第4話「硝子に、たとえる」
「良かった……普通に話ができて」
顔と名前だけは知っているから、私たちは久しぶりでもある。
でも、こうして親しく同い年として言葉を交わすのは、ほぼほぼ初めまして。
久しぶりでもあって、初めましてという特異な関係性だから、互いに余計な力が入ってしまうのかもしれない。
「緊張してました……?」
「すっごく」
声色に変化をつけて、会話を通して相手を楽しませようという気遣いが伝わってくる。
でも、河原くんは昔のような綺麗な笑顔を取り戻すことができていない。
「ちっちゃいときから知ってるのに、初めましてとか……ね」
「どうしても、同性でグループを作ってしまいますからね」
「あー、確かに、俺が羽澤さんと仲良くってのも難しいのか」
ピアサポートという名称に囚われすぎて、体も頭もかちこちに固まってしまった。
ピアサポート部員は、話し相手の緊張を解す側にならないといけない。
それを理解していながらも、私が緊張せずに話せるような環境を整えてくれた河原くんには感謝してもしきれない。
「今だから、の、関係ですね」
「高校生になるってのも、いいかもね」
無理に作り上げた笑顔を保とうとする彼は、まるで硝子のように脆いもののように感じた。
硝子にたとえるという表現を見かけることはあったけど、こうして現実で使う機会があるたとえだと思うと再び胸がちくりと痛む。
「羽澤さんは、進路、決めてる?」
その、感じた痛みに、重くのしかかる言葉が聴覚に響いた。
「って、入学したばっかなのに、焦りすぎか」
彼は、窓の外の青空を見つめた。
私は彼の言葉が何度も何度も頭を過るようになって、青い空を一緒に見上げることができなくなってしまった。
「でも、先生たち、言ってたよね」
言葉で傷ついた人は、ずっと塞がることのない傷跡を抱えて生きていく。
それなのに、傷を与えた側の人は、傷をつけたことすら忘れてしまうって言われている。
いじめの話をするときに、よく出てくる話。
いじめられた人は、いじめられたことをずっと覚えている。
いじめた人は、いじめたことすら忘れて幸せになってしまう。
そんな幼い頃から繰り返し紡がれてきた言葉が、頭の中を駆け巡る。
「今日からが、大学受験の始まりだって」
先生たちは、入学したばかりの生徒を傷つけるために発言したわけではない。
先生たちは、入学したばかりの生徒の未来を想って発言しただけに過ぎない。
それは、分かってる。
それは、理解している。
でも、入学式で、先生たちの言葉に傷ついた人は私だけではなかった。
「大学受験しない人だっているのに、ね」
春の柔らかな光が、校舎の窓から差し込んでくるのが理想の高校生活の始まりだった。
でも、現実の高校生活は、まだ寒さを感じるほどの冷たさが私たちを包み込む。
少し硬さを感じてしまう新品の制服は、入学したばかりの生徒たちに更なる窮屈さを押しつけてくる。
「……河原くんには、夢があるんですね」
「どうして?」
「さっきの言葉に、間ができていたので」
大学受験しない人だっているのに、ね。
その言葉の、一瞬の隙に私は気づいた。
「反発したい気持ちがあるのかなって」
一瞬だけ目を見開いた河原くんだったけど、すぐにいつもの表情を失った河原くんに戻ってしまった。
「なんで、大学に進学すること一択なんだろ」
言葉の重さに、教室の空気が一瞬だけ止まったように感じてしまった。
「大学に行けば、大抵のことはなんとかなるって大人は言いますよね」
「うん。だから、分からなくなる」
将来の夢というものが、まだぼんやりとしている。
大学に進学するべきか、就職するべきか、留学するべきか、その他の進路を選択するべきか。
選ぶことができない人だっているのに、先生たちは大学に進学することが最適解と言わんばかりの言葉を生徒たちにばら撒いてくる。
「新しい夢を見つけたいのに、新しい夢が見つからない」
私たちは言葉を交わし合っているはずなのに、視線は交わらないまま。
河原くんは窓向こうの青い空を見つめたままで、私は彼に視線を向けたまま。
それが不快というわけではなく、あ、私たちは他人なんだってことを痛感させられた。
相手のために何もできないって、こういうことを言うんだって思った。
「中学のときの離任式で、夢を持ちなさいって言われたの……覚えてる?」
ほとんど会話をしたことのない私たちだけど、共通の思い出は記憶に残っている。
「澤崎先生、でしたよね」
「そう、俺たちの学年は一切、世話になったことなかったけどね」
「柔道部くらいしか接点なかったですけど、あのときの離任式は強烈でしたね」
暦の上では春を示す頃合いになってきたのに、曇り空が続いている体育館は一向に暖かくならない。
それでも学校を去る先生たちを送るために離任式が開かれ、嫌でも春の到来を知らせてきた。
「今も、澤崎先生の言葉が記憶に残ってて……」
お世話になった先生が壇上にいない生徒たちは退屈を隠そうともせず、ただただ周囲に合わせて拍手を送るという時間が長く続いた。そんな空気の中、マイクの前に一人の先生が立った。
「君たちには、ひとつだけ足りないものがある」
河原くんは威厳を感じさせるような声を作り込んで、中学一年生のときの離任式を再現してくれた。
「それは、情熱だって」
澤崎先生は主に三年生の学年を担当していたこともあって、体育館にいた大半の生徒たちは先生との深い絆を結んでいない。
どこか遠くを見つめていた生徒たちの視線を、一斉にかき集めるだけの力ある喋りをしたのが澤崎先生だった。
「夢に向かって、もっと情熱を持ちなさい。夢に向かって、もっと命を懸けなさい」
体育館全体に響き渡るような澤崎先生の話に誰もが耳を傾けた、あの瞬間。