~プロローグ~
それは一瞬の出来事だった。
彼女は僕の手を振り払い、道路へ飛び出した。
止めようとするもすでに遅く、横から来ていたトラックにぶつかり彼女の体は高く跳ね上がって地面に叩きつけられた。
ドスッ。
彼女の悲鳴と、そんな音が周囲に鳴り響いたが、トラックの運転手は何事もなかったかのように行ってしまった。
彼女の小さい体からは、真っ赤な血がじわじわとでてきて、彼女の真っ白な体を染めてゆく。
ちらりとこちらをみた女の人がいたが、彼女は嫌な顔をしたかと思うと足早に去って行った。
その間にも、彼女の体は行き交う車によって潰されてゆく。
「なんなのあれ?汚いわね。」
誰かがそんなことを言った。すると隣にいた人も、
「本当、汚いわ。」
と頷いた。
「あんなもの誰が片づけるのかしら。」また他の人が言った。
「匂いがひどくならないうちに早くどこかへやってほしいわ。」汚いものを見る目でその人はそう言った。
(キタナイ?アンナモノ?カタス?ドコカヘヤッテホシイ?キタナイ?アンナモノ?ドコカヘヤッテホシイ?……)
吐き出された言葉が頭の中をぐるぐると駆け回る。
僕はどうすることもできずにその場に立ち尽くしていた。
一筋の涙が頬を流れていく。
最悪な夢だった。
頬には涙のあとがある。
「もうずっと思い出さないように心の奥に閉まっておいたものなのに、どうして今更夢でてくるんだよ……。」
空に向かって問いかけた。そんなことを言っても誰かが答えてくれるわけ無いことぐらい解っているのに。
今日も雲一つ無い快晴だ。太陽が眩しい。まるでさっき見た夢が嘘だったかのようにすっきりしてる。
そう。あれが起きた日も今日みたいな青く澄みきった空だった。
最悪な目覚めだったから、気晴らしに散歩にでも行くか。そう思い、街を歩き回ることにした。
この街は、猫にとってはとても住み心地がいい。魚屋のおじさんは、いつも余った魚を漁場でもらってきて、僕たちに食べさせてくれる。八百屋のおばさんは牛乳をくれる。八百屋なのに牛乳をくれるなんておもしろいよね。肉屋のおじさんもおばさんも僕たち猫を可愛がってくれるし、みんな優しくていい人だ。
そう。前に住んでいたところなんかよりすごくすごくいいところだ。
「やぁ、クロ。今日も随分と眠そうだね。」
突然後ろから声がした。振り返ると、ひげをぴくぴくさせてなにやらご機嫌な様子のトラがいた。クロというのは僕の呼び名。体が真っ黒だからそう呼ばれている。トラも、トラ猫だからそう呼ばれている。僕たちに名前なんか無い。僕たちは野良猫だからね。
「そんなに眠そうに見えるかい?」
苦笑いしながらそう答えると
「見えるよ。まぁ、クロはいつも眠そうにしてるけどね。」
楽しそうに彼は言った。
「そんなことよりトラ、何か良いことでもあったの?」
「えっ?どうしてわかったの?」
驚いた顔で聞く彼に
「そりゃ、君を見ていれば誰にでもわかるよ。ひげはぴくぴく、顔にこにこしてる。それにさっきから喋り方が嬉しそうだからね。」
澄ました顔で僕は答えてみせた。
「驚いたなぁ。やっぱりクロはすごいや!」
そんなことを平気で言ってしまうのだから照れてしまう。
そして彼は、一層にこにこしながら
「あのね、聞いてくれるかい?僕が今嬉しそうにしている訳を!」
あぁ、もちろんさ。そういうとかれは嬉しそうに、そしてどこか自慢気に話し始めた。