光の鍵盤、音の呼吸
スタジオ「Re:Tone」。
午前の光がガラス越しに静かに差し込む。
その光の中、雷はひとり立っていた。
白い床に伸びる黒と銀のライン。
ピアノの鍵盤を模した無数のライト――“光の鍵盤”。
前回の試作では不安定だった同期信号も修正され、指一本の動きで全ての光が反応する。
スイッチを押すと、柔らかな光が低音から高音へと流れた。
まるで音が光になったかのようだ。
雷は息をひとつ吐いた。
「……やっと、鳴るな」
光の鍵盤は単なる演出ではない。
耳を痛めた真理が、再び音を感じられるように――その願いを込めた装置だ。
テーブルの上には完成図面とコントロールユニット、そして風見鶏特製サンドイッチの包み紙。
「雷の分」とシャケが置いていったものだ。
三時間以上、手をつける暇もない。
端末の時計を確認し、雷は呟いた。
「登夢たち……そろそろ来てもいい頃だろう」
そのとき、外の駐車スペースに重なり合う排気音が響いた。
窓越しに見えるのは、登夢のBMW。
続いてシャケのXJと静耶のVTが並んで滑り込む。
雷の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「よし。第一陣、到着だな」
「ちょっと待て! マイクスタンド多すぎ! これ誰の分?」
「律臣だよ。三本同時に使うんだってさ」
「相変わらずだな、あのキーボード狂……」
燃は額の汗を拭いながら呟く。
ドラムケースの中にはステージ用のスティックが几帳面に並ぶ。
手際の良さは部長そのものだが、どこか背中に寂しさが漂っている。
やがて、雷とシャケが台車を押してやってきた。
「照明機材、確保完了。ついでにコーヒーも買ってきたぞ」
「助かる! あとは待つだけだな」
雷は手にした図面を広げる。
そこには、ステージ照明の配置図。
大小のスポットライトが鍵盤のように並ぶ。
「真理の聴力はまだ完全じゃない。だから光で音を補う。
ピアノの鍵盤に合わせてライトを点灯させれば、
彼女はリズムと音階を“目で”感じ取れる」
「……音の代わりに光で歌う、と言うことか」
登夢は感嘆の声を漏らす。
「安全設計も更新済だ。
あの事故を、今度は音に変えるためのステージだ」
雷はケーブルを束ねながら説明する。
「ライトの点灯パターンは俺がプログラムする。
MIDIで律臣のキーボードと同期できるはずだ」
「信頼してる」
雷がにやりと笑う。
控室のドアが静かに開き、真理が現れた。
白いイヤモニを片耳に、少し不安げな表情。
「準備、進んでる?」
「もちろん!」燃が親指を立てる。
「今回は倒れないし、刺されない。安心して歌え」
「……物騒な安心のさせ方ね」
真理は苦笑したが、どこか嬉しそうだった。
光差し込むスタジオ中央へ歩き、ステージの床のライトを見て目を細める。
「……ピアノの鍵盤みたい」
「律臣の設計だ」
登夢が答えると、真理は小さく頷いた。
「ありがとう、みんな。
耳はまだ完全じゃないけど……もう怖くない」
その言葉で、空気が少し熱を帯びる。
誰もが、彼女の声を信じていた。
午後、スタジオ前の坂道に二台のトラックが滑り込む。
白地に黒文字――《草薙建設 特別班》。
「……来たな」
登夢が呟くと、雷は図面を手に駆け寄る。
燃はドラムケースに腰を下ろし、作業服姿の男たちを見て口笛を鳴らす。
「さすが“特別班”。空気がピリッと変わる」
「本職中の本職だからな」
登夢は苦笑する。
「彼らが組んだ足場に立てば、どんな照明も倒れない」
先頭の五十代半ばの男が登夢に歩み寄る。
日焼けした顔に深い皺。草薙流の紋入り腕章。
「若、現場確認に参りました」
「……南雲さん。いつもすみません」
「なにを仰います。若の頼みとあらば、命を張ってでも舞台を組み上げます」
南雲の背中からは、長年の現場で培われた気迫がにじみ出ていた。
作業が始まると、脚立が立ち、パイプがつながり、鋼の骨組みが天井へ伸びる。
トラスの金属音が乾いて響き、スタジオは一気に戦場の熱気に包まれた。
雷が図面を抱え、南雲に声をかける。
「光が中央に集まる角度、ここで大丈夫ですか?」
「了解です。十五度ほど下げますが問題なし」
登夢は頷く。
「……任せます。南雲さんの勘を信じてます」
「ありがたきお言葉」
南雲が合図すると、特別班が一斉に動く。
その統率は軍隊のようでありながら、温かみもある。
谷神姉妹が息を呑む。
「……武道の演舞みたい」
「流儀があるんだね。登夢くんの家って、そういう家だから」
二人は小声で頷き合った。
鉄骨が組み上がり、ライトが吊るされる。
光の鍵盤が天井に浮かぶ。
雷がテストスイッチを入れると、白と琥珀の光が滑らかに流れる。
「……これで、真理の音が見える」
シャケが小さく呟く。
南雲は微笑み、登夢の背を軽く叩く。
「若、この光……まるで“音の呼吸”のようですな」
「音と光で、もう一度みんなをつなげたいんです」
「よい心意気です。技も建築も、心がなければ立たん。
それを忘れぬ限り、草薙の名は錆びません」
夕暮れ、すべてのライトが整い、特別班の仕事は完了。
南雲は仲間たちを振り返り、無言で頷く。
その静寂に、長年の信頼が宿っていた。
「若、準備は万端です」
「……ありがとうございます。本当に」
登夢が深く頭を下げる。
南雲は一歩下がり、柔らかく笑った。
「我らの技は光の下でこそ映える。
あとは若たちの音が、この舞台に魂を入れてくだされ」
夜、スタジオの照明テスト。
真理の前に広がる光の鍵盤が静かに瞬く。
音が鳴り、光が応える。
「……聴こえる」
真理の唇が震えた。
「音が、光で見える」
雷が頷き、シャケが微笑む。
登夢は拳を握り、南雲たちの組んだステージを見上げた。
その光の下で――彼らの青春は、再び動き出していた。




