1/12 ランスリー家令嬢の観察(ジルファイス視点)
私はジルファイス・メイソード。
メイソード王国の第二王子として生まれた。
王子ではあるが、第一王子ではないし、ある意味気楽な立場であると思っている。欲しいものは基本的に簡単に手に入り、教育も最高峰のものを受けることができるのだ。
何の文句があるだろう?
まあ高位の立場にしがらみがあるのはそれはそれでしようがないことではある。私の周りにもその手の面倒臭い人間は多いと言えよう。教育係がその筆頭だったりするのはご愛敬なのだろうか。まあ彼は私に教育を施した人物だけあって有能なのだがいかんせん息がつまるという意味で面倒臭い相手だ。おそらくは有能だからこそ相手取りにくい。
彼の他にも面倒な相手はたくさんいるが、彼を前にするよりはよほど楽だ。例えば私を担ぎ上げて兄から王太子の座を奪おうと画策する者などがそれである。私にはそんな気はさらさらないというのがなぜ彼等には伝わらないのだろう。血のつながった兄は気さくで人望もあるし、私は王位などよりも自由な立場で、兄を支えていきたいと思っている。
まあそんな放っておいてくれない阿呆には、裏でささやかな『説得』を施して納得してもらった。『説得』で済むのだから安いものだ。
そんな、それでも家族間の齟齬は生じていない分、結局は『気楽』に変わりはないと私は思う。やはり王族。果たすべき責務は果たしているが、それ以上に充実している。
……あの令嬢に出会ったのは、充実する私生活ではなく責務の場の一つではあったけれど。
――シャーロット・ランスリー。
メイソード王国筆頭公爵家、その令嬢。
それは八歳の時、私の婚約者候補たちとの、顔合わせの茶会で。
シャーロット嬢は、その身分から言っても婚約者候補筆頭であったのだと思う。ただ、まだ弱冠七歳の少女であったからか、はたまた極度の人見知りという噂の所為なのか。その少女はそれまで、一度も公の場に顔を出したことはなかった。
だからだろう。彼女は私の次に、注目を集める存在だった。
もちろん、彼女の髪色のことも多分に関係していたのだろうけれども。
私も例にもれず、その色に惹きつけられたのだから、人のことは言えないが。
――惹きつけられた。その表現は、正しいだろう。大人も子供も多くいる中で、一際視線を集める存在。
その少女は、息をのむほどに美しかった。
艶やかな黒髪は腰まで伸ばされて、さらさらと揺れている。こぼれそうに大きいアメジストの瞳は宝石のようにきらめいて、長い睫毛に縁どられている。透き通るような白い肌は髪の黒と瞳の紫と、完璧な対比を描いていた。華奢な身体に薄い青のドレスを纏う。
作り物かと思うほどの美貌。
周囲から常に称賛を浴び続ける私のそれと比べても遜色ない――いや、むしろ凌駕しているであろうそれは、なるほど惹かれずにはいられない。令嬢の幼さや気性もあろうが、公爵自身が必死になって隠していたのではないだろうか?
そんな存在だったから、自分の婚約者最有力候補であるという事もあってずっと観察していたのだ。その完璧な美貌から、きっと中身も完璧なのだろうと、期待して。傍に控える教育係殿や父王なども多少はそういう目で、きっと見ていた。
――が。
私のそんな期待、いや周囲の期待は令嬢自身によってガラガラと音を立てて崩された。
もう、木端微塵に壊された。
心なしかわが有能で面倒臭い教育係殿は鼻で笑った気がする。父である国王は至極楽しそうだったけれど。
さて、令嬢の何が期待を木端にしたかと言えば、まず、噂以上に極度過ぎる人見知りだ。親たるランスリー公爵の陰から出てこない。ずっとその脚にしがみついている。おどおどと周囲をうかがってガタガタと震えているのだ。
私は不可解な顔しかできなかった。
――なんだ、あの生き物は?
可愛らしいとか微笑ましいとかを通り越して、気絶寸前のその様相。逆にこっちが恐怖を覚える。いったい何に怯えているのか? 対人恐怖症なのか? ここで倒れるのは遠慮してほしい。
美貌の令嬢から、いつぶっ倒れるかわからない危険人物へと認識を改めるのに、長い時間は必要なかった。
周りから当初とは違う意味で注目を集め、大人たちがハラハラするなか、もちろん主催たる私たち王族の所へ、その少女が来たときには、貼り付けた笑顔が引き攣るかと思うほどに震えていた。
というか輪郭がぶれていた。そんなの初めて見た。
彼女の周囲限定で地震でも起きているのだろうか、意味が分からない。
コケるだろうな、と思った。
――で、案の定令嬢は体勢を崩した。私の、目の前で。
まあ、コケるとは思っていたし、慌てることなく腕を差し出そうとすることはできた。私の対応は間違っていなかったと今でも思う。
が。
その気遣いはすべて無駄に終わった。
なぜか?
