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第3話「それはきっと多分、祝福すべきこと」

「受験が終わって、家に帰ったら……」


 じいちゃんが戻ってくるまでの間、羽澤さんはただ黙って俺の昔話を聞き入れてくれた。


「だーれもいなかった」


 静かに口を開いてしまうと、その声は自分に言い聞かせるような声質になってしまう。

 家族が自分だけを見捨てたなんて信じたくなくて、わざと声を明るく発した。


「俺が受験生って立場を利用して、こっそり引っ越しの準備を進めてたらしい」

「……らしい?」

「じいちゃんたちが、家族にいろいろ聞いてきてくれたんだ」


 夜逃げではなかったから、最終的には家族の引っ越し先を見つけることができた。

 やっと家族の元に帰れると思ったのに、待っていた現実は謎の面会謝絶という言葉。

 誰が面会を拒んだかと問われれば、自分と血の繋がりがある家族たち。

 俺は家族に暴力を振るわれていたわけでもなく、生活できない状況に追い込まれていたわけでもなかったから、政府も行政も介入しない。どこにでもいる一般家庭に属する家族は、息子との面会を拒絶した。


「……俺は、家族に会いたい」


 当たり前だけど、俺の問いかけに対して彼女からの返事はなかった。

 彼女に視線を向けると、俺の視線に気づいた羽澤さんは『うん』と言葉を返してくれた。

 まるで俺の視線が向くのを待ってくれていたとも捉えられる行動に、勘違いが生まれそうになる。


「でも、家族は俺に会いたくないんだって」


 他人のまま終わるはずだったのに、他人のままで終わるのが嫌だって思ったのかもしれない。

 また勝手に期待して、また一方的に終わっていくだけの関係性になるのは分かっていた。

 けど、表情が控えめの羽澤さんが、いつか笑ってくれる日を夢見た。

 俺も、こんな風に笑いたいって夢を見た。

 彼女の音楽が、再び輝く日を見てみたいと思ってしまった。

 俺も、こんな風に輝いてみたいって夢を見た。


「家族に会うために、頑張りたい」


 気づけば、羽澤さんとの距離が縮まった。

 自分のすぐ傍に彼女がいて、自分の手をぎゅっと握ってくれた。


「捨てられたのに、馬鹿みたいだよね」


 震える手を握ってと望んだのは、自分だったのか。

 それとも、俺のことを放っておけなくなった羽澤さんだったのか。

 確かめる術はないけど、こんなところで意思疎通ができたことに救われた。


「愛される自信なんて、どこにもないけど……」


 こんな話を聞かされる羽澤さんの身になってみろって思うけど、彼女に話を聞いてほしい。

 酷なことを押しつけてるって理解していても、彼女なら話を聞いてくれるんじゃないかって甘えを捨てることができない。


「その頑張り、見守ってもいいですか」


 相槌を打ったり、一言二言くらいしか言葉を返さなかった羽澤さんの口が動いた。


「叶わないかも……だよ……。家族に愛されるための努力、叶わないかもしれないのに……」

「河原くんが、頑張ろうとしているので」


 彼女の指先が、彼女の口角を辿る。


「他人に本音を伝えることのできる河原くんは、とても強い人です」


 まともな言葉が思いつかない。

 言葉が見つからない。


「強くあろうとする河原くんを、支えたいです」


 決して誇ることのできない自分の人生に、光を与えようとしてくれる人がいることのありがたさを痛感する。

 ありがたいって思うのに、息を吸うのが苦しくなる。


「頑張り続けることへの息苦しさ、本当に辛いので……」


 光あるものには、必ず陰が付きまとう。

 ある人の言葉が誰かにとっての救いなら、その言葉は別の人にとっては毒となってしまうこともある。

 光を得るか、陰を貰うか。

 そこで人生は変わってしまう。

 人と言葉を交わすってことは、相手の影響を少なからず受ける。

 光か闇の、どちらかを自分は手にするということ。


「河原くんがちゃんと呼吸できるように、見守らせてください」


 羽澤さんと目が合う。

 病院の照明は、お世辞にも明るいとは言えないもの。

 ちょっと薄気味悪い雰囲気すらあって、こんな環境でまともなことを言っても、まったく説得力がないかもしれない。

 それでも彼女は、俺に言葉を伝えることを諦めないでくれた。


「自分を嫌いになる選択だけはしないでください」


 どこかの誰かからは怒られてしまいそうな言葉の羅列に、彼女が緊張している様子が見て分かる。


「自分を嫌いになってしまう可能性があるなら、その頑張りを止めてください」


 彼女の言葉は、自分にとっての残酷になってしまうのか。

 それとも、自分にとっての力になるのか。


「辛い……のに、続けたい」

「矛盾だらけでいいんですよ。今は河原くんにとって、考える時間なんだと思います」

「……考える、時間……」

「毎日が努力漬けだった……今もですね。そんな毎日だったと思うので、たくさん考えていけばいいと思います」


 どうか、どうか河原梓那の未来が幸福なものでありますように。

 繋ぎ合った手から、羽澤さんの精いっぱいが伝わってくる。


「生きている限り、やれることは無限です」

「……やっぱり、羽澤さんは凄い」


 俺は彼女に凄いという賛辞を送るけど、当の本人は素直に受け取ってくれない。


「私はただ、河原くんとお話をしているだけです。特別に何かやっているわけではないです」


 自分の努力と言うものを認められない人が多いのは知っている。

 自分の努力を上回る人と出会うからそうなってしまうということも知っている。

 なかなか自分で自分を認めること自体が難しいけれど、羽澤さんには自分の生き方を誇ってほしいと思う。


「特別に、なってみたい……」

「河原くんなら、必ず」


 繋ぎ合う手に、力が入る。


「羽澤さん」

「はい」


 最初に力を入れたのは自分だったのか、それとも羽澤さんが先だったのか。

 手に力を込めたタイミングが、一緒ならいいなって思った。


「俺、強くなれるかな」

「河原くんが望むなら」


 ありきたりな言葉。

 そんなの人に言われなくても分かっている言葉なんて世の中に溢れかえっているけれど、人に言われることで言葉は力を増す。

 羽澤さんの瞳は、凄く綺麗で覚悟あるいい表情をしていた。


「……羽澤さん」


 今日の羽澤さんとのお話し会を、そろそろ終えようと思ったけど。

 俺の両腕は、彼女の温もりを求めた。


「俺……強くなりたい……」


 俺の両腕に包み込まれた彼女は、彼女の温かさに触れることを許してくれた。

 腰あたりに、彼女の両腕がしっかりと回る。


「強くなって…………愛される人間になりたい……」


 泣き崩れてしまわないように、しっかりと彼女を抱き締める。

 温かな彼女の体を、しっかりと抱き締め返す。


「大丈夫」


 変わっていく。

 少しずつ。

 今の自分が、変わろうとしているのが分かる。


「大丈夫です。河原くんは、愛されるべき存在ですよ」


 それはきっと多分、祝福すべきこと。

 抱き締めた羽澤さんの熱が、未来への希望を教えてくれた。

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