第10話「蒼」
「私を幸せにしたってこと、覚えていてください」
胸の高鳴りを抑えきれず、波打ち際を歩き出す。
そして、彼がいる方向を振りむく。
「その経験を、河原くんの自信に」
同じ学校に通う同士として、教室でなんとなく視線を交わすだけだった彼が目の前にいる。
彼の存在に何度も助けられたことを思い出すと、胸が熱くなるのを感じた。
「私と出会ってくれて、ありがとうございます」
叶えたい夢が生まれたところで、未来でその夢を実現できるかどうかは分からない。
どんなに頑張りましたと言い張ったところで、周囲が私たちを必要としてくれなかったら夢を実現させることはできない。
だからこそ、手を差し伸べる。
「河原くんと一緒に、頑張って生きたいです」
太陽の光が次第に傾き始め、淡い青色の空は少しずつ朱色へと向かっていく。
「河原梓那くん」
好きという想いを込めて、私は彼の名前を呼んだ。
「私は、何度も会いに行きます」
私たちの人生に光が照らさないときもあるのに、世界はずっと美しさを保っているなんて狡いと思うときもある。
「必要でなくなる、その日まで。必ず、会いに行きますから」
でも、その美しさが保たれたままだからこそ、顔を上げたくなる衝動に駆られるときがある。
その美しさから逃げたくなるときがあるのも事実だけど、その美しさに手を伸ばしたくなるときがあるのも本当。
どれも、本当の私だからこそ、自分を受け入れることから逃げたくない。
「覚えていたい」
そっと、手が触れる。
「羽澤さんのこと、ずっと覚えていたい」
そっと、手が握られる。
「羽澤さんと見つけた言葉」
そっと、手を握り返す。
「羽澤さんと見つけた景色」
そっと、指を絡める。
「羽澤さんと見つけた感情」
自分の人生は自分だけのものといっても、その人生には関わってくれる人がいる。
全員が幸せのハッピーエンドは望めないとしても、登場人物全員が幸せになれるようなハッピーエンドのために努力は続いていく。
「羽澤さんを、大切って気持ち」
彼の背後に広がる空に、薄紅色の雲を見つけた。
太陽に別れを告げるように、形を変えていく雲が視界に入った。
でも、私たちの関係は別れで終わらせたくない。
「羽澤さんを、好きって気持ち」
砂浜を歩き続ける私たちの足跡が、波にさらわれるたびに消えていく。
でも、私たちの関係は消えてほしくない。
「受け取ってもらえる……?」
彼の手が震えることのないように、しっかりと彼の手を握る。
「私も、河原くんのことが大好きです」
波が足元に打ち寄せ、私たちは歩みを進める。
未来は果てしなく広がっているはずなのに、いつまで経っても未来はぼんやりとしている。
「俺も、逃げない」
互いの瞳が、揺らいでしまっていないか。
確かめようがないから、困ってしまう。
「今の人生、ちゃんと挑んでみせるよ」
精いっぱいの、笑顔。
精いっぱいが、いつか自然なものになるように。
「こんなの、俺らしくないかな」
「河原くんは、今も昔もかっこいいです」
「褒められると調子に乗っちゃうよ?」
「調子に乗ってください」
幼い頃からずっと一緒にいる私たちだけど、まだ数えられるほどの日数しか言葉を交わし合っていない。
たったそれだけの付き合いしか重ねていないはずなのに、私たちは新しく互いの良いところを知っていく。好きなところを見つけていく。
そして、いずれは嫌いなところも視界に入れてしまうようになる。
それは人間としてごく自然な流れで、誰も逆らうことができない。
「羽澤さんの心の傷も……」
「心って……少し大袈裟では?」
「心の傷も、深刻な傷のひとつ」
衝突するか、理解するか、避けて逃げるという選択肢が再び訪れるのか。
私たちは、これからどういう人間関係を構築していくのか。
「心の傷も、喜びも、幸せも、俺に分けてくれたら嬉しい」
「河原くんのも、ですよ」
「うん」
私たちは命ある限り、自分たちにできることを精いっぱいやっていく。
「俺たち、太陽に見られてる」
「え?」
これ以上の光はいらないってくらいの輝きを放つ太陽が、私たちの体温をどんどん上昇させていく。
「今日も、空が凄く綺麗だね」
「私も、同じことを思っています」
自分の気持ちに嘘を吐かないための、最終人生が始まっていく。




