばなりませんの。
ですけれども、わたくしたち救出班はそれぞれにやることがあり、集中が必要です。時間を気にする余裕はなく、そのためだけに割ける人員の余裕まではありませんの。だから『囮2』であるソレイラに、白羽の矢が立ちましたわ。
そもそも、ソレイラに期待されていた役目は『ヴァルキア帝国側にとって明確な脅威となりうる戦力としてその場にいること』でしたわ。
『うーん。ダブ殿は会ったことがあるけれど、一見して強さが分かりにくい人だな。実力者同士であればそれでもある程度力を測れるだろうけれど、そんな精鋭ばかりが集められてはいないだろう。予想外の無謀を働く輩が出るのを抑制するために、ジッキンガム卿に同行していただきたい』
そんなラルファイス殿下の言葉ももちろん考慮されましたわ。つまり、ヴァルキア帝国においてわたくしの専属護衛として名が高いソレイラがそこにいることで、ダブ殿が言う『殺そうと思えば殺せるのだ』、という趣旨の言葉に、誰の目にも明らかな真実味を帯びさせるのですわ。
そのうえで、もともとの性格上、沈黙していて違和感のないソレイラだからこそ、わたくしたちに時間を知らせる役目をも負ってもらえたのです。
腰元に隠された無線機、そのすぐそば、剣の柄に手をかけることは何も不自然な動作ではありませんもの。十五秒ごとに一回、ソレイラは無線機を爪でたたきます。そして一分たった時には爪の音が一回、二分たった時には二回……というように何分たったのかも教えてくれるの。
『魔術師としての意見ですが、爆発条件の発動から、実際の爆発まで、猶予はコンマ五秒です』
一秒に満たない時間だとわたくしたちに伝えたのはエルシオ様でしたわ。魔術師として、さらにはアザレア商会の魔道具開発に関わる立場としてのご意見は、メイソード王国の魔術や魔道具を基準としています。わたくしが言うのはなんですけれど、お姉さまがいらっしゃる時点で魔術や魔道具の性能でメイソード王国をヴァルキア帝国が上回ることはあり得ませんもの。最短でコンマ五秒、とわたくしたちは理解しました。
移動に二分、準備に五分。そして実行に〇・五秒。『塞の玻璃箱』をケイラ殿が破壊し、ルフ殿がウィルを奪取し、わたくしが爆発を最小限にとどめるために魔術結界で抑え込む役割。わたくしたちはそう定めていますわ。そうして――
『コッコッコッコッコッコッ』
今、六回、無線機がたたかれたのです。すでに時間稼ぎが始まってから六分経ったということですわ。
「……っ、」
わたくしの魔術適性は風と水です。緻密な氷の盾を形成するため、魔力を慎重に練り上げております。けれど時間が迫るほどに焦りも募ります。だってもしわたくしが失敗すれば、ウィルが。ウィルだけでなく、ルフ殿やケイラ殿であっても無事では済まないのですわ。扉の外――ルフ殿が防音結界を張ってしまいましたから、扉からはなにも聞こえず、無線機からもれ聞こえる声だけではありますが――では、ソレイラやダブ殿が、お父様だってお母様だって、それぞれがこの作戦にすべてをかけているのですもの。間違えられませんわ。なにひとつ、なにも、すべてを、わたくしは――
そう気負っていた時にかけられた言葉が、先ほどのケイラ殿のお言葉でしたわ。ダブ殿は、ひどく胡散臭い、と。
「……」
わたくしは沈黙を返しましたわ。いえ、わかっておりますのよ。隠れ家で何度もお話ししましたし、ウィルの相手だってしてくれたダブ殿をわたくし、知っていますわ。ダブ殿とケイラ殿の間にはまだお子様はいらっしゃらないそうですが、ウィルのために心を配って下さるお姿はとてもお優しいものでしたのよ。
それにつけても無線機からもれ聞こえてくるダブ殿の声は胡散臭いですわ。うっさんくさいんですのよ!
……わたくしが沈黙を選んだ理由は二つですわ。一つは、いくら本当に胡散臭い様子が聞こえてきていようとも、それを彼の奥様であるケイラ殿にむかって全面肯定するのはいかがなものかと思いましたの。二つ目は、なぜ今この場でそれをわたくしにいいきかせるのかわからなかったからですわ。わたくしと同じく、魔術の準備をしているケイラ殿をそっと伺います。
「うん、ちょっと力抜けましたネ。ダブは胡散臭いんで、うまくやりますヨ。ソレイラ殿の表情もいつも通り読めないですシ、いつも通り皇帝陛下は突拍子ないですヨ。だから、皇女殿下もいつも通り集中してさっくり成功させましょうネ」
「……ええ、もちろんですわ」
にかっと笑ったケイラ殿は、本当に『いつも通り』で、わたくしも肩に力を入れすぎていたと気づきましたわ。そうですわよね、気負いすぎても空回りますわ。みんなを信じて、できることを全力でしなくては。それがどんなに難しいことでも、自覚のあるなしだけでも違うものですわ。
そして――。
『コッ、』
六分四十五秒目の合図で、わたくしたちはすべての準備を終えたのです。
「――さあ、成功させましょう!」
ウィル。もうすぐだからね。