2/15 彼女の存在(エルシオ視点)
ここに来てから半月たった。正直今までの人生の中で一番『濃い』半月だった。
なぜならば、あれだ。『彼女』が想像していたのとは全く違う人だったからだ。
呼び方は、最初に『シャーロット様』と呼んだら、ものすごく綺麗な笑顔で却下された。今では、『姉上』呼びで落ち着いている。今までも『兄弟』を兄上、姉上、と呼んでいたから、初めは『彼女』をそう呼ぶことに違和感もあったけど、だいぶ慣れてきた。
……姉上は本当に、変わった御令嬢なのだと、思う。
いや、この『ランスリー家』自体が、変わっているのだろうか。
まず、家の実権を握っているのは、義姉だ。領主代理がいることはいるけれども、一切合財を義姉の許可の下でしか行えない。いや、執事長を通して指示を行ってるみたいだから、そのことに領主代理殿が気付いているかは微妙だけど。まあ多分、普通逆だと思う。でも、この家ではだれも何も疑問を持っていない。
というか、義姉への信頼と傾倒が激しい。
使用人は一人残らず心酔しているようだ。
まあ心酔しているけど盲目ではないようで、義姉について聞いてみるととてもきれいな笑顔でこう答えてくれる。
「シャロン様はこう……自由ですので!」
「シャロンお嬢様はその……ああいう方なんです!」
「シャロン様はほら……そういう存在なんですよ!」
どういう存在だろうか。
いや、抽象的が過ぎるが、でも言いたいことはわかる。つまりはそういう事だ。
なお、そんな彼ら彼女らはもちろん仕事は完璧だし、僕に対しても敬意を払ってくれる。姉上と同等に扱ってくれるなんて思ってもみなかった。今までは「居ない者」としてしか扱われなかったから、十分すぎて戸惑っているのが本音だけど、なんだかくすぐったい。
優しい場所だなあと、思う。
まあ、僕が思っていた以上に『シャーロット・ランスリー』という令嬢はぶっ飛んでいてその能力の高さにどうしようもなく嫉妬を覚えてしまうこともあったけれど。
まず、勉学。え、そこまで? と思うほどにどん欲に、どんな知識も吸収していく義姉の姿に唖然としない者はいないんじゃないだろうか。なんで複合魔術理論から簡単節約術まで熟知しているんだろう。いや、普通に考えていつか嫁いでいくとして、公爵家の令嬢が便利グッズでお掃除術とか余りものでクッキングとかできてしかるべきなんだろうか。だってうちの実姉はそんなのやってなかったと思う。むしろ自分で掃除をするとか料理をするという発想がなかったと思う。
なのに歴史も経営学も算術も芸術の分野も教育学ものべつ幕無く手を出している義姉。優秀な生徒だというのに教師は僕に泣きごとを言った。『意味が分からない、あの令嬢は意味が分からない、彼女の手によって私の研究が飛躍的に進んだんだ!』。どっちが教え子なんだろう、というジレンマだそうだ。僕に教えているときには『なんて優秀な子! 教えがいがありますわ! シャロン様は大体知っているのでいつも私と意見を戦わせているんです!』と喜ばれた。そして懇切丁寧な授業をされた。とてもわかりやすかった。彼らに何をしているんだ義姉よ。ちなみに分かりやすい授業の方法は義姉がレクチャーしたらしい。しかも授業内容はだんだんレベルアップしていくから多分義姉と教師の議論によっていろいろと研究が進んでいるんだろう。何を目指しているんだ義姉よ。
ていうか姉上、絶対うちの父より頭いい。
それでいて淑女としての立居振舞も完璧。
しかも剣技も魔術もすでに『あの』師を圧倒するほどの才能を見せつけている。彼ら師匠連と僕が初対面した時、暴走しかけた彼らに姉上が決めた側頭回し蹴りは美しかった。
ではなくて。
ここまでくるとそろそろ嫉妬するのが馬鹿馬鹿しい気がする。むしろ姉上って人間の限界を極めている気がする。
普通、どこかしら欠点なりなんなり、あるとおもっていた。……いや、猫かぶりをやめると、途端に気さくになりすぎるのは、欠点と言えば欠点なのかもしれないけれども。
最近はだいぶ慣れたとはいえ、突然勝負を挑まれたり、王都で有名な商会が実は姉上が経営している物だったりと驚きは尽きない。最近の一番の驚きは第二王子様から何通も何通も手紙が来ていて、それを全部無視しているという事を聞いた時だ。
……いいんだろうか。というか、何で無視しているんだろうか。王子様とは友人なのだという事を侍女から聞いたんだけれども。そう尋ねれば、笑顔で何も問題はないと言われた。
彼女が問題はないというのであれば問題ないのだろう。
問題があっても握りつぶす、という副音声など僕は聞いていない。
王族の意義って何だったろうか。
うちの義姉に怖いものはないようだ。
そんな彼女を中心としたランスリー家は、びっくりするほどに、明るくて、おかしい。
落ちこぼれの僕すらも、包み込んでくれるくらいに、優しい。
というか『彼女』が『アリ』ならば大体なんでも『アリ』なんだろう。
……多分僕はまだどこかで、信じ切ることは、出来ていない。
だって今までが消えてなくなったわけじゃない。
どうしようもなく怖い夜がある。これが全部夢で、目覚めてしまうんじゃないかとか。いつか、見捨てられるんじゃないか、失望されるんじゃないかとか。
義姉は本当に有能で、嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいほどの規格外の天才だ。
でも、比べてしまう自分もいる。
ここに居るのは、僕でいいのか。
思うけど、それでも、だって、ここの人たちは今、こんなふうにちゃんと、僕を僕として、見てくれる。
この優しい場所をくれた人たちの期待にこたえたい、と思う。
出来ない事はたくさんあるけど、僕なりに頑張りたい。
でも、
――ある真夜中に突如、そのぬるま湯みたいな幸せは、壊れたんだ。