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第3話「一緒に合格」

「羽澤さん」

「初めまして! 一年二組の……」


 勢いよく振り返った。

 男子生徒が私の苗字を呼ぶタイミングと、私の自己紹介のタイミングが重なった。

 私が、彼の目を見なかったことが原因で事故は起きてしまった。


「すみません! 下手くそな自己紹介で……」

「ううん、俺のために一生懸命ありがとう」


 初対面の彼に、お礼を言われる。

 初回から大失敗したなって後悔に駆られそうになったけど、私がようやく彼を視界に入れることで、自分の世界に色が増え始める。


「久しぶり、羽澤灯里(はねさわあかり)さん」

河原(かわはら)梓那(しいな)くん……」


 色が増えた世界で見た彼は、中学時代のときのような煌びやかな空気をまとっていなかった。


「一緒に合格できたね」


 上手く笑顔を浮かべることができなかった私と、みんなからの信頼をかき集めるような素敵な笑顔を浮かべることができる彼。

 正反対の生き方をしてきた私たちだったはずなのに、目の前にいる彼の表情は私と似ている。

 特に楽しいことも嬉しいこともないのに、笑えない。

 そんな空気をまとった彼に、私は言葉を失ってしまった。


「何回か羽澤さんを見かけたんだけど、男がわざわざ声をかけにいくのも……と思って」


 他人を勇気づける明るさを持っているはずなのに、今の彼からはお得意の笑顔というものが消えていた。

 声だけは昔と変わらずに柔らかい印象で話しかけてくれるのに、今は他人を元気づけるための笑みが彼には存在しない。


「クラスの違う羽澤さんと、どうやったら話ができるんだろうって考えて……」


 無理に笑顔を作ろうとしているのだけは伝わって、時折、口角が震えそうになる。

 この優しさ溢れる声すらも作りもの、偽物かもしれないって思うだけで、心がちくりとした痛みを感じた。


「羽澤さんが所属してるピアサポート部を利用したって流れ」


 小学校の六年間を共にしただけに過ぎない。

 私たちの関係は、それだけ希薄なものであることに間違いない。

 でも、小学校で過ごした六年間と、高校受験の日に声をかけてくれた彼のことを知っているからこその違和感が心に居残る。


「河原くん」


 無理に作り込んだ笑みも声も、確かに過去の彼を思い起こすような魅力がある。

 けれど、私はいつも通りを装おうとする彼を止めなければいけない。

 そんな使命感に駆られてしまった。


「楽にしてください」


 私が無理に笑わなくてもいいよと声をかけたところで、それらはすべて勘違いという可能性もないわけではない。

 彼が無理に笑顔を作ってたと告白してくれるまでは、私は彼の強がりに触れることができない。

 深野先生が私たちを『心理カウンセラー』ではないと言ったことを、しっかり頭に叩き込みながら二人分の椅子を用意する。


「羽澤さんも、力抜いてね」


 河原くん用の椅子を用意しようとすると、彼は私の手伝いに入ってくれた。


「肩に力、入りまくってる」


 こういう気遣いができるところが同い年の男の子と思えなくて、小学校だけでなく中学校でも女の子たちから大人気だったことを思い出す。

 中学時代は一度もクラスが同じにならなかったはずなのに、遠くから彼の人気が伝わってきたことを懐かしく思い返す。


「お互いに、リラックスですね」

「だね」


 いつだって河原くんの笑顔には温かさがあるのに、無理に作り込まれた笑顔は違和感しかない。

 軽い口調で言葉を返してくれるところはいつも通りなのに、その言葉の端々に重みを感じてしまうのは私が心配しすぎなのか。

 現実逃避の妄想が大好きになった結果、思い込みの激しい人間になってしまったのか。

 河原くんが言葉をくれない限り、私は彼に何もしてあげることができない。


「生徒二人で話ができるのって、面白いね」

「学校の一部屋を貸してもらえるって、なんだか贅沢ですよね」


 面白い。

 口では、そう言っているはずなのに、彼の表情は寂しそうに見えた。


「この部屋、太陽の光が差さないので寒いですね」


 心理カウンセラーの資格を持っていない高校生私たちは、悩み相談ごっこをするわけにはいかない。

 私たちにできることは、あくまで相手の話を聞くことだけ。


「羽澤さん。無理しないで、ブランケット使いな」


 ピアサポート部の活動は、教室にいつ誰が入ってきてもいいように公にしなければいけない。

 つまり、教室の扉を開けっぱなしにしなければいけないという決まりがある。

 四月に入って数週間しか経っていないこの時期は、まだまだ肌寒さが残っていて体が芯から冷えていくのを感じていたときに河原くんは声をかけてくれた。


「どっちがピアサポート部員かわからないですね。ありがとうございます」

「気にしなくていいよ」


 用意してあったブランケットを膝にかけて、ほんの少し回復した温もりに心が癒される。


「河原くんも、暑くなければ使ってください」

「ありがと」


 河原くんは、そこまで寒さを感じていないかもしれない。

 でも、河原くんはブランケットを受け取って、私と同じく膝にかけた。


「意外とブランケット使ってる人、少ないよね」

「本当に寒さに強い人と、強がっている人がいるのかもしれませんね」

「強がってもいいんだけど、高校の校舎めっちゃ寒くない?」


 ほとんど言葉を交わしたことがない私たちのはずなのに、次から次へと言葉が繋がっていく感覚を不思議に思った。

 それは私たちが初めましての関係ではないことを指しているのか、それとも気遣い屋さんの河原くんに無理をさせているのか。

 顔と名前くらいしか知らない仲では、何かを察することすら難しいのだと気づく。

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