汚鋼ワニ
ユミア・トランポリオ。
エースバーン・トランポリオ司祭の娘。本人はママと呼んでいたが、無論、元男のエースバーン司祭が産みの親ではあるはずがない。あくまでも育ての親ということらしい。
なるほどな。お前達。
ユミアは元々孤児だったらしいがそこを引き取ったのがエースバーン司祭ということだ。
当然、ただの孤児を引き取って育てたのには相応の理由があるらしい。
エースバーン司祭は神聖使徒団に指定されるほどの実力と敬虔深さを併せ持つ司祭ではあるものの、哀れな孤児達に対して博愛の精神を持つような慈悲深い人物ではない。ちゃんと理由がある。
ユミア・トランポリオ。当時、幼子であったこの女には凄まじい潜在能力があると、当時の情報部は見抜いたらしい。
潜在能力。すなわち、神力である。
神力とはすべての人間が内包していると言われる神の御加護だ。
しかしその加護は平等ではなかった。個々によってその加護の純度は異なり、性質も異なることがある。
お前達。身近な例で言えばエリーミア監査官が挙げられる。
奴の舌による尋常ではない能力はまさに奴のみに与えられた性質の異なる加護と言えるだろう。
そしてユミア・トランポリオ。情報部が当時、幼子であったこの女に注目したのはその神力の純度であった。
神力の純度は高い程に魔物への通りは良くなる。特に一定の純度以上でなければ攻撃を通さない魔物もいるため、神力の純度が高い人間はとても重宝される。
純度は五段階に等級分けされ、頂点たるAランクからEランクに分類。
ユミア・トランポリオ。
奴のその純度等級はAランク相当。
百万人に一人の逸材である。
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聖都セントラルハイツの地下下水道はとても入り組んだ地形をしており、その歴史は深い。
この国の建国時以前より存在し、一体いつの時代から存在するのか正確な資料も見つからないくらいには古いレベルだ。
お前達。俺は周辺を見やった。
基本、直径四、五メートルの坑道が続くが大きい場合は十数メートル近くまで拡大した坑道も認める。広すぎだろ。
通路の途中では謎に広い、地底湖かと見紛うほどの空間と水溜まり場も認めた程だ。
そのあまりの古さと広大さにより、この地下下水道の詳細な地理は誰も把握していない。
一部の範囲を絞った地図があるのと、一応下水機能は果たされていることがわかっている程度だ。
お前達。じゃあ調べればいいじゃん、と思うだろ?
しかしそれは簡単じゃない。
この地下下水道。
汚泥水しかない不衛生極まるこの環境に適応した生態系が既に根付いていたのだ。
魔物ではないものの、危険度の高い動物が多数認められ、過去の探検家による調査は難航した。
教会は一時は戦力を動員して危険動物の駆逐を試みたことはあるが、それは失敗に終わった。
その危険動物は魔物も多少はいたが、ほとんどがそうではなかったのだ。故に一部の奇跡による攻撃は通りが悪かったりして逆にやりずらい戦況が多々あった。
魔物ではないために積極的に人間の生活圏にまで侵入する様子はない。
故に無駄に戦力を消費するべきではないという意見が上がり、その試みは頓挫することとなった。
そして、その弊害が今、目の前にあった。
「ちょっ!?、ちょっとちょっとッ!!!??
奇跡が通らないんですけどッ!!?
何ッ!!?こんなことあるの!ッ!?」
お前達。ユミアが喚く。
チッ、うっせえなァ。俺は内心、舌打ちした。
しかし同時に喚きたくなるのも仕方がないとは思った。
目の前に立ちはだかる、巨大なワニのような生物。優に俺達の二、三倍はあろう巨体さだ。金色の瞳がこちらを逃がさんとばかりに凝視している。
汚鋼ワニ。
この地下下水道における生態系のトップ階層に位置する肉食獣だ。
奴はユミアの放った指より光の熱戦は出す奇跡を受けたものの、なに食わぬ顔でのッしのっしとこちらに詰め寄ってきている。
奇跡における遠距離系の攻撃は殆どが特殊な光の粒子により構成されたものだ。これらはあくまでも対魔物専用の技であり、普通の生物にはあまり効果を成さない。
故に、こういった奴らには相応の別の対処方法を講じる必要がある。
お前達ッ、俺はユミアの手を掴み後方に突き飛ばした。邪魔だッ、離れてろッ。
「いったあッ!!!!
