第4話「海が見える本屋」
「っ」
世界が光に包まれて、辺りが真っ白に染まっていくような感覚。
何も見えなくなるくらい多くの光が降り注いで、私は目を開けていることができなかった。
それだけ太陽の光が降る注ぐ時間帯に下校する特別感に、ほんの少しだけ胸がときめいた。
(百合宮さん、かっこよかった)
奇跡のような、夢のような、物語のような、百合宮さんとのお話し会が終わりを迎えた。
土曜日の特別講義から解放されただけでもありがたいのに、百合宮さんから夢のような素敵な時間をもらった。
交わし合った言葉に素敵という文字は見つからないのに、感情を共有するという感覚が私の心をほんの少し軽くしてくれた。
(好きなものを続ける覚悟……)
このあとの予定を話し合う声を背に受けながら、校門に向かっていく。
中学のときまでは同じ方向に帰る友人がいたはずなのに、高校生になると同じ方向に帰る人を探すのすら難しくなる。
それだけ交友関係が広がったということでもあるけれど、私の日常は高校生になったからといって中学時代とあまり変わらない。
話をする友達はいるけど、きっと彼たちはクラスが変わると同時に付き合いがなくなる。
親友と呼べる存在を必要としたこともなく、きっと私はこれからも希薄な人間関係の中で生きていくのだと思う。
(この空を、綺麗だって思うのは私だけ)
中学時代と唯一、変わったこと。
それは、目の前に広がる景色。
(歩く道が、光って見えるのも私だけ)
いつもなら薄暗い夕方に歩く道が、太陽の光を浴びて輝いて見える。
中学時代と変化があることを嬉しく思うのに、羽澤灯里という人間を見つめ直すと何も変化がない。
独りでいることは楽だって思うけど、盛大な溜め息を拾ってくれる人は現れない。はずだった。
「羽澤さん?」
校門を出るタイミングで、校門に潜んでいた彼から声をかけられた。
「河原くん……」
心臓が一瞬、跳ねるような動きを見せた。
「講義……と、この時間だと部活かな? お疲れ様」
「河原くんも、お疲れ様でした」
また彼の柔らかな笑みに会えることを期待したけれど、そこに私が好きだと思う彼の笑顔は存在しなかった。
声だけはいつだって優しさを含んでいて、他人を心配させないように配慮しているのを感じるのは事実。
それなのに、昔のような満面の笑みだけは消失してしまっている。
「お話し会、以来ですね」
「その節は、お世話になりました」
私の口調を真似する河原くんに、思わず口角を上げてしまったのは私だった。
「河原くんも、いま帰りってことは……帰る方向が一緒ですよね?」
同じ中学に通っていたこともあって、彼とは通学手段が同じだと思って声をかける。
一緒に帰ろうという思惑が働いたというよりは、ちょっとした世間話のつもりで話しかけてみた。
でも、この思いつきが、私に次の展開をもたらした。
「あ、俺、中学のときとは住んでるとこ違うんだ」
空を見上げた瞬間が重なって、私たちは青い空に散らばる桜の花びらを見た。
「……桜って、枯れるの早いね」
「ついこの間まで、満開の花を咲かせていたんですけどね」
ほとんどの桜の花びらは一瞬の命を咲かせ終わり、枝に残っている花びらは数えられる程度。
その、たった数枚の花びらが風に乗って、蒼の空へと映り込んだ。
その瞬間を、私たちは一緒に見上げた。
「羽澤さん、暇?」
彼からの誘いに、私は首を縦に振って頷いた。
「ここは……」
鐘木高校は、海辺の近くにある学校。
徒歩十分程度で、私たちは潮の香りが混じる風を受けるところまでやって来た。
「俺のばあちゃんが営んでいる、海が見える本屋の近く……海っていうか、砂浜っていうか……」
「河原くんの、おばあさん……」
砂浜に並行するように続癒えているアスファルトの道路を歩いていると、古びた木製の看板に『海の見える本屋』と書かれているお店を見つけた。
潮の影響を受けたせいなのか、お店の扉は灰色がかっていて開くのも大変そうな印象だった。
「今は、おばあさんの家にお世話になっているんですね」
「いきなり年代の違う人と暮らすって、結構、身内でも大変だなって感じ」
海の見える本屋の扉を開けると、錆びついたベルがからんという音を響かせようと意思を働かせる。
でも、理想通りの音を鳴らすことができず、私はベルの音に迎えられることなくお店の中に招かれることになった。
(受験が終わって、一ヶ月くらい)
高校受験が終わったばかりの河原くんの表情は、きらきらとした輝きを帯びていた。
鐘木高校に入学して、ピアサポート部の活動を通して彼と再会して、彼は周囲から愛される素敵な笑顔を失っていた。
(海の見える本屋ここに住むようになって、何かが起きた……)
その、何かを詮索するつもりはない。
彼のことを根掘り葉掘り聞くつもりもないけれど、彼が与えてくれる情報をひとつひとつ拾い上げていく。
「昔は、ちゃんと本屋をやってたんだけどね」
外には晴れやかな空が広がっているのに、海の見える本屋はただただ薄暗い。
無数の本が積まれて店内をそっと歩くと、古い紙の香りを体全体で感じた。
「ばあちゃんが倒れたのを機に、閉じることにしたんだ」
私たちの間に静かな時間が流れると、波音が海の見える本屋に溶け込むような穏やかさを運んでくる。
「あ、ばあちゃんは生きてるから、気遣わないでね」
口には出すことができなかった疑問は、河原くんがあっさりと解決してくれた。
まるで答えを用意していたかのような鮮やかな流れだったから、おばあさんが生きているという事実に嘘はないのだと信じる。
「転ばないようにね」
「お気遣い、ありがとうございます」
海が見える本屋という言葉だけを聞けば、なんて素敵な響きと思ってしまう。
けど、私の視界に入ってくる海の見える本屋は悲しいくらい寂れて視界に映る。




