第1話「周りは、みんなライバル」
「将来が楽しみですね」
その言葉は、将来がある人に向けられたもの。
将来がない人間にとっては、残酷な言葉でしかない。
この世界は、才能のない者に未来を与えない。
「羽澤さんの成績なら、十分に鐘木高校を狙えますよ」
高校受験の進路相談で使われる部屋は、真っ白な色で覆われている。
白い壁に囲まれた狭い部屋に、私と両親。そして、塾の進路指導の先生が詰め込まれる。
「ここまで頑張ってきた甲斐があったわね」
「羽澤さんは、本当に努力家で感心しますよ」
大人たちの騒音が、脳を突き刺してくる。
濁りのない白で囲まれた部屋に息苦しさを感じたところで、それを口に出すことができない。
朗らかな笑みを浮かべた先生と、眩しさを感じる両親の笑顔を見ていると、酸素が欲しいのに上手く息を吸い込めなくなる。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
まるで母は、高校に合格するのが確定したかのように涙を浮かべていた。
何度も感謝の言葉を繰り返す母と、安心した様子で頷く父。
まだ合格は決まっていないのに、みんながみんな感慨深げに私の未来を語っていく。
「鐘木高校は県内で一番、進学率が高い高校ですから」
なんで、決まっていない未来に向けて笑顔を浮かべることができるのか。
高校受験を控えている私の心の中は不安だらけで、その不安を解消する術もない私はただただひたすら黙り込む。
(県内で、一番……)
頭の中で反響する先生の言葉。
(進学率が高い……)
先生と両親の会話が、遠くから聞こえてくるように感じる。
自分の未来の話をしてくれているはずなのに、他人の話をしているような感覚。
(鐘木高校に行けば、私は幸せになれるの……?)
見えない未来に、不安と恐怖が入り混じる。
胸が締めつけられるような気持ちになって、心臓のあたりを抑え込む。
でも、この場にいる誰もが、心臓に触れている生徒私に気づくことはない。
(どうして、進学率が一番高い高校を目指さなきゃいけないの……?)
先生と両親の喜びに満ちた顔が目の前に広がっているのに、自分だけが取り残されているような気がする。
(鐘木高校そこに、私の幸せはあるのかな)
冷たい床に視線を落とす。
自分の足が震えているような気がしたから、なんとか踏ん張って震えを抑える。
「合格に向けて、頑張っていきましょう」
先生の顔も、両親の顔も優しいのに、みんなが発する言葉は私の心に響かない。
未来に対する不安と恐怖は、どうやって拭い去るのか。
その答えを知らないまま、私は進路相談の時間を終えた。
(終わった……)
試験会場の外に出ると、息を吐くたびに白い息が宙に昇っていく。
灰色の空からは今にも雪が降ってきそうなのに、期待に沿った雪だけは降ってこない。
私から吐き出される息だけが真っ白で、白い色を知っているのは私だけのように思えてくる。
「終わったねー」
「やっと解放されるー」
「落ちたら、まだ受験、続くけどね」
同じ制服を着ている同士が集って、長かった受験生活が終わったことを一緒に喜び合う。
私たちが住んでいる地元では、大抵の中学生が中学校の制服を着ながら高校受験を乗り切る。
初めて会うあの子も、面識のないその子も、同じ制服を着ている同士は次から次へと繋がっていく。
(ライバルじゃないのかな……)
受験が終わった同士たちは、無邪気に語り合いながら心からの笑顔を浮かべている。
ようやく、のんびりとした時間を満喫することができたことを一緒に分かち合う。
『周りは、みんなライバルなんだからね』
受験のプレッシャーから解放され、自由を手にした中学生たちに笑顔が溢れる。
一方の私は同じ制服を着た同士と繋がらず、両親に言われた言葉を頭の中で繰り返してばかり。
「羽澤さん、お疲れ様」
受験の結果が出れば、勝者と敗者に分けられる。
今は一緒に自由になれたことへの喜びを爆発させたところで、みんながみんな同じ高校に通うことはできない。
みんな忘れたわけではないはずなのに、自由は喜びを共有させる強さを持つらしい。
「羽澤さん」
「はいっ!」
迎えを待っている最中に、私は背後から声を投げかけられた。
「あ……」
「お疲れ」
寒さでかじかんでいく手を温めるために取り出した手袋が、雪の積もらないアスファルトにぽとりと落ちていく。