軽めの魔物(スライム)と戦闘
「ならば次は、それを生きた敵で試すぞ」
エルドラが立ち上がり、洞窟の奥へ歩き出す。
私も慌てて剣を手に追いかける。
「相手は軽めの魔物にしておこう。お前の実力を試すだけだ」
軽め、と聞いて少しだけ緊張が解ける。
異世界に来てから、まともに勝った相手なんていない。
それでも、さっきの岩を斬った手応えが背中を押してくれる。
やがて、奥の薄暗がりで、ぬるりと何かが揺れた。
「……スライム?」
半透明の球体。ゆっくりと、こちらへ転がるように近づいてくる。
表面は水のように滑らかで──内部で、青白い光が脈打っているのが見えた。
「そうだ。だが油断するな」
エルドラの声色が、ほんのわずかに低くなる。
次の瞬間、スライムの表面が弾け、まるで鞭のような触手が飛び出した。
「速っ──!?」
咄嗟に後ろへ跳び退るが、触手が岩壁を叩き、そこがえぐれる。
軽め、って言ったよね? 岩を砕くのが軽めなの?
「こいつはマナスライム。魔力を喰らい、身体を強化する。お前には格好の練習相手だ」
「魔力を喰らって、体を強化……待って、こいつ強いやつじゃ──!」
問答無用で、スライムが跳躍した。
その影が覆いかぶさる。
私は剣を構え、腹の奥から魔力を引き上げた。
覆いかぶさる影の圧に、全身の毛穴が一斉に開くような感覚が走る。
私は咄嗟に剣を振り上げ、魔力を刃に纏わせた。
「はぁッ──!」
斜めに斬りつけた瞬間、手応えは確かにあった。
しかし、スライムの身体は裂ける代わりに、ぐにゃりと刃を飲み込む。
刹那、柄の奥まで腕が沈み込むほどの粘着感と、肌を刺すような冷たさが走った。
「なっ──離れない……!?」
刃が絡め取られ、ぐいと引きずり込まれる。
内部の青白い光が瞬き、スライムの質量が一気に増した。
魔力が、吸われていく──!
「力を抜け! 魔力を刃の外へ漏らすな!」
エルドラの声が鋭く響く。
必死で魔力の流れを断ち、腕を引き抜く。
その瞬間、スライムの表面が弾け、粘液が飛び散った。
頬にかかったそれは、じりじりと皮膚を焼く。
「ッ……熱っ……!」
「魔力を帯びた液体だ。皮膚から喰われるぞ、間合いを取れ!」
言われるまま大きく後退。
スライムはじりじりと迫りながら、その触手を再び振りかざす。
床に叩きつけられた瞬間、石片が雨のように飛び散り、肩に鈍い衝撃が走った。
くそっ……こんなの、軽めなんかじゃない!
だが、逃げ道はない。背後にはエルドラ、前には魔力を喰らう怪物。
私は剣を握り直し、再び腹の底から魔力を引き上げる。
今度は刃だけでなく、足、腕、全身に魔力を巡らせる。
「身体強化で速度を上げろ! 一気に核を狙え!」
エルドラが叫ぶ。
視線を凝らす。内部で脈打つ青白い光──あれが核。
スライムが触手を振り上げた瞬間、私は前へ踏み込んだ。
魔力が足を爆発的に押し出す。視界の端で、触手が私の髪をかすめて飛んだ。
刃先が核を捉え、力任せに突き刺す。
ぐしゃり──耳障りな感触と共に、光が弾けた。
スライムの身体が震え、そして崩れ落ちていく。
粘液の海の中、核が砕け散った音が、やけに鮮明に響いた。
荒い呼吸のまま膝をつくと、背後からゆったりとした足音が近づく。
エルドラは、私を見下ろしながら口の端を上げた。
「……まあ、悪くないな。だが覚えておけ。今のはあくまで軽めだ」
冗談じゃない、と叫びたかったが、息が続かず声にならなかった。
「……はぁ、はぁ……エルドラさん……」
まだ肩で息をしながら、私は振り返る。
粘液まみれの剣を握ったまま、眉を寄せて彼を睨んだ。
「これ……軽めなんて言いましたけど、全然そんなじゃなかったですよね?」
エルドラはほんの一瞬、目を逸らした。
口元には相変わらず薄い笑みが張り付いているが、さっきまでの自信満々な雰囲気が僅かに揺らぐ。
「……ふむ、そう見えたか」
「そう見えたかじゃなくて!」
思わず声が上ずる。全身の筋肉が悲鳴を上げているし、髪の先はまだスライムの粘液で湿っている。
「……まあ、その……あれだ」
エルドラは顎に手を当て、わざとらしい間を置く。
「お前の反応速度を見極めるための、最適な相手を選んだだけだ」
「最適……って、危うく溶かされる所だったんですけど!?」
「避け損ねた貴様が悪い」
「……!」
反論しかけたが、金色の瞳が一瞬泳いだのを見逃さなかった。
あの時、本当に当たるとは思わなかったんだろう。
エルドラは顎に手を当て、やたらゆっくりと首を傾ける。
「それにな、貴様がどれほど動けるか、試してみたかった」
「試すって……死ぬかと思いましたけど!?」
「だが死ななかっただろう」
あくまで平然とした口調だが、その金色の瞳の奥に、わずかな気まずさが見える。
「ここまで苦戦するとは思わなんだ。もう少し訓練が必要だな」
眉間にしわを寄せると、彼はわざとらしく視線を洞窟の奥へ向け、話題を切り替えた。
「今の戦いで魔力の巡らせ方は少しは掴めたはずだ。次に進むぞ」
誤魔化してるのは明らかだったが、追及する気力はもう残っていなかった。
私は深いため息をつき、剣の粘液を振り払うと、彼の後ろについていった。




