ひとつの願い
『ひとつの願い』
神様は、生まれてきた祝福として、
一生に一度だけ、本気で祈った願いを叶えてくださるという。
ほとんどの人は、その大切な願いを子どものころに使ってしまう。
「おもちゃがほしい。」
「弟がほしい。」
「あの子と仲良くなりたい。」
小さな願いも、大きな願いも、
神様は分け隔てなく叶えてくださる。
その願いが幸せにつながる人もいれば、
叶ったことで悲しみを知る人もいる。
それでも神様は、誰にでも平等だった。
あるところに、
その「ひとつの願い」を使わずに生きてきた男がいた。
子どものころから欲がなく、
必要以上のものは何も求めなかった。
風に流されるように暮らし、
ときどき、あてもなく旅に出る。
まるで、
何かを探し続けているような男だった。
ある日。
そんな男を見かねた神様は、
白い蛇を使いとして遣わした。
「私は神の使い。」
「願いをひとつ叶えてやろう。」
「お前は、何が望む。」
白い蛇は静かに尋ねた。
男は少し驚いたあと、
小さくうなずき、話し始めた。
「僕には前世の記憶があります。」
「ひとつの願いのことも知っています。」
前世で死ぬ前、
大切な人と約束をしたんです。
『今度生まれ変わったら、
どこにいても、必ず君を探し出す。』
「そう約束しました。」
男は遠くを見つめ、
長いため息をついた。
「でも、この歳になっても、
手がかりは何ひとつ見つかりません。
世界は思っていたより広くて、
残酷でした。
もし願いが叶うなら……
もう一度、彼女に会いたい。」
その瞬間、
いつも穏やかな男の頬を、
大粒の涙が伝った。
白い蛇は静かに目を閉じた。
「よかろう。
その願い、神様へ届けよう。」
そう言うと、
白い蛇は光となって消えていった。
そして月日は流れる。
男がいつものように歩いていると、
向こうから一匹の老犬が、
ゆっくりと歩いてきた。
足は震え、
今にも倒れそうだった。
男はその姿を見た瞬間、
崩れるように膝をついた。
あふれる涙が止まらない。
老犬も懸命に歩み寄り、
男の頬をそっと舐めた。
男は老犬を強く抱きしめた。
「遅くなって、ごめん。
よかった……
やっと……
やっと会えた。」
そこには、
言葉はいらないほど優しい時間が流れていた。
男にとって、
彼女と再び会えたことは、
何よりの幸せだった。
たとえ、
彼女が犬として生まれ変わっていたとしても。
けれど、
世界はやはり残酷だった。
犬は、人よりもずっと早く歳を重ねる。
男はまだ二十歳。
けれど彼女は、
人の年齢にすれば八十歳を超えていた。
きっと彼女もまた、
男を探して、
長い長い旅を続けてきたのだろう。
そして再会から数週間後。
彼女は男の腕の中で、
静かに最期の時を迎えようとしていた。
そのとき、
男の心に、
彼女の声が響いた。
「私もずっと、
あなたを探して歩いていたの。
でも、ときどき思ったの。
あなたは私を忘れてしまったのかもしれない。
そもそも、
あなたなんて本当はいなかったのかもしれないって。
それでも……
あなたも私を探していてくれた。
こうして、また会えた。
それだけで、
幸せな一生だったよ。」
男は何度も首を振った。
「お願いだ。置いていかないで。」
そう言って強く抱きしめると、
老犬は安心したように
男の頬へ顔を寄せ、
静かに息を引き取った。
夫婦杉のそばに建つ、
小さなお社。
白い蛇が神様に尋ねた。
「あれから男は、
どうなったのでしょう。」
神様は静かに答えた。
「あやつは、ほどなくして、
彼女のあとを追った。」
白い蛇はうつむいた。
「自ら命を絶つとは重い罪です。
もし会わなければ、
もっと長く生きられたのではないでしょうか。」
神様は、
やさしく首を横に振った。
「違う。
人というものは、
どれだけ長く生きたかではない。
何のために生きたかが大切なのだ。
あやつは、
一生をかけた願いを叶えた。
悔いはなかっただろう。」
男の部屋には、
一枚の写真が飾られていた。
そこには、
幸せそうに笑う男と、
一匹の老犬が写っていた。
白い蛇は、
まだ少し悲しそうだった。
「ですが……
自ら命を絶った…
男はもう生まれ変わることはできません。
二人は、
もう二度と会えないのでしょう。」
神様は空を見上げ、
静かに微笑んだ。
「いや。
実はあの犬は、
男を見つけたとき、
もし幸せに暮らしているのなら、
会わずに立ち去ろうと思っておった。
そして、
自分の記憶を消してほしいと願うつもりだった。」
白い蛇は驚いた。
神様は続けた。
「だが、最後の最後で願いを変えたのだ。」
「もうひとつの願いに。」
神様は目を閉じ、
そっとその願いを口にした。
『今度生まれ変わったら……
彼とずっと一緒にいられますように。』
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それから、長い長い年月が流れた。
深い森の奥で、
二本の小さな若木が、
肩を寄せ合うように芽吹いた。
風が吹くたび、
二本の枝はやさしく触れ合い、
まるで、
もう二度と離れないと約束するように、
静かに揺れていた。




