二十数秒間の永遠
夕焼けの柔らかな光が差し込む、午後五時過ぎ。君のいる美術部が終わる時間。北校舎の奥の空き教室にて。
コンクールを間近に控えた音楽部の奏でる伸びやかな音色に包まれながら僕は君と向き合っていた。まだなぜ呼び出されたのか解っていないような、きょとんとした表情の君に。
「どう、したの?」
こんな状況に置かれて解らない事も無いだろうに。
そんな、どこか抜けた所のある君も、僕は大好きだけど。
一つ小さく息を吸って、僕は君に告げよう。真っ直ぐで、気恥ずかしくなるような、この気持ちを。
「ず、ずっ」
強張った頬と乾いた唇を無理やりに動かして、僕は言葉を紡いでいく。
「ずっと前からっ」
そう、ずっと前から、君の事が。
「大好きでしたっ!」
頭の辺りがじーんと痺れて、もうなんにも考えられなくなった。
永遠にも感じられる数秒間の後、君の口が蠢く。
「あ、あの、その」
そして君は顔を真っ赤に染めて、言った。
「ごめんなさいっ!」
頭を下げる君を見ながら僕は妙に冷え切ってしまった頭で考える。きっとずっと先には「学生の時の思い出」として、幾分か美化された記憶が呼び起こされるんだろうな、なんて事を。今すぐに立ち直るのはとても無理そうだけど。
「どう、したの?」
僕がずっと黙りこくっていることを不思議に思ったのだろう。君はきょとんとした表情で僕を見つめていた。
「あ、いや」
照れ隠しに僕は頭を掻く。
いつも通りの言葉を交わせばまだ、仲のいい友達、のままでいられないかな。ただ無邪気に笑い合えるかな。とか考えるけれど。叶うはずもないのに、今の告白で否応なしに関係は変わってしまうのに。僕は努めて平静に、
「ん、じゃあ、また」
とだけ言った。
何か言いたげに口をパクパクさせる君を尻目に、僕は教室の引き戸に身体を滑り込ませる。それから僕は、逃げるように廊下を駆け出した。
自分の教室に置いてきた学生鞄を取って、さっさと帰ろう。泣くのは、家に帰ってからだ。
ガラリ、と引き戸を開けて教室に入る。
一番隅にある自分の席に向かっているとき、不意に視界が滲む。学生服の袖で目頭をごしごしと擦った。
「どう、したの?」
君がそこに立っていた。
「あ、うう」
泣き顔は見せたくないのに、涙が溢れて、止まらなかった。困惑してしまったのか、君は僕の背をなでながら「どうしたの?」を繰り返していた。
そこで、違和感に気付く。
この教室は、こんなに西日が強かったっけ?
堰を切ったように、違和感が溢れ出していた。
音楽部の演奏している曲が、変わっていない。それにここに君がいることもおかしい。君の教室は二つ横の教室だ。それに僕は走ってこの教室に来たはずだ。後から来たのならまだ分かるが、違う。君はそこに立って「いた」んだから。
「どう、したの?」
視界が、切り替わった。
僕はぐりぐりと目を動かす。
「ああ」
ここは、僕の教室じゃない。ここは――
「なあ、ここって、どこか解る?」
君には僕の質問がとても滑稽なものに思えただろう。そんな事は解りきったことだ。
君は、歯切れの悪いいつもの話し方で、答えた。
「あ、空き教室、だけど?」
僕は笑う。はじめは緩やかに、そして少しずつ壮絶に。
笑う。
「ねぇ、どうしたの!」
君は、むしろ悲鳴に近い声で。問いかけた。
「煩い!」
そうとだけ言って、僕は逃げ出す。外へ、外へ。どこかへ、どこか遠くへ。
途中で足を挫いたのか、足首からじんわりと痛みが突き上げるけれど、そんな事には構っていられるものか。走れ、走れ。走れ、走れ!
「どう、したの?」
視界が、切り替わった。
上がった息も、挫いた足も、全部全部元通り。
僕は息を一つ吸うこともなく、自然に言った。
「ずっと前から好きでした」
せり上げてくる吐き気を押し殺しながら、君の返答を待つ。
「あ、あの、その」
反吐が出そうだ。
「ごめんなさいっが!」
殴った。ノーモーションで。
「う、ふへ」
口の端から、吐瀉物が漏れ出てくる。押さえつけても、出てくる、出てくる。吐瀉物と血に塗れた手を眺めながら、僕は口を無理やりに嗤いの形に捻じ曲げる。異常を察知した誰かが、教室に入ってくる。
「気持ち悪い」
そう言ったのは、誰だろうか。
出入り口とは逆の方へ歩き出し、鈍重な動きで、窓から身を投げ出した。
地面と、死が近づいてくる――――
「どう、したの?」
視界が、切り替わった。