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7話「愛することがない訳ではなく。愛されない訳もなく」


 馬車から降り、いざ舞踏会でございます。

 マリケス、カーラ様とは一旦離れてわたくしたちは下位貴族用の入り口へと向かいます。

 当然ながら、この時点でわたくしたちは注目の的です。まあ、正確にはわたくしではなくアーカム様が、というべきかもしれませんが。

「あれがあの『氷騎士』……」「噂通り、何たる……」「お、お近づきに……」「お止めなさい。オーラで死ぬわよ!」死にません、オーラでは死にませんわ。

「隣の方は確か元侯爵令嬢の……」「よせ、フォクシーズ家といえば狐のように悪賢い、あの腹黒名家だ」後でどなたかチェックしておきますわね。


 ざわざわどよどよ。大小様々な声が、わたくしたちに降り注ぐ。

 若干、針のむしろとでも言うべき遠慮のない視線がザクザクと突き刺さっていた。が、わたくしはそもそもが元侯爵令嬢、そんな視線程度に怯む人間ではありません。

 そして我が夫は、

「……勝てる、勝てる、勝てる、勝てる、多分いける」

 視線を向けられる度に、その方向に目をやって戦って勝てるかどうかの算段をしておりました。

 視線に悪意が含まれているせいか、旦那様も視線に過敏になっているようです。

 奇行ではありますが、わたくし以外には届かない声なので奇行ではないということにいたしましょう、たぶん。

「よし、砕けた」

 砕かないでくださいませ旦那様。


 ちなみにそうやって旦那様が目をやった先に令嬢がいた場合、漏れなく腰砕けになっていました。なお男性だった場合、旦那様の溢れんばかりの闘志に気圧されたのか、やはり腰砕けになっていました。

「『氷騎士』、さすが魔性の美貌……」

 好奇心で眺めていた一人の貴族がそう呟いた。結果的にはそうなっていますわね……。


「あ……あら、エルテ様ではありませんか」

「クラシア様。お久しぶり、というほどではありませんわね」

 クラシア・ライヴェル伯爵令嬢が、やや動揺した様子で佇んでいた。彼女のパートナーは控えめに、若干引き攣ったような表情でこちらを伺っています。

 彼女の友人であるリリア男爵令嬢は、王家の舞踏会に出られるはずもなく。家で大人しくお留守番、というところでしょう。

「以前お会いいたしましたね。アーカム・ベオライトです。今夜はよろしくお願いします」

「ひゃい……それは……はひ……」

 完全にフリーズしたクラシア様を、パートナーがすみませんすみませんと謝りつつ引き摺っていった。

 他の令嬢がこちらに声を掛ける様子はない。せいぜいが視線程度のもの。

 これは予想できた事態でした。

 ファナリア王女の事態が解決するまでは、