第1話「ない」
(何人の友達に好かれたら……)
春の暖かな風が、新しい生活の始まりを告げるように教室の窓から吹き込んでくる。
いつもは桜の開花と新学期の始まりが重なるなんて奇跡的なことは起きないのに、今年だけは新学期の始まりに桜が咲いているのが印象的だった。
(両親は喜んでくれるんだろう)
運動部くらいしか活動していない時間帯に登校したこともあって、中学の校舎はまだ静まり返っていた。
校舎のどこを歩いても、淡い桜の花びらが出迎えてくれる校舎の造り。
ほんの少しだけ心を弾ませながら、自分の教室に向かっていたときのことだった。
「おはようございます……」
クラス替えが行われた初日は誰もが緊張するものかもしれないけど、同級生に対して《《おはようございます》》と丁寧に声をかけてくる人がいるのは珍しいと思いながら後ろを振り返った。
「河原くんと同じクラス、久しぶりですね」
声の先にいたのは、小学校のときにクラスがずっと一緒だった羽澤灯里さん。
六年間クラスが同じだからといって、特別、親しい訳じゃない。
互いに名前と顔を知っている程度で、中学になって初めて目を合わせたかもしれない。
「羽澤さんも、三組?」
「え?」
昔っから、なんでこんな丁寧な喋り方をするのか不思議だった。
その不思議を解決するきっかけもないくらい、俺たちの関係は希薄。
ただの顔見知りっていう言葉は、俺と羽澤さんの関係を示すものだと思っていた。
「すみません! 私、二組です!」
中途半端な位置で立ち止まったしまったせいで、彼女に勘違いをさせてしまった。
驚きと申し訳なさに包まれた彼女の慌てぶりがあまりにも面白くて、思わず吹き出してしまった。
さすがに失礼だったなとは思うけど、俺が吹き出してしまったことで羽澤さんは二組の教室へと飛び込んでいってしまった。
(今年も、羽澤さんとは違うクラスか)
中学のとき、唯一、彼女とやりとりしたのはこのときだけ。
俺たちの関係はやっぱり希薄で、特別、仲良くない二人っていうのはこんな感じ。
他人と他人は、こんな風に関係が終わっていく。
そんなことをぼんやりと考えながら、今日も自分は一人でも多くの友達を作ろうと意気込んだ。
「おっ、梓那と同じクラス」
「梓那がいると、今年一年、楽しめそうで良かったー」
家庭の中に、自分の居場所を見つけることができなかった。
出来のいい兄と姉に囲まれての生活は息を吸い込むことすら難しくて、せめて学校では大きく呼吸をしようと心がけた。
「そんなに頼られたって、俺は特別でもなんでもないって」
自分の視線は顔馴染みに集中しているようで、実は窓向こうに咲き誇る桜に向けられていた。
(二組も、この桜……見えるかな)
心の中で、二組の教室にいる羽澤さんに話しかけたところで彼女には届かない。
当たり前の事実に、何かぽっかりとした虚無感が広がっていく。
他人は他人のまま終わっていくって事実が、なんだかもの悲しいものに思えて仕方がなかった。
「お姉ちゃん、凄いじゃない」
「でしょ? 頑張ったからね」
リビングの壁にかかった時計の針は、まもなく夜の八時を指そうとしている。
夕飯の時間帯だっていうのに、母と父は兄と姉が鐘木高校で積み上げた実績の話題で盛り上がっていた。
尽きない兄と姉の話題に誇らしげな笑みを浮かべる両親を見て、これといって褒め称える要素のない自分は目の前の皿へと視線を落とす。
「本当に、うちの子は優秀ね」
「将来が楽しみだな」
箸を動かす手が重くなっていくのを感じるけど、兄と姉に向けられた賛辞の声は止まない。
話題に入ろうとしても、何を言っていいのかわからない。
兄や姉が達成した栄光に対して、自分は新しい友達ができたという話題しか持っていない。
賑やかな食事風景があるのは確かなのに、自分は家族の輪の中には入れない。
ちゃんと自分の分の食事も用意してもらっているのに、自分の話に耳を傾けてくれる家族はいない。
どれだけ自分が友達に囲まれているかを示しても、家族の表情に変化はない。
《《ない》》って言葉ばかりが、食卓の風景に広がっていく。
(俺ができることなんて……ない)
兄と姉を越えるようなものは何も残せない。
せめて友達を作る努力をすることで両親に認めてもらいたかったけど、両親はやっぱり出来のいい子どもが好きなんだと思った。
出来のいい子どもを愛するのが、両親というものなんだと思った。
(友達だって、いつかは他人になるかもしれない)
ふと、他人のまま終わるだろう羽澤さんの顔が頭を過った。
いくら友達を作ったところで、それらの友達が、いつまで関係を続けてくれるのか分からない。
でも、兄と姉の実績は、永遠に残り続ける。
いい成績を残せば、いい就職に繋がる。
友達が多いなんて、なんの自慢にもならないのだと気づかされた。
(やっぱ、勉強頑張らないと……)
自分の部屋で机に向かうものの、シャープペンシルを握る手は重い。
筆圧の弱い文字がノートの上に並ぶと、それらの文字は自分の自信のなさを表しているようにしか思えなくなる。
(鐘木高校に進学できたら……きっと……)
灰色の雲が窓の外に浮かんでる日に、塾での進路相談が開催された。
両親が受験生俺のために塾に駆けつけてくれたことで、俺は両親に認知されてることが分かった。
河原梓那かわはらしいなという人間はここにいるってことを自覚できたのに、息が詰まりそうな感覚に陥るのはなぜなのか。




