戦う術を学ぼう
「まずは基礎中の基礎を教授しよう」
契約を交わした直後だというのに、エルドラは当然のように次の段階へと移っていた。
洞窟の中で、彼は両手をゆったりと広げる。
いちいち尊大な振る舞いをする男だが、教えたがりのお節介焼きを断る状況にないので、至って神妙な顔で頷く。
「よろしくお願いします、エルドラさん」
エルドラは静かに頷いた。
「まずは魔力だ。剣も鎧も、魔力を扱えぬ者は存在すら知らない。いいか、魔力とは血流のように全身を巡っている。だが、垂れ流せば力は薄まり、暴れさせれば自らを焼く」
表現がぶっそうだな。
魔力、いかにも異世界っぽい。
「目を閉じろ。呼吸に合わせ、魔力を腹に集める。吸えば満ち、吐けば流れる。この循環を感じろ」
本当にそんな簡単に魔力が感じられるのだろうか。
半信半疑だが、他に方法はない。ひとまずやってみる。
エルドラの低く響く声に従い、私は目を閉じた。
呼吸を整え、吸えば腹の奥に何かが満ち、吐けば全身に広がっていく感覚を探る。
しばらくして。指先がじんわりと熱を帯び、微かな痺れが走った。
「……あっ」
思わず声が漏れる。目を開けると、エルドラが私の手を覗き込み、にやりと笑った。
薄紫色の靄が、指先を包み込んでいる。
「ほう……初めてにしては悪くない。いや、上出来だな」
その金色の瞳には、尊大な光と、ほんのわずかな愉悦が宿っていた。
褒められたらしい。
「そのまま意識を切らすな。お前の魔力は素直だ、制御さえ覚えれば大きな武器になる」
息を吸うたびに、腹の奥がかすかに温かくなる。
指先の靄は、ふわりと揺れても決して消えない。
──これが、魔力。
「ふむ……ならば次は、それを肉体に巡らせる訓練だ」
エルドラは長い指を一本、まっすぐに立てた。
「魔力は刃にも鎧にもなるが、最も手っ取り早いのは己の肉体に流し込むことだ。瞬発力、持久力、反応速度……すべて底上げできる。だが、制御を誤れば筋肉を裂き、骨を砕く。心せよ」
さらっと怖いことを言うな、この人。
「やり方は同じだ。吸って、腹に満たし、吐きながら全身に巡らせる。ただし今度は、筋肉のひとつひとつを意識しろ。特に足だ」
言われた通り、私は深く息を吸い込む。
腹に集まった魔力を、脚の付け根からつま先まで丁寧に流し込む。
じんわりと熱が広がり、脹脛が膨らむような感覚が走る。
「よし、そのまま跳べ」
「はーい、よいしょ」
言い終える前に地面を蹴った。
次の瞬間、視界がぶわっと開け、私は天井近くまで跳び上がっていた。
着地と同時に衝撃が足に走るが、不思議と耐えられる。
「えっ、なにこれ……」
自分の声が震えている。
たった一度の魔力操作で、これほど動きが変わるなんて。
エルドラは満足げに腕を組む。
「悪くない。だが今のはただの力押しだ。魔力の流れを保ったまま動けるようになれば、戦場で三倍は生き延びられる」
その言葉に、背筋がぞくりとする。
この技術を私に教えたという事は、戦闘を私に任せるという事だろうか。魔法の使い方ではなく、魔力の扱い方と体の強化のやりかたをわざわざ教えたのだ。きっとそういう事だろう。
「次は走れ。距離は十歩、だが全力で行け」
エルドラの指示に従い、私は洞窟の奥にある岩を目標に立つ。
呼吸を整え、腹に魔力を満たし──吐きながら脚へ、背筋へ、腕へと巡らせる。
スタートの合図と同時に、地面を蹴った。
風が頬を切る。
視界が一気に前へ流れ、岩が迫ってくる。
──速い。自分じゃないみたいだ。
止まりきれずに岩へ衝突しかけた瞬間、背後から低い声が飛んだ。
「避けろ!」
反射的に体をひねる。
脚に込めた魔力が、横へと身体を弾き飛ばす。
直後、私が立っていた場所に小石が弾丸のように突き刺さった。
エルドラが指先で放ったらしい。
「走るだけでは的だ。避ける動きにも魔力を使え。重心を崩すな、魔力の流れを切るな」
心臓が早鐘を打つ。
ただ速く動くだけじゃ、すぐ死ぬ──そう突きつけられた気がした。
「もう一度だ、ユアサ。走れ」
その声に押され、再び呼吸を整える。
今度は魔力を全身に薄く均等に回し、走る途中で左右へ身を翻す。
石礫が何発も飛んできたが、辛うじてすり抜けられた。
息は切れ、足は震えている。
それでも、胸の奥で確かに燃えるものがあった。
「……できた、かも」
「ふん、まだ半人前だ。だが──悪くない」
エルドラは鼻を鳴らした。
「よし、次は武器だ」
エルドラが顎で私の足元を示す。
そこには、刃こぼれだらけの私の剣が横たわっていた。
「お前の剣だろう? 使え。魔力を刃に乗せ、攻撃を強化する」
私は柄を握り、刃先を見つめる。
身体強化の時と同じように、腹に魔力を集め──今度は腕と剣へと流す。
刃がほんのりと紫がかった光を帯びた。
「岩を斬れ。力任せではなく、魔力で通す」
目標は、洞窟の中央に突き出た腰の高さの岩。
深呼吸一つ。
足に魔力を送り、地面を蹴る。
剣を振り抜いた瞬間──刃が岩に触れた途端、乾いた音と共に大きくひびが走った。
「……っ!」
驚く間もなく、岩の上半分がズルリと滑り落ちる。
自分の腕力じゃ絶対に無理なはずだ。
「ほう……悪くない。だが、今のは力のほとんどを刃先に偏らせすぎた。連撃には向かん。流れをもっと均一にしてみろ」
エルドラの指示に従い、再び魔力を巡らせる。
今度は腕から刃先までをなぞるように魔力を流し、衝撃を全体に分散させるイメージで振る。
岩は切断こそしなかったが、振り抜きの後にズンと深い切れ込みが残った。
「長く戦うなら今のほうがいい。状況によって使い分けろ」
剣を握る手がじんじんと痺れる。
それでも、不思議と口元が緩んだ。
「……できた、気がします」
エルドラは口角をわずかに上げた。
「ならば次は、それを生きた敵で試すぞ」