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第2話「冬、春。」

「正直、厳しいですね」

「だと思ってました。この子、ちっとも勉強をしないので」


 無表情な大人たちは、溜め息を吐く。

 河原梓那の未来は無価値とでも言いたげな表情に泣きたくなったけど、歯を食いしばって耐えてみせた。


「兄と姉が鐘木(しゅもく)高校出身だからって、夢を見すぎなんです」


 家族の期待に応えたい。

 家族の期待に応えれば、自分はやっと両親の愛情を受け取ることができると信じて疑わなかった。


「最後まで……頑張らせてください」


 兄と姉の学歴と成功を、そのまま自分が再現する。

 そうすれば、自分は家族の誇りになれると信じていた。

 ただただ成功する自分を想像して、自身を奮い立たせていく。


「しっかりやるのよ。あなたは、まだまだなんだから」


 両親は、目を合わせてくれない。

 塾の先生も、成績に関するデータを見入るだけ。

 誰も目を合わせてくれない空虚感の中で、合格への決意を固めた。

 心の奥底に残ったまま消えない不安を抱えながらの受験に息が詰まりそうになったけど、すべては両親に愛されるためだと思って乗り切った。

 息ができなくなっていたことなんて気にもせずに、やり切った。

 両親に愛してもらえたら、たくさんの酸素を吸い込めばいいって言い聞かせてきた。


(やっと終わった……)


 吐き出す息が白くなるほどの寒さに、身も震えそうになる。

 それでも長きに渡る受験生活が終わりを迎えることで、大きく息を吐き出せた瞬間に心がときめいた。


「あれ……」


 目の前にいる少女の息が、白く染まる。

 小学校の頃はずっと同じクラスだったのに、中学に入ってからは疎遠になっていた彼女だと気づいた。


「羽澤さん」

「はいっ!」


 彼女とは、仲が良かったわけではない。

 昔から見慣れた存在ってだけだったけど、彼女と受験終わりの空気を分かち合いたかったのかもしれない。

 そのまま足を止めて、彼女の元へと歩み寄った。


「一緒に受かるといいね」

「……ですね」


 定番の社交辞令を向けると、彼女の顔は強張った。

 冷たい風が頬を撫でたせいかもしれないと思ったけど、まだ彼女は受験の不安と闘っているのかもしれない。


「じゃあ、また……って、受からなかったら会えないか」


 受験が終わって浮かれている自分に対して、彼女はまだまだ不安が抜けきっていない。

 それは当然のことで、まだ合否も分かっていない段階ではライバル同士だと彼女の表情が物語っていた。


(こういうところが、両親に嫌われる理由なのかな)


 羽澤さんみたいなしっかりとした生き方ができたら、両親も自分のことを愛してくれたかもしれない。

 すべてを楽観視しているような態度の息子を、両親は許したくなかったのかもしれない。

 自分にはないものを持っている羽澤さんを羨ましいと思いながらも、ここから去る準備を整えたときのことだった。


「なんだろ? 吹奏楽部?」

「違います、管弦楽部です」


 ほとんど口角を上げたことのない羽澤灯里はねさわあかりさんが、遠くから聞こえる美しい旋律を耳にして笑顔を浮かべた。


「近くの聖籠(せいろう)高校に、管弦楽部があるんです」


 彼女の聴覚が喜べば喜ぶほど、彼女は表情豊かに笑っていく。

 瞳から涙が溢れてきたわけではないのに、彼女は全身で感動を表現していく。

 自分の感情を閉じ込めながら生きていくんじゃないか.

 そんな心配をしてしまうほど表情が動かなかった同級生は、色鮮やかな世界に魅了されていく。

 魅了されたら、魅了された分の笑顔を浮かべてくれるところが、強く印象に残った。


「私、聖籠(せいろう)高校の管弦楽部の演奏が好きで……」


 好きなものがある人は、こんなにも素敵な笑顔を浮かべられる。

 一方の自分は、何が好きって尋ねられても答えることができない。

 そんな自分は家族の前で、つまらない表情をしていたんじゃないか。


(それが、嫌われる理由……)


 彼女は、春のような穏やかな気候に包まれているように見えた。

 ここに満開の桜なんて存在しないのに、彼女だったら淡い桃色の花びらに手を伸ばすことができるんじゃないか。

 そんなありえない妄想が浮かんでしまうほど、彼女は綺麗に笑った。


「好きで……好きで……好きで……」


 いつも俯きがちだったと思っていた彼女は、一瞬にして春を連れてくることができる笑顔の持ち主だと気づいた。


「大好きです」


 その気づきに、後ろ髪を引かれるような想いだけが心に居残った。

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