身分証発行
朝日がまだ低く、村の空気が静まり返る時間にメルア村の門の前で、サテンとサナは行商人の荷車の後ろに乗り込んでいた。
目的地は公爵領グレイモア城下町だ。
「出発するぜ。グレイモアまで三時間くらいだ」
軽く手を振ったのは、毛織の服に身を包んだ行商人の男、カルロスだ。
彼は気さくな性格で、商談が終わり帰る最中
に見つけたふたりを馬車に乗せてくれると言ってくれた。
「助かります、カルロスさん」
サナが控えめに頭を下げると、カルロスはにやりと笑う。
「いいってことよ。旅は持ちつ持たれつさ。……あ、そうだ、サテンくん」
「ん?」
「これから色んな町に行くなら、ギルドで身分証作っといた方がいいぜ」
「ギルド?」
「ああ。冒険者ギルド、商人ギルド、傭兵ギルド……色々あるけど、どれも『この人はちゃんとした市民です』って証になる。門番も通しやすくなるし、宿も借りやすい」
「へぇ、便利なもんだな」「これからいろいろ行くし冒険者ギルドに行くか」
サテンは興味深そうに頷いた。
元・神とはいえ、この世界の人間の仕組みは初体験。身分証がいるなど、神界にはなかった文化である。
「まあ、エルフの嬢ちゃんもいればなおさらだな。今のご時世、亜人と一緒ってだけで睨まれるからよ」
サナが一瞬うつむいた。サテンは、彼女の肩に軽く手を置いた。
「……だからこそ、堂々と通る準備をする。それだけのことだ」
三時間後、グレイモアの城壁が見えてきた。
かつては交易で栄えた城下町だが、今は領主の圧政により荒れつつある。街道には物乞い、門の前には疲れ切った旅人たちの列ができていた。
「……サナ、大丈夫か?」
「……うん。でも、ちょっと、視線が……」
門の前で、数人の兵士が身分確認をしている。
その中のひとりがサナの姿を見て、露骨に眉をひそめた。
「そこの女、耳を見せろ」
命令口調。
サテンが間に割って入った。
「彼女は俺の仲間だ。問題はないはずだが?」
「ふん。エルフか……連れて歩くとは変わり者だな」
蔑んだ声と、冷ややかな視線。
サナは無言で顔を伏せた。だがサテンは――にっこり笑って言った。
「変わり者は神様のお墨付きさ。さ、通してくれ」
門番は訝しげな顔をしたが、カルロスの助けもあり、ふたりはなんとか通してもらえた。
カルロスさんに冒険者ギルドまで案内してもらった。
「……ここが、ギルド……」
街の中心近く、黒い石造りの建物。
冒険者ギルド・グレイモア支部――多くの旅人や戦士、魔術師が出入りする登録所だ。
受付には美しい金髪の女性が座っていた。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。ご用件を――」
「身分証を発行してもらいたい。俺と、彼女の分を」
サテンが棒を肩に担ぎながら言うと、受付嬢は少し驚いた顔をした。
「エルフの方も……? ですが、身元が――」
言いかけたとき、背後から乱暴な声が飛んだ。
「おいおいおい、何してやがんだコラ。亜人を連れて登録ぅ? こっちは不愉快なんだよ、なぁ?」
振り返ると、赤い皮鎧を着た三人組の男がいた。
酒臭く、目が濁っている。完全に喧嘩腰だ。
「そもそもエルフなんざ、物扱いされて当然なんだよ。こいつ、いくらで売る? 値踏みくらいしてやるぜ?」
サナの顔が真っ青になる。
だが、次の瞬間。
ゴッ
音がした。
棒が振るわれ、男のひとりが横薙ぎに飛んだ。
「う、あ……がっ……」
血を吐いて倒れた。
「……は?」
残りの二人が固まる。
「暴言は、ここまでだ。俺は寛容だが、神でも我慢の限界はある」
次の瞬間、木の棒が疾風のように振るわれ、残りの二人も壁に叩きつけられた。
三人組――即・昏倒。
受付嬢が口をあんぐりと開ける。
ギルドホール全体が、静まり返った。
「……乱闘だな。これは」
サテンは棒をコツンと床に突きながら、しれっと言った。
それから数分後――
ふたりはギルド支部長室へと通された。
「いやはや……実に痛快でした」
初老の男、ギルド長ヴァーグが笑みを浮かべながら頭を下げる。
「本来なら乱闘は厳重注意なのですが、相手が“あれ”ではね。こちらからもお詫びとお礼を申し上げます」
「礼はいい。だが、彼女の登録は?」
「もちろん。特例でサナさんの身分証も発行します」
ヴァーグの表情が少しだけ曇る。
「……実のところ、公爵領では“亜人を登録させない”という無言の圧力があるのです。特にエルフは奴隷市場の目玉ですからね」
「……やはり、あの領主は腐ってるな」
「公には言えませんが、裏で“奴隷商人の元締め”という噂すらあります。証拠はありませんが……」
ヴァーグの声は低く、重かった。
サテンがそれを聞きながら、何かを決めるように目を細めた。
登録の最後には、魔力測定が行われた。
水晶球に手を当て、魔力の量と属性を記録する。
まずはサナが試す。
「これは……素晴らしい魔力反応です。風と光の複属性、高位です」
「よかった……問題なかった……」
次はサテン。
水晶球に手を乗せる。
「えーと……ん?」
受付嬢が機械を見つめる。
「……エラー……?」
「どういうことだ?」
「魔力反応が……ゼロなのに、なぜか測定結果に“干渉エラー”が記録されています……?」
受付嬢が首を傾げる。ギルド長も近寄ってきた。
「干渉エラー? まさか……あの伝説の、魔力外干渉反応か……?」
サテンは静かに目を伏せ、確信した。
(――やはり、これは“神力”の封印だ)
魔力ではない、自分だけの力。
神の系譜にのみ流れる絶対的な力が、まだこの肉体の奥底に眠っている。
「……できた。これが身分証です」
受付嬢がカードを差し出す。
シンプルな金属板。
名・年齢・出身地・魔力・属性・武器が記載された旅人証明書。
サテンの身分証
名前サテン・シン
年齢17歳
種族人間
出身地不明
魔力測定不可
属性不明
武器木の棒
サナの身分証
名前サナ
年齢11
種族エルフ
魔力高位(Bランク程度)
属性風・光
武器なし
サテンとサナはそれを受け取って、同時に息をついた。
「……とりあえず、一段落、ですね」
「そうだな。次は――“上のやつら”を叩く準備だ」
サテンは棒を肩に担ぎ、静かに笑った。