その令嬢、いったいどこにそんな根性があったのか、崩れる寸前で体勢を立て直したのだ。
そしてがくがくに震えながら挨拶だけはしていった。声までブレブレで正直片言にしか聞こえなかった。
私は再度思った。
――なんだ、あの生き物は?
この中途半端に差し出したまま引っ込めることもできなかった腕をどうすればいい。
というかこの空気をどうすればいい?
我が有能で面倒臭い教育係殿は何も見なかったことにしているし、我が父である国王は穏やかな顔の裏で全力で笑いをこらえている。母たる王妃がその後ろで完璧な微笑を張り付けたまま父をつねりあげていたので通常運転だったけれど。公式の場で切実にやめて欲しい。そして兄よ、そんな哀れを含んだ眼で見ないでほしい。
そして原因足る令嬢はその後、やっぱり気を失ったらしく両親に連れ去られて風のように茶会から消えた。
その令嬢はそれっきり、また公爵家に引きこもってしまったという。私はこれによって、最有力候補から完全に彼女を転落させた。
あの病気かと思うほどの人見知り具合では、とても王族としての務めをこなせまい。なぜなら王族というのは厚顔が多大に必要とされるからだ。
人前に出ることが格段に多いし、本音はほぼほぼ必要がない。
それが出来るかできないかではなく、出来なければならない。
まあ私はできるから楽にしていられるわけだが。
だがあの令嬢は、そんなことになったら、多分泡を吹いて倒れると思う。
だから、これは恐らく良心だ。彼女は私の中では候補から除外された。周りから見れば、彼女はその肩書きで未だ最有力候補であり続けたのだが。
――それ以来何の音さたもない令嬢のことは、だんだん私の中では薄れて行った。
再びその存在を思い出すことになるのは、茶会から二年後……十歳の時だった。
何でも、ランスリー公爵家を不幸が襲い、公爵および公爵夫人が立て続けに亡くなったのだという。残されたのは、たった一人の令嬢――彼女だけ。
何か悔みを言うべきとは思った。一応表面上は、いまだ彼女は婚約者候補であるのだ。けれども、行動を起こす前に彼女は候補からも正式に外されてしまい、機会は失われた。領地には領主代理の人間が送り込まれたという。私は会ったことがないが、力量は申し分ないもののどこか父には引っかかる部分があるようだ。どうも根回しによってどうしてもほかの人物を回すことができなかったことも察している。父が眉を寄せていた姿は珍しかった。
シャーロット・ランスリー。彼女はこれから、どこか不穏さの漂う人物の下でどう生きてゆくのだろう。
あの人見知りの令嬢は、絶対領主代理とうまくいかないだろうが。
だが、まあ私に現時点で出来ることもないし何か手を回す義理もない。公爵領が荒れるのは国としても問題だが、領主代理について懸念はあっても証拠がつかめないのだから口出しも難しいだろう。
令嬢はさして問題ではないが、領地に問題が起こる前には尻尾を掴みたいものだ。
……そう思って、しばらく。
間諜を放ってもなかなか証拠をそろえられなかったころ。
かの領地から、不可解なうわさを聞いた。
曰く、『ランスリー公爵家の怪』。
……。
何だそれは。怪談か?
眉を顰めたのもつかの間。次々と持ち帰られる情報に、私は目を丸くした。
何と、公爵領の経営が持ち直しているというのだ。
領主代理が鬼気迫る顔で奔走しているとか。
鬼気迫るってどういうことだ。証拠こそつかませなかったが、不穏なうわさは絶えなかった人物が今更何を思ってそうなった?
……何かある、と思った。
しかしその『何か』を掴む前に、王宮に早馬が届く。
その知らせがもたらしたのは、ランスリー公爵領主代理の不正、汚職、犯罪行為の証拠一覧。私が掴もうと思ってつかめなかった確固たる証拠の数々。揺るぎないそれらに父王は驚愕した後に目を輝かせて領主代理の男を断罪した。
騙された、とか約束が違う、とか領主代理は叫んでいたそうだ。何のことかはよくわからない。
――そうして、それに際してシャーロット嬢も一度だけ登城している。
またぶっ倒れるのでは……? そんなことを私は思っていたが、ここでも私は目を丸くさせられた。
私より一歳年下であるはずのその令嬢は、どこまでも堂々としていたのだ。
王の前ではきはきとしゃべり、しっかりとした足取りで退出していった。
そこにあの病的なまでの人見知りの陰はなかった。
私はその様を陰から見ていたから、令嬢が気付くことはなかったようだが。
――興味が、湧いた。
断罪された元領主代理よりも、何よりも、一体あの令嬢に、何があったというのだろう。
面白い。
だから私は、折を見て公爵家を訪問することにしたのだ。
根回しは難しくなかった。父王も賛同してくれたから、なおさらに。
自然と口角が上がる。あの令嬢が、どんな反応をするのかが楽しみで仕方がなかった。
さあ、どうやって追い詰めようか。
どんな手を使っても、その秘密を暴いてみたい―――。