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公爵令嬢は我が道を行く  作者: 月圭
第二章 家族の定義
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2/8 その瞳に映るもの


 朝です。

 新しい朝、希望の朝です。

 私は中庭でちょっとした運動を嗜んでいる真っ最中。ひゅんと木刀が空を切る音が小気味いい。仕込み暗器の投げ技も上達してきたことを実感。朝食前のちょっとした運動はやはり欠かせない。


 これ以上なく健康的である。


 そんなこんなで一通りのメニューを終えて、ふう、といい笑顔で額の汗を拭ったところで、背後からがさりと音。

 さて今朝も来たようである。


「あ、あの、おはようございます、……姉上」


 おずおずと掛かった声に振り向けば、そこにたたずむは儚げな美少年。華奢かつ繊細。眩しいほどに太陽の光が似合う。花の中にたたずんで微笑んでほしい。


 今日も眼福ですありがとう。


 ではなくて。


「ええ、おはよう、エル」


 朝の挨拶を返してにっこりと美しく微笑む私。毎朝恒例の儀式である。

 ちなみに私の口調から敬語が失われたのは盛大に脱ぎ捨てた猫をそのまま野生に返した状態でエルに接することに決めたからです。

 家の中で家族に敬語堅苦しい。面倒臭い。メリィも微笑ましく見守ってくれてるから問題ないと思うの。


 そもそも木刀で空を切り暗器を的に振りかぶっていた私の恰好は訓練着。敬語、ニアワナイ。両親を失い領主代理に家の中を支配されている薄幸の美少女がどこにいるのかと。


 猫を脱ぎ捨てた挙句いきなり素を見せすぎだろうと思うかもしれないが、彼は家族である。『ランスリー』の名を共に負う者同士。

 私は余計な取り繕いを不要だと判断する。


 というか、色々と、そう本当にいろいろと複雑に拗らせているエルシオ少年にはこちらからぐいぐい行かないとまったく近寄ってくれないから。


 警戒心の強い猫っていうかウサギっていうか。

 だから一周回ってこれはエルシオ少年の為である。


 誰が何と言おうが彼は我が公爵家の次期当主。コミュ障、直そう。そう私が決めるのはコンマ三秒も必要なかった。即決である。

 だがしかし私にすら心を開かないまんまじゃ躾などできない。

 千里の道も一歩からなどと悠長なことを言っていられるほどの時間はないので私は素をさらけ出した。これがANSWERだ。エルシオ少年のことを『エル』と、そう愛称で呼んでいるのもその一環。


 ていうか初対面時、アッケンバーグ伯爵を追い帰して二人で改めて自己紹介をしあったときに、丁寧に接するよりも猫を脱ぎ捨てた時の方が反応したエルシオ少年もエルシオ少年だと思う。驚愕の上塗りで茫然としていただけとかいう説はまあ認めるけどこれに関しては結果が全てだ。


 よく言うだろ、習うより慣れろ。場面場面での私の態度の豹変に事あるごとに驚いて疲れているエルシオ少年であるが最近は現実回帰が早くなってきたので順応しているのだろう。いいことである。


 ――あ、呼び方と言えばエルが私のことを『姉上』と呼んでいるのは私の強制ではない。むしろ私は頑張って修正したのだ。だって義姉弟と言えど、年齢ほぼ同じ。数か月の差なんてないに等しい。


 ……うん、最初。

 エルシオ少年、私のことを『シャーロット様』と呼びやがった。

 さすがに『ランスリー公爵令嬢』とか『シャーロット嬢』とかは呼ばれなかったけど。


 他人か。


 いやもと他人だけど。


 こんなに私が距離を詰めようとしているのに、お前と私は書類の上では姉弟。それがどう転がって名前に様づけ? いきなり愛称で呼べとは言わない、しかしこれは固すぎる。うちでは使用人さんすら愛称+敬称の『シャロン様』なのに。


 もちろん私はその場で抗議しました。


「その呼び方はいただけないわね。私としては名前もしくは愛称の呼び捨てを推奨するわよ? せめて『姉』と呼んでほしいのだけれど、エ・ル?」

「あ、え、え、でも、」

「次に『シャーロット様』とよんでも私は返事をしません」

「え、あの、」

「返事をしません」

「シャーロット、様、」

「……」

「……」

「……」

「………………………姉、上」

「なあに、エル?」


 私の微笑みは完璧でした。


 観念した彼はしばらくの間『シャロン様』だの『姉さま』だのといろいろ迷っていたようだが、結局『姉上』に落ち着いたようだ。……うん、一回『お姉さま』と呼ばれた時はどうしようかと思った。いや間違っちゃいないんだけどエルシオ少年にそう呼ばれるとなんか違う。違うっていうか違う扉が開きそう。それは駄目な気がする。うん。それが定着しなくてよかった。


