小さな村
サナを助け少し歩くと、小さな村が見えてきた。
木の柵に囲まれた素朴な集落。遠くからでも、その寂れた様子ははっきりと見て取れる。
「……あそこが、村?」
サナが肩の傷を押さえながら問いかける。
エルフである彼女は、まだ逃亡奴隷の身。サテンに救われたとはいえ、心の奥には不安が色濃く残っていた。
「まあまあ、見た目は地味だが、宿とメシくらいはあるだろ」
サテン・シン――元・最高神であり、現在はただの人間。そしてその手に持つのは、今もなおただの木の棒だった。
二人が村の門に近づくと、警戒した様子の男たちが集まってきた。
「おい、待て! そこの者!」
門番らしき男が手を挙げて叫ぶ。
「旅人か? その耳……そっちの娘、エルフだな?」
サナがわずかに身を縮めた。エルフに対する差別は、今や当たり前になっている。
その空気を感じ取り、男たちの視線もやや刺々しい。
だが、サテンは一歩前に出た。
「通してくれ。この娘は俺が保護した。悪さをする気はない。……少し、休ませてやりたいだけだ」
「だが、エルフは…」
「“だが”も“しかし”もない。頼む。今はここでの安全が、必要なんだ」
木の棒を杖のようにつきながら、サテンは静かに頭を下げた。
その仕草に、門番たちは一瞬たじろいだ。
「……分かった。だが何か問題を起こしたら、すぐに追い出す。分かったな?」
「ああ。礼を言う」
村の名は【メルア村】。
周囲は畑とわずかな果樹園しかなく、村の家々はどれも古びている。
通りを歩く者の顔には疲労と不安が濃く、子どもたちすら遊んでいない。
「……活気、ないですね」
「それだけ、ここが苦しいってことだ」
案内されるまま、ふたりは村の長――村長の屋敷に通された。
とはいえ、屋敷といっても立派なものではない。木の柱と土の壁、ひと部屋だけの粗末な建物だった。
「ようこそ。よくぞ来てくれましたな」
迎えたのは、白い髭をたくわえた老爺。
体は痩せ、歩くのもつらそうだが、その目はまだ生きていた。
「わしはこの村の村長、ガランと申します」
「俺はサテン・シン。こっちはサナ。……少し休ませてもらえれば、それで十分です」
そう言うと、村長は柔らかく微笑んだ。
「休ませるだけならただですがな。旅の疲れにと皆が申しておりましてな。つまらぬ物ですがひと晩に食事をご一緒しませんか?」
その夜。
囲炉裏のある一室で、村の者が持ち寄ったという料理が並んだ。
薄いスープに、芋と麦のパン。それでもサテンたちにとっては、温もりのある夕食だった。
「これ……おいしい……」
サナが思わず呟く。逃亡生活ではあり得なかった味だった。
「こんな粗末な食事しかなくて、申し訳ない」
ガランがそう言うと、サテンは首を振った。
「いや、ありがたい。……こういうものを“うまい”と思えるのが、人間らしいってことさ」
その言葉に、村人たちは一瞬黙り込んだ。そして少しだけ、笑った。
食後、囲炉裏を囲みながらガランが話を始めた。
「……サテンさん。どうか、この村の事情を聞いていただけますか」
「ああ。話してくれ」
ガランの目が細くなる。語られたのは――この世界の一端だった。
「ここはエスラント公爵領の最東端。領主はエスラント・バルドー公爵。昔は立派な方だったが、今は私腹を肥やすだけの俗物となり果てております」
村人たちが表情を曇らせる。
「年貢は年々増え、収穫の七割は徴収される。わしらは残りで何とか飢えをしのいでおりますが、ここ数年はそれすら危うくなってきた。反抗すれば処刑。逃げれば追っ手がかかる」
ガランの声は静かだったが、その内に怒りと悔しさがあった。
「……なら、なぜ逃げないんだ?」
「逃げたところで、他の村でも同じです。いや、うちはまだマシなほうかもしれませんな。魔族の侵攻や略奪もあるし……生きるために、ここにしがみつくしかないのです」
サテンは、握った拳を膝に置いた。
「分かった。なら――俺が、その領主とやらをどうにかしよう」
村人たちがどよめく。
誰もが口にできなかった言葉を、軽く言ったからだ。
「そ、そんな……お方は貴族ですぞ! 騎士団も従えておりますし、そもそも相手は魔法使いで……!」
「関係ないさ。俺は魔法は使えないがこの木の棒でぶん殴るからな」
「……木の棒ですか?」
「元・最高神だからな。それくらいの力はある」
サテンは笑った。その笑みには、迷いがなかった。
「食わせてもらった礼は、きっちり返す。俺のやり方で、“この村”を救ってみせるよ」
その夜。
村人たちは久しぶりに――ほんの少しだけ、安心して眠った。
そして翌朝。
サテン・シンは棒を持ち、エスラント領主の屋敷がある“城下町グレイモア”へと歩を進める。
俺の世直しは、まだ始まったばかりだ。