第2話「ピアサポート部」
「失礼します」
職員室の扉を開けると、そこには顧問の先生が待っていた。
でも、扉を開けただけでは、生徒は先生の視界に入ることすらできない。
「一年二組の羽澤です。深野先生をお願いします」
中学のときまでは、自由に先生の元へと向かうことが許されていた。
でも、高校入学すると同時に、その行動には制限がかかることを知る。
「深野先生!」
職員室の入り口で、生徒は〇〇先生に用があってきたことを伝えなければいけない。
入り口付近の先生の負担が半端ないとは思うけれど、これが高校に入学してから知った窮屈なルール。
かつてテストのカンニング騒ぎがあって以降、入り口付近の先生に声をかけなければいけないという措置が取られてしまった。
過去に迷惑をかけた先輩のせいで、後輩は用のある先生に会いに行くことも許されなくなってしまった。
「羽澤さんっ」
視線を交えて、手招きをされて、ようやく私は目的の先生の元に向かうことを許される。
教職員の負担を減らす方向で世の中は動いているはずなのに、この高校独自の仕組みはなんなんだと疑問を呈したくなる。
でも、その疑問を投げやったところで、世界はそう簡単に変わらないということも知っている。
「このノートに、記録をお願いします」
深野先生の見た目は、四十代後半くらい。
英語系統の科目を教える男性の先生で、英語という単語が頭を過るだけで抵抗感を抱いてしまうのも事実。
それでも深野先生は穏やかな声と笑顔で生徒を出迎えてくれるから、凝り固まった緊張がほんの少し解れるのを感じる。
「リラックス。なるべく肩の力を抜きましょうね」
生徒に対して丁寧な喋り方をする深野先生は、すぐに私の緊張を見抜いて声をかけてくれる。
先生から授業を教わったことはないけれど、先生の英語の授業なら英語も好きになれたかもしれない。
ありもしない妄想に浸ることで大嫌いな英語の授業から逃避し、私は先生から記録ノートを受け取って職員室を後にした。
(ここからは、一人の活動)
私が所属しているのは、《《ピアサポート部》》という名称の部活動。
ピアサポートとは、同じような立場の人たち同士で支え合うための活動。
具体的には、病気や障がいを抱えていて、その生き辛さを仲間同士で支え合う。
これが、世間に浸透しているピアサポートという言葉。
『顧問と、ピアサポートの研修を担当する深野です』
学生生活を仲間が支えるために、思いやりを学んでいくための部活動。
それが、ピアサポート部。
『同じ学校に通う人たちの悩みを解決しなきゃいけない! そんなプレッシャーは抱えないでください』
ピアサポート部員の主な活動は、先輩や後輩・同級生の相談を聞くこと。
もしくは相手の話を聞く、聞き役を務めること。
『みんなは、心理カウンセラーではありません』
ただし、深野先生が説明している通り、私たちは資格を持った心理カウンセラーではない。
ピアサポート部に所属している人たちは、みんながみんな同じ高校に通う高校生。
特別なんて何も持っていない、ごく普通の高校生たち。
『でも、みんなには強みがあります』
将来的には心理カウンセラーを目指す人もいるかもしれないけど、多くの人たちは別の道へ進む。
それでも高校生活の三年間を通して、相手の話を聞くという経験を積みたいと思ってピアサポート部へと集まった。
『お話を聞かせてくれる人たちと、同じ高校に通っているってことです』
私なりに、未来を見据えた結果。
学校の先生になりたいという夢に近づけるんじゃないかという理想を、中学の頃には存在しなかった珍しい部活動にぶつけた。
『同じ立場だからこそ、寄り添ってください』
人間、そう簡単に夢を叶えることはできないかもしれないけれど。
それでも、何か変わるといいなと願いを抱き続けたい。
「すぅー、はぁー……」
指定された空き教室の窓際の席に腰を下ろした。
外は晴れているのに、その明るさは私の心を照らしてはくれない。
授業のときは驚くくらい時計の針の進みが速いけれど、いつもよりも遅く進んでいるように感じるせいで勝手に緊張感が高まってしまう。
「初めまして、一年三組の羽澤灯里です」
誰もいない教室で、誰にも聞こえないような小さな声で、自己紹介の練習を繰り返す。
(心臓が苦しい……)
部活動で、ピアサポートの研修は何回か受けてきた。
でも、研修を受けたからといって、自信が生まれると思ったら大間違い。
自信は、経験を積み重ねることでしか生まれない。
私が人の話を聞くことに自信を持つには、相手の話を聞くって経験を積み重ねていくしか方法はない。
「失礼します」
教室の床と睨めっこをする時間が終わりを告げ、私が待機している教室にお話し会を希望する生徒が入ってくる。
(深呼吸、落ち着いて……)
心臓がドキドキと早鐘を打つという表現をどこかで聞いたことがあるけど、まさに今の私の心境はそんな感じ。
冷たさを感じる両手は汗ばんでいて、お話し会が始まる前から自信を喪失している自分に気づく。
(あとは、教室の出入り口を振り返るだけ)
いつまでも私が窓と対面していたら、私は男子生徒とのお話し会を始めることができない。
「すぅー、はぁー……」
こっそり、深呼吸。
本当は大きく息を吸い込みたいけど、そんなみっともない姿は見せられない。
せっかくピアサポート部員に話がしたいと思って、お話し会を希望してくれた男子生徒を失望させたくない。