ちょっとッ何すんのよッ!!!??」
「うっせエッ、危ねえから離れてろッ。
エリーミアッ、てめえらもだッ」
奇跡を行使し地を駆けるッ。同時に俺の足には翡翠色の紋様が絡みついた。
この時にかけた身体強化系の奇跡により、その超人的な加速によって汚鋼ワニとの彼我の距離を一気に詰める。
それなりの距離があったが五歩で到達だ。
走った勢いを乗せて拳を構える。
お前達ッ、俺は言った。
「第三級頑強性強化の奇跡ッ」
翡翠色の紋様が両腕に絡み付く。
筋力増強に加えての頑強性の補強。それらの相乗効果により放たれたストレートパンチは凄まじいまでの威力を誇る。大抵の生物の身体には風穴を開けるぜ。
死にさらせやッ。
奴の顔面、いやその長い顎を真っ正直から殴り飛ばしたッ。
いや、殴り飛ばせていない。
お前達ッ。驚くことに、俺の人外的な威力を誇る拳をもってしても、風穴を開けるには至らなかった。
なんて頑丈さか。奴のその鋼鉄のような鱗は名ばかりではなかったってことだ。
しかしその拳の衝撃によりその巨体は多少は後退りはした。汚鋼ワニが唸る。ダメージは入っている。
しかし奴はすぐに反撃へと移行した。汚鋼ワニは体勢を瞬時に整え、その巨大で凶悪な顎を大きく開く。
そして猛烈な勢いで顎の凶歯が俺に接近した。
「gaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!」
「何ッ!!!??」
響く噛交音ッ。
あッぶネぇッ!!?? お前達。今のはマジで危なかったぞッ。
凶悪な歯列が俺の真下で交差した。
お前達ッ。俺は既に上方へと高く跳躍していた。ああそうだ。つまり何とか上手いこと空宙へ回避したのだ。まさに間一髪だ。
しかし、奴はすぐに己の攻撃が回避されたことを知覚すると、次への攻撃動作へと移行した。
その巨体に似合わぬ俊敏さで身体を滑らかに回転させると、頭上にいる俺へと向けてその凶悪な顎を開いた。そして身体を跳ねさせて飛び付いて来やがったのだ。
「ウぉおおおおおおおおッッ!!!!!」
迫る凶歯ッ。汚鋼ワニが俺の目と鼻の先にまで接近した。
こいつはやべえッ。だがまだやりようはある。
お前達。前にも言ったろ?
俺は戦闘のプロだ。こういう苦境を俺は何度も潜り抜けてきた。
俺は瞬時に奇跡を行使した。
「宙を蹴る奇跡ッ」
空中にて、飛行能力のない生物など単なる的だ。しかしそこに機動性を付与するのがこの奇跡であるッ。
宙を蹴る奇跡。
厳密には何もない空中に神力による見えない足場をつくる奇跡だ。しかしその足場に物理性を付与できるのはあくまで一時的。いや、一瞬の時間であるため、その名の通り足場を蹴るくらいしか利用は出来ない。
だが十分だ。
宙を蹴り上げ、迫る汚鋼ワニから横に回避した。
真横すれすれで鳴り響く噛交音ッ。回避成功だ。
だがまだだッ。
「第三級筋力増強の奇跡ッ!!」
元々身体強化系の奇跡は使用していたが、そこに更に重ねがけをする。
お前達。さっきのパンチでは奴が少し後退る程度の威力だったのだ。より強大な攻撃力を要する。ならば重ねがけも致し方あるまい。
翡翠色の紋様がより複雑に足に絡みつく。その効果により大腿筋と腓腹筋がモリモリと隆起した。
これならいけるッ。そうだろッ?
