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第2話「生きている人たちは、先へ進むことしかできない」

「ばあちゃん、やっぱりそう長くないみたいで」

「それで、おじいさんは病院にいる時間が長いんですね」


 私たちは廊下の窓向こうに目を向けながら話をしていることもあって、視界には花を散らせた桜の木が入り込んでくる。


「ばあちゃんに、桜、咲いてるとこ……見せたかったなぁ」


 河原くんの言い方を受けて、来年に咲き誇る桜を眺めることができないのだと悟る。


「桜……あっという間に、散ってしまいますからね」


 ついこの間までは、桜が咲き誇る姿の美しさを目にするだけで、なんだか泣きたくなりそうな衝動に駆られていた。

 実際に涙が溢れてくるわけではないけど、この泣きたくなるくらい人の心を衝き動かす時間はあっという間に終わってしまう。

 桜の花は一瞬にして、命を枯らせてしまう


「人間、いつかは寿命がくるのは分かってるけど」


 今年は、校庭に咲き誇る花たちが一段と美しく見えていたかもしれない。

 高校生活、始めの一年。

 始めという言葉が頭を過るだけで、人は感慨深くなってしまうのかもしれない。


「寂しいね」


 河原くんの言葉に、深く頷いた。

 感慨深くなってしまった私は、彼の言葉に涙腺を揺すられてしまった。


「私も……ちっちゃい頃にお父さんを亡くしたので」


 窓向こうに向けていた視線を、互いに戻す。


「寂しいですね」


 彼の視線と、私の視線が交わる。

 でも、私たちは涙を流すことなく、互いの事情を思いやった。

 平気ですって見栄を張るのではなく、自然な感情を溢れさせた。


「いつかは、この寂しいって気持ち。卒業できるかな」

「私なんて、未だに引きずってますよ」


 過去を変えるって展開が起きない限り、私にヴァイオリンを与えてくれたお父さんは生き返ることも、戻ってくることもない。

 過去を変えられたとしても、お父さんを病から救うことができるかと言われたら自信もない。


「最近、気づいたんですけど」


 生きている人たちは、先へ進むことしかできない。

 立ち止まることを選びたくても、勝手に時は流れていってしまう。

 その非情さの中で、私たちは幸せになる方法を見つけなければいけない。


「覚えていてもいいのかなって」


 亡くなったお父さんの分も幸せになってねと、当時はよく言われた。

 けど、その、幸せになるための方法を私は今も分かっていない。見つけることができていない。

 どうやったら私は幸せになれるのかって問いかけても、きっと誰も答えを返してはくれない。


「無理に忘れなくてもいいのかなって」


 涙を流さないように、笑ってみせた。

 無理矢理な笑顔かもしれないけど、今はそれでいいと思った。

 河原くんなら分かってくれるっていう甘えが、どこかにあったからかもしれない。


「心の傷を癒す魔法……みたいな、誰かを癒す力があったらいいんですけどね」

「羽澤さんは、十分な力を持ってるよ」


 その言葉をくれた河原くんも、他人に優しさを提供できる人。

 昔から遥か遠い先にいる大人みたいな気遣いができる男の子で、彼を頼りにしている人たちが多かったことを私はよく知っている。


「羽澤さんに励まされている人たち、いっぱいいるって」


 大学に進学できるのかなっていう不安。

 お母さんの望み通り、公務員になれるのかなっていう不安。

 たくさんの不安を抱えていたはずなのに、その不安が和らいでいくのを感じる。


「河原くんに励まされた人も、たくさんいますよ。私以外にも、たくさんの人たちが、河原くんから力をもらってきたと思いますよ」


 このままだと、社交辞令のようにしか聞こえないところが悔しい。

 彼に向けての言葉を口にしているはずなのに、自分の言葉では彼の心を動かすことができないことが何よりも悔しい。


「ありがと、羽澤さん」


 それなのに、彼は礼の言葉を返してくれる。


(私だけが、特別じゃない)


 河原くんは、みんなに対して優しい人。

 この優しさに救われてきたのが事実だからこそ、彼の力になりたいって気持ちが強くなっていく。


灯里(あかり)ちゃーん! 梓那(しいな)くん!」


 廊下は、私たちの貸し切りではないことを思い出す。


「……百合宮(ゆりみや)さんの声?」


 不意に、どこかから声がかけられた。

 驚きのあまり、私たちは同時に同じ方向を振り返った。

 すると、同級生の百合宮杏珠(ゆりみやあじゅ)さんが私たちに向かって駆けてくるところだった。


「ちょっ、百合宮さん! 走ったら駄目です! 転んだらどうする……」

「なーにー?」


 彼女が登場することで、一気に弾むような楽しい空気が流れ始めたのが印象的だった。


「羽澤さん、もっと大きな声を出さないと」

「わかって……って、百合宮さんっ! 止まってください!」


 大袈裟な身振り手振りで近づいてくる彼女の態度は小学生を思い起こす感じすらしてしまうのに、自然と笑みを溢れさせることができるのは彼女の魅力だと思った。


「羽澤さーん! 杏珠のことなら、私たちに任せてー」


 放課後は、生徒たちに与えられる自由な時間。

 部活に行くことも、居残って勉強することも、帰宅することも許されている。

 そんな中、ピアサポートの部員とピアサポートを利用している何人かの生徒は海での時間を選択した。


「お願いしまーす」

「はーいっ」


 初めましての人たちが入り混じっているのに、あちこちで笑い声が飛び交うくらい賑やかな雰囲気に包まれている海辺。

 中心にいる百合宮さんのおかげで、他人同士が繋がっていくのは凄いことだと思った。

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