第2話「私なりの精いっぱいの笑顔」
「百合宮さんのおかげで、楽器が少し息を吹き返したと思います」
「灯里ちゃんの言葉に救われるよ~」
楽器を修理する技術がないのに、楽器に触るなと怒る人もいるかもしれない。
このまま楽器を眠らせたくないというのは奏者の身勝手な意見かもしれないけど、ここで楽器を終わらせたくないという意地がある。その意地を掬い上げてくれる人が現れないのだから、私たちは眠りに落ちた楽器へと触れる。
「……両親って、偉大ですね」
音楽の道を自ら絶ってしまったけれど、その、道を絶つ前に莫大なお金が自分につぎ込まれているのは私でも想像ができる。
でも、両親は私の選択を尊重してくれた。だから、私は自分の人生を生き直さなきゃいけないと思った。
「楽器の修理に、ポーンとお金を出してくれるんだもんねぇ」
ゼロ円でできることに限りがあることは分かっていても、百合宮さんは今日も楽器経験者なりに音を奏でなくなった弦楽器たちに触れていく。
「灯里ちゃん、弾いてみる?」
「私は……」
手に、力が入る。
緊張で湿った手を気持ち悪いって思うけど、手に力を入れざるを得なかった。
「ふふっ、躊躇ってる。躊躇ってる」
同い年の百合宮さんは、お世辞でもなんでもなく綺麗に見える。
美しい笑みを浮かべて、答えの出せない私を受け入れてくれる。
「いつから、楽器を弾くのが怖くなっちゃうんだろうね」
髪全体が緩く巻かれていて、腰辺りまである髪がふんわりとしていて華やかさ抜群。
モデルとして活躍していても可笑しくないスタイルと美貌を兼ね備えていて、感嘆の声を上げてしまいたくなる。
「ちっちゃい頃って、ただただ楽器が好きだったと思うの」
綺麗な人っていうのは、いつどんなときも綺麗に見える。
百合宮さんを見ていると、未来の彼女はきっと後悔のない選択肢を選ぶことができるんだろうなって強い希望が生まれてくる。
「それなのに、どうして手に取るのも躊躇っちゃうようになるんだろうね」
ヴァイオリンが入っているケースを、百合宮さんが無理に押しつけてくる。
私には受け取る意志がないのに、百合宮さんは私にヴァイオリンを手渡そうと行動を起こす。
「多分、碌な音が鳴らないと思うよ」
「……それは、そうですけど」
きちんとした手入れがされてもおらず、倉庫に眠ったままのヴァイオリンが綺麗な音を奏でるわけがない。
でも、綺麗な音を奏でるわけがないっていう確信があるからこそ、この楽器を手に取りたいという願いが生まれてくる。
「音を楽しむから、音楽だよねっ」
百合宮さんはやっぱり綺麗な同級生ひとで、人を勇気づけるための笑顔の美しさに泣きそうになってくる。
「百合宮さん、学校の先生みたいです」
「残念だけど、そっちの方面は興味ないかなぁ」
「そう言えるってことは、百合宮さんの答えは見つかっているってことですね」
百合宮さんは答えをくれなかったけど、誰が見ても綺麗だと言葉を返したくなるくらいの素敵な笑みを返してくれた。
「コンサート、楽しみにしています」
楽しみにしていますという言葉は、時にはあまりいい言葉に受け取ってもらえない。
でも、私の言葉にも、百合宮さんのような美しさを着飾ったみたいと思った。
「人気すぎてチケットが取れないくらい……」
百合宮さんの表情は希望に満ち溢れていて、何かをやってやろうという意欲が感じられた。
「先へ先へ、行ってください」
誰かを安心させられるほどの笑みを作り込むことはできなくても、私なりの精いっぱいの笑顔を百合宮さんに送った。
「灯里ちゃんの演奏、生で聴くのは初めてだなぁ」
「百合宮さんが活躍される頃には、もう引退しちゃってましたからね」
希望ある未来へ向かっていく彼女から、ヴァイオリンケースを受け取る。
「ふぅ、恥ずかしいですね……」
「大丈夫、大丈夫、この場には私しかいないからっ」
大好きで大好きで、大好きで大好きな音楽の世界。
私を小さい頃から見守ってくれていたヴァイオリンは、引退を決めたと同時に手放してしまった。
物心つく頃から、いつも隣にいてくれたヴァイオリンのことが大好きだった。
偉大な音楽家たちが残した作品を、ヴァイオリンと一緒に現代へと蘇らせる一瞬一瞬がいとおしかった。
「弓も、酷い状態ですね」
ヴァイオリンケースを開くと、そこに待っていたのは驚くくらいの黴臭さが広がった。
「毛、緩みすぎだね……」
「あー、ケースの中に大量の毛がありますね」
「音自体が、鳴らないかも……」
ヴァイオリンを演奏する際に必要な弓の具合を二人で確認するけど、あまりにも放置された年月が長すぎるが故に弓の毛がぶらぶらになっている状態。更にはケースの中に抜け落ちた毛がばらばらばら。
「毛、張り替えないと絶望的かも」
「惜しいですね」
毛の量が明らかに少ないと分かる弓では、この倉庫に眠っていたヴァイオリンに最高の舞台を用意してあげることができない。
「ちゃんと管理できなくて、ごめんなさい」
ヴァイオリンの音色と、ヴァイオリンの表現を独占できる唯一の時間が欲しいと思った。
どんどん大人へと近づいていく私と、どんどん未来へと向かっていくヴァイオリンあなたと少しでも一緒に時間を共有したい。
そんな邪な想いが功を奏したのか、私の一途な願いは古びたヴァイオリンと再会させてくれた。