過剰な負荷に汗が伝う。だがいけるッ。
俺は奇跡の行使により更に空宙を蹴り上げた。
V字の軌道でUターンをかける。
これから放つ脚撃のための姿勢を調整。
はんッ、お前達。さすがの奴も空中では素早い動きは出来ないようだ。この数秒にも満たない空中での滞空。絶好の隙である。
俺は奇跡により見えない足場の壁を蹴り飛ばし、その超超人的な脚力に伴う加速によって奴に接敵する。
「ォおおおッらアアアアあああああッッッ!!!!!!!」
足裏から伝わるめり込む感触ッ。
肉や骨を破砕する粉砕音ッ。
俺の蹴り飛ばしは見事に命中。汚鋼ワニのがら空きな腹部に俺の脚撃は見事にめり込む程に決まった。
お前達。ハハッ、ザマあみろってなッ。
これまではそこそこに広い地下通路上で戦っていたが、その衝撃によって奴は広い空間にある地下池にまで吹っ飛んだ。
奴の出現した方角的にも汚鋼ワニはこの地下池を棲みかにしていたのだろう。
元のお家に返してやったってことだ。俺は言いヤツだなあ?
お前達。奴は無論、この程度ではまだやられねえ。
今の蹴りの感触と経験からわかる。多大なダメージは入ったであろう。
しかし致命傷には至っていない。これは確かだ。
見ろッ、奴が現れる。
汚鋼ワニが水面下から勢いよく怒号とともに顔を出した。汚泥の水しぶきが大いに飛び散る。
咆哮を上げる。
その叫声は当然、憤怒に満ちていた。
「graaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッッッ!!!!!!」
やはりな。
奴の腹部を見ると、先の攻撃した部分から多量の出血を認めた。しかし奴は気にも止めていない。
なんて生命力か。その怒号を発する様からも、奴がまだまだ元気であることがわかる。お前達。俺の言った通りだろう?
奴の瞳。俺を絶対に食い殺さんとする殺意が伺い知れた。その金色の瞳が俺に照準を合わせてロックしてやがる。
怒号とともに水面を泳ぐ。
猛烈な勢いで俺へと距離を詰める。
無論、奴の思う通りにはさせん。
そして俺はこれを待っていたのだ。
「おいッお前らッ。十分に離れとケよッ」
俺は振り返って言った。
「はーい、オッケーでーす」
エリーミア監査官の声が届く。
無論、俺が最初に言った通り離れた位置に待機していたようだ。
……ただ、思った以上に離れていた。
お前達。ここは直径がとても広い地下下水通路だ。遠くまで見渡せる。エリーミア監査官達のところまで優に数百メートルはあるだろう。
しかしその距離は後方支援もままならんぞ?
お前ら後方支援する気なしか?
いや、今は別にいいがな?
遥か先の通路の陰からにこやかに手を振って返事をするエリーミア監査官。
ハラハラと此方を見るユミア。
そしてこちらを見てすらいないエースバーン司祭。
俺は内心少しもにょりとした。
「はんッ、ま、いいかァ!!!!」
俺は再度、敵を見定める。
けたたましい咆哮が近くで発する。汚鋼ワニはすぐそこにいた。
猛烈な勢いでその凶歯を剥き出しにして俺へと迫る。
お前達。
奇跡の通りが悪い普通動物への主な対処方法としては、俺が今まで見せた通り。身体強化による白兵戦が一般的な対処方法として俺達エクソシスト内では浸透している。
しかしもうひとつあるのだ。
それがこれだ。
「掌より放電を発する奇跡」