 というか本当に私の推奨は呼び捨てだったんだけど。まあ現在のちょっと繊細ではかなげな感じのエルシオ少年にこれ以上の要求は精神的負担にしかならないのは判っているから、今はいい。


 ――ま、それでも初対面よりは大分、打ち解けてくれたとは思うけどね。

 だって最初は話すたびに一歩引かれたのに。引くなよ。傷つくだろ。


 ……うん、今は、どもりはするけど、話しかければ答えくらいは返ってくるし。今朝みたいに、挨拶もしてくれるしね。順応が速いのはいいことだよ。


 さて、彼がこの屋敷に来てから、はや半月。

 この成果は上々、と言ってもいいだろう、恐らく。


 うちの優秀な使用人さんは大層懐が深い人たちばかりなので、コミュ障な彼を馬鹿にするでなく、ないがしろにするでなく、温かく見守ってくれたし。専属の人たちとかは結構仲良くなったんじゃないかな。割と信者と化しているけど、私はあなたたちを信じてた。だって四面楚歌から『私』の変化を柔軟にも受け入れた彼等だもの。多分、きっと、私の豹変で、彼らの心は鍛えられたんだね。


 だから私はかつて豹変事件で医者を呼ばれかけたあれさえもいい仕事をしたんだと開き直ります。


 まあ、歩み寄りというのは互いにする物だから、エルもエルで私たちに慣れようと努力をしてくれている。だからこそ私たちもエルのことに慣れていったというか、知っていけたのだ。情報だけで知るのと実際じゃあ、やっぱり違うものだし。


 私は『物語』の印象も持ってるから、余計にね。

 先入観はいい結果を生まないのですよ。ジルの件で私は学習した。同じ轍を踏む気はない。まあ事前に知っている方が有利に働くこともあるから時と場合によりけりではあるが。


 結論として、エルシオ少年は繊細ではかなげで、だけど野生動物の如く警戒心が強くて、いろいろ溜めこんじゃうタイプ。


 打ち解けてきたってのは嘘じゃない。

 でも歩み寄って順応して仲良くなって、見えてきたのは相当、伯爵家では立場があれだったんでしょうねえ、ってこと。


 だから最近は改善されてきたけど、最初は特に無口だし表情も怯えているのがデフォだった。公爵家の人間が彼に危害を加えないというのは理解してもらえたみたいだけどね。

 今は割と笑顔も見せてくれます。


 ただ、エルシオ少年の目は口程に物を言う。


 私の人間観察力を舐めるな? 前世のころからの趣味だぞ? 筋金入りだぞ? 前世親友は『貴方読心術でも使えるの? 訴えるわよ』と犯罪者扱いされた。そしてそのまま本当に通報した彼女は私が嫌いだったのだろうか。まあつながった先が私の知り合いで親友から奪った携帯で談笑して終わったけど。それを見た親友は頭を押さえてこう言った。『警察機関もあなたに掌握されているのね。どうせ司法機関も押さえているんでしょう、この国を牛耳るつもりなの?』。確かに司法機関にも友達はいた。しかし別に征服するつもりはなかった。交友関係が広かっただけだ。だから私は怖い人じゃありません。親友は胡乱な目をしてたけど。


 ともあれ。


 そんな私からすれば、エルの瞳はいろんな感情が見え隠れ。超雄弁。

 現状への喜びと、己への鼓舞。

 私たちに対する感謝と安堵。

 私の奇行に対する困惑と驚愕。

 魔力が使える私への羨望や嫉妬。

 つくろいきれない戸惑いや諦め、恐怖。

 押し殺された悲しみと、少しの怨み。

 正の感情も負の感情も。


 案の定、育成されている『怨み』は多分、ランスリー家に引き取られる話が一度ぽしゃりかけたことが引っかかっているんだろう。

 エルシオ少年にとっては絶望でしかなかっただろうから。


 それがどうしようもなかったと理性で理解していても、感情の全てをコントロールできるほど成熟していない。まあ現状が彼にとって好転しているから今はほとんど『怨み』なんて見えないけどね。


 なお、そんなに年が変わらないジルがほぼほぼ感情コントロールができてるのは、彼が腹黒だからです。

 というか、エルシオ少年は純粋で、素直な子供なのだ。

 悲しいことは悲しくて、嫌なことは嫌。それをそのまま感じることができる人間らしい子供。


 いや、私とかジルが人間らしくないわけではない。ちょっと、ひねくれているだけだ。悲しいことは踏み台に、嫌なことは報復へと意識が向くだけだ。個性である。


 もう一度言おう、個性である。













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