0話 目覚め
気がつくとそこはなんとも女性らしい部屋だった。
家具は白で統一されていて、細かな装飾が質の良さを表している。正面にある巨大なベッドは天涯つきだ。
後ろには、窓があった。いや、大きさからして窓というより扉と呼んだ方が正しいのかもしれない。不思議とガラスの向こうは見えず、ただ眩しく光だけが射し込んでいる。
左側には果てがないほど続く本棚。図書館の様に整然と列がつくられている。
右側にはまわりとは違った異質な風景。大小様々な黒い機械が床を埋めつくし、中央には大きなモニターがある。
モニターには幾つものページが開かれていたが、中央にひとつ開かれていたページにはこう書かれていた。
『転移が完了しました』
転移、魔法の様なものだろうか。
しかし現実に起きているとは思えない。
この部屋の住人のしていたゲームか何かの話なのだろう。
ここにきてからずっと感じていた違和感があった。辺りをぐるりと見回す。
壁が、ない。白くぼんやりと発光しているようで、先が見えない。
近づいて確認しようと立ち上がろうとしたが、それは不可能だった。
なぜなら今の自分には身体が無かったからだ。
ふわふわと宙に浮いている発光体。それが今の私だった。
最も重大な違和感に今更気がついた私は馬鹿なのだろうか。死んだのだろうか。
きっと今私は夢を見ているのだろう。
残念ながら身体がないので頬をつねることすら出来ないが。
そこでふと思った。『私』の身体はどんなだった?
さっきまでのぼーっとした頭が段々冴えてきた気がした。
自分の身体を思い出そうとした。しかし、もやっとした霧の様なものが記憶の邪魔をして思い出すことが出来ない。
一般常識はわかる。だが、自分について思い出せなかった。
ふいに正面の白い毛布が動いた。
先程は気が付かなかったが、どうやらこの空間の住人がベッドで寝ていたらしい。
うなり声と共にむくりと起き上がった。
その住人は、美しかった。
艶のいい金髪のロングで、さらりと垂れ下がったその髪はベッドに大きく広がるほど長い。
寝間着のシルクシャツは襟が大きく開いており、豊満な胸があらわになっている。
目鼻立ちがくっきりとした美貌で、目元のほくろが色っぽさを演出している。
彼女はベッドから降りると、こちらに向かってきて目の前で立ち止まった。いまの私に目はないが。
そして、紫色の瞳でこちらをじっくりと観察しながら私の回りをぐるりと一周した。
「いいじゃない。」
そういうと微笑んだ。どこか悪巧みしているようなそんな表情だ。
―――誰?
どうやら身体が無い私に声を出すことは出来ないらしい。
代わりに頭の中で少女の声が響いた。
「私は色欲の女神ルクスリア。色欲の女神様かルクス様、とでも呼んで。」
よし、女神サマでいこう。
――ここは?
「ここは仕事場よ。創造神様から与えられた私の仕事場所。色欲の女神にしては落ち着いた部屋でしょう?私個人の空間はまた別にあるのよ。安心した?」
何に安心しろと。よくわからない女神だ。馬鹿なのだろうか。
「口が悪いわね。全部聞こえてるわよ。」
女神サマは心のなかもお見通しということか。面倒な夢だ。
「夢…?残念だけど、これは夢ではないわ。私は貴女の魂だけこの空間に転移させたのよ。信じがたいでしょうけど、これは事実よ。」
いきなり夢ではないといわれてもいまいち実感が沸かないが。まあ、取り敢えずは信じておくことにしよう。順応性が高いのだ。私は。
「そう。…じゃあ、貴方をここに転移させてきた目的について話しましょうか。
――結論からいうわ。私の暇潰しよ。」
せめて結論は最後にしてほしかった。
一気にテンションが下がった。
女神サマの暇潰しなんて、面倒そうなことしか思い付かない。命を懸けることになんかになったら最悪だ。
「ああ、命を懸けて戦うなんてことにはならないわ。むしろ嬉しいことよ。…………私はね、貴方に逆ハーレムを与えるためにここに喚んだの。喜びなさい。」
…どうしよう。戦うより面倒そうだ。喜ぶどころか溜め息をつきたいところだ。身体があれば。
「ふふっ…私は貴方のそんなところが気に入ってるわ。まあ、貴女に拒否権はないわ。」
理不尽だ。神は全員こんなのばかりなのだろうか。
「色欲の女神様の暇潰しなんだから、当然色恋沙汰に決まっているじゃない。仕事が無いから、女の子にハーレムでもさせようかと思ったのよ。」
女神のくせしてニートだったか。仕事が無いから本物の人間で乙女ゲームとか本当にこの女は神だろうか。
「二ッ…ニート……
でもまあ、普通の女の子だとただその子が楽しくて終わりじゃない?どうせなら面白そうな子にさせたほうがいいと思ったの。それに、意思の強い子じゃないと状況に耐えられなくて狂ってしまうかもしれないし。」
私にどんな逆ハーレムをさせるつもりなんだろうか。
常人なら狂ってしまうような状況なんてどう考えても拷問ではないか。
そして私は常人ではないのか。
「貴女、今自分の記憶が無いでしょう?記憶の混乱を防ぐために封印しておいてるのよ。前世と現世の記憶両方を。」
――前世?
「ええ。貴女は転生者。前世で死んだ後、貴女の記憶は封印して、私の創った世界に転生させたの。」
――封印したら意味がないんじゃ?
「今その封印を解くのよ。…魂の馴染みとかいろいろあるの。現世だと今貴女は15歳、中学の卒業式の夜よ。」
――…なぜ封印を?
「現世は私の作った世界って言ったでしょう?現世はね、貴女の言った通り乙女ゲームを基にして創ったの。最初から貴女に記憶があったら周りの人間のキャラクターが変わってしまうでしょ?」
――そうですか…………。
「私の目的は逆ハーレムに置かれた貴女の人生を観ることだから、現世に戻ったら自由にしていいわよ。でも、あんまり面白くないことしたら駄目よ。穏便に生きようとか考えないほうがいいわ。……まあ、しようとしても無理だろうけど。」
もう何も言うまい。成るようになる。そう信じたい。
「じゃあ貴女の記憶の封印を解くわね。」
そう言うと彼女は右側の機械類の前に立ち、モニターに手をかざすように操作し始めた。
そこは魔法で、指を鳴らしたら封印が解ける、みたいな風にはならないのだろうか。
「大切な事は手動のほうが安全なのよ。…………じゃあいくわよ。」
彼女がモニターの《OK》ボタンに手をかざした瞬間、頭のなかにあった何かがふわりと消えていった様な気がした。
そして思い出した。私の生涯を。