二本の木
「健太、買いもんに行ってきて、航太もっ」
「なに買うんっ!」
返事をしながら健太が台所に走る、航太も負けていない。他の用事なら母さんの声が大きくなるまで聞こえないふりをするのだが、この用事ばかりはちょっと話が違った。
母さんの機嫌がいつもと同じなら一人百円くらいの買い物が許されるはずなのだ。
「お菓子買うてええんっ」
「一人百円までやでっ、アグルも連れていって」
アグルの散歩が条件に付いたが、どっちにしてもアグルの散歩は健太と航太の仕事なので変わりはない。
健太は五年生、弟の航太は二年生で家から歩いて五分ほどの小学校に通っている。
近所のスーパーでの買い物が今回の任務である。
歩く途中で、アグルが何度もオシッコをガードレールの支柱にするので、その度に健太がリードを引っ張るのだが、小さい犬のわりに力が強く、結構いい勝負になる。
アグルはウエルッシュ・コーギーの雄犬。健太、航太の二人といつも一緒だから、アグルは二人を兄弟のように思っていた。
散歩のとき、健太や航太が車道に出ないようにアグルが歩道の内側に引っ張り、航太が川に降りようとすれば、吠えて止めさせた。
アグルからすれば何とも世話のやける兄弟だが、それでもアグルは二人が好きだし、一緒にいて楽しかった。
コープでの買い物が終わると、ちょうど学校の時計が二時を指していた。
「あの木のとこ行こか」
健太が少し興奮ぎみに言った。
あの木とは、公園がから見える大きな二本の木のことで、山の中腹あたりに大きく突き出ていて、他の木とは感じが違っていた。
「母さんに怒られる」
アグルを横目で見ながら心配そうに航太が言った。
「木まで行ってすぐに帰ってくるだけや」
いつになく、強い口調で健太が言った。
公園のトイレの裏にアグルを連れて登れそうな小さな谷間の道があった。先頭が健太、すぐ後ろに航太、最後にアグルが航太に引っ張られるように続く、長い間誰も山に入っていないのか、道がはっきり見えない。
しばらく登ったところで、急にアグルが歩かなくなった。航太が両手で思いっきり引っ張っても、二人に向かって吼え続け、来た道を帰ろうとする。
仕方なく、健太が木にアグルを繋いだ。
「待っとけ!」
健太がアグルに怒ったように言って、歩き出した。航太もあとに付いて歩いた。
山の中は暗くて、どの木が並んだ二本の木なのかよく分からない。どんどん暗くなってくるし、頭の上から黒い木がかぶさってくるようで、怖くて叫びだしそうになる。
航太が後ろを振り返って健太に聞いた。
「兄ちゃん帰る道、分かるん」
「まっすぐ降りたら、いいだけや」
そうは言ったものの、どっちに歩いたらいいのか、よく分からなくなっていた。
「やっぱり・・・帰ろか・・・」
さすがに心細くなって健太が言った。航太もうなずいた。
来た方に向かって降りだしたが、しばらくして今度は上り坂になった。
「兄ちゃん、この道違う」
「分かっとる」
健太は声が震えるのを必死に我慢して、来た道を戻りだした。
歩いてはいたが、帰る道がどっちなのか、まったく分からなくなっていた。
「あっ!」航太が叫んだ。
「兄ちゃん、アグルの声が聞こえる!」
「アグルっ!」
叫びながら航太が耳に手を当てた。
アグルは、二人の行った方に向かって吠え続
けていた。アグルは二人の匂いの動きで二人
が道に迷っているのが分かっていたのだ。
「こっちや」
健太が航太の手を引いて、アグルの声の方に走りだした。
小さな山を越えると木に繋がれたアグルが見えた。航太が「アグルっ!」と叫んだ。
アグルも二人を見つけて、後ろ足だけで立ち上がって吠えた。
健太がアグルのリードを持ち、航太の手を引いて公園に向かって思いっきり走った。航太も泣きながら思いっきり走った。
公園の真ん中に倒れこんで、航太はアグルの頭を撫でながら泣いた。健太は出来るだけ平気な顔をしようと努力したが、結局泣き出してしまった。
アグルは二人に何度も吠えた。