2/19 彼女は嘘吐き(エルシオ視点)
……なるほど、彼女は味方じゃない。頼ってはいけない人だった。
僕の実の家族と変わらない眼でしか見てはくれていなかった!
助かる、だって? 助けてもらえる、だって?
楽天的考えだ。窮地で奇跡を期待したって馬鹿を見るだけ。自分で何とかしなければいけなかったんだ、最初から。
にらみつける僕を、彼女は意にも介さない。それがさらに、憎しみを煽った。
彼女がにんまりとさらに口の端を引き上げる。
「私は、――公爵家を動かさない」
判っている。彼女が僕を助けないと明言した時から。彼女ほどの演技力は多分ランスリー家の使用人たちにはない。全部が嘘じゃなかったんだと思いたい。
でもあの家は『シャーロット・ランスリー』の領域だ。
彼女ならどうとでも言いくるめられるんだろう。
騙されていた。
なんて、なんて……。
人の心に付け込んで!
傷つく、よりも今は憎らしくて、悔しくてしょうがなかった。だって本当に馬鹿みたいじゃないか。
僕もあの家の人たちも、彼女に踊らされていたなんて!
「なあに、情報操作なんてお手のものだから! 義弟を失くして傷心の義姉の役だって、演じきってみせるわよ」
「それが、あなたの、本音なの? 誰も騙して、この、卑怯者……!」
この縄が、無ければ。掴みかかって怒鳴りたい。彼女の方が強いことなんてわかってる、それでも。
「醜さも卑怯も、何が悪いの? そんなの生きるために必要なのよ、知っているでしょう」
僕の言葉を鼻で笑って、まるで悪びれない彼女。
本当に、本当に。
……彼女に救われたと思っていたのに。
どろどろどろどろ、身体の中で何かが渦巻いている気がする。
この憎しみが、怒りが、吐き気がするほど悍ましい汚い感情だってわかっても、止められないくらいに僕は、この彼女が。
「なんでここに来たんだ! 見捨てるつもりなら、どうして!」
叫ぶ。でも、彼女は余裕だ。
「そんなの、馬鹿な君の最後を嗤うために決まってるでしょ。……なんで自分が助からないかくらい、知って死にたいかなあって思ってね?」
彼女は高く笑う。綺麗なのに、吐き気がする。体の中が燃えるようだ。
耳元で、風が吹き荒れているような錯覚さえ覚える。
「――ま、助かりたいなら、自分で何とかすることね」
からかうように。絶対できないって、思っているくせに。
全てを手に入れている彼女は、僕をどこまでも見下していた。
「――まあ、無理でしょうけどね。のこのこと誘拐されて、抵抗の一つも出来ないような落ちこぼれなんだもの。親に売られて、売られた先でも落ちこぼれ。救えないわね?」
落ちこぼれ、落ちこぼれ、落ちこぼれ。
救えない、僕は。
「――うるさい!」
風がうなっている気がする。耳鳴りさえする気がする。
怒りで、憎しみで、目の前が真っ赤に染まりそう。
なりふり構わず、拳を振り上げて殴り掛かった。でも、簡単に避けられる。なんでもないように、どうでもいいもののように。
ああ、本当に、彼女は――。
「――はは、私に食って掛かる元気があるの? 馬鹿ね、言ったでしょう? 君如きが私にかすり傷ひとつ、つけられるわけがないの。君とは、最初から違うのよ」
判っている、そんなの、畜生、でも僕は――!
「――煩い、煩い、煩い!」
そんなことを繰り返し、叫ぶ。
目の前の彼女が、憎くて、嫌いで、消えてほしくて、でも出来なくて。
そのほかの事なんて、頭から抜け落ちて、何にも目に入らなかった。
だから。
「――は、ほえるしか能がないのかしら。馬鹿みたいに叫んでるから、ほら……お出ましよ?」
彼女の言っていることが、僕はまたもやよくわからない。
でも背後のドアの向こう側から、騒々しい音が聞こえて、僕は自分の立場を思い出した。
そうだ僕は、誘拐をされて。
「精々、足掻くことね。私の邪魔をするから、そうなるのよ?」
彼女は笑う。最初から最後まで、ずっと。
「――言ったでしょう? 私は、君を助けない……」
言って、彼女の輪郭が、不意に揺らいだ。
――逃げる気、だ。
僕を、置いて。
僕が殺されると知っていて、否、殺されることを望んで。
糞、このままで、終わるなんて。
「――待てッ!」
手を伸ばした時には、その姿は掻き消えて。
――同時に、ドアが蹴破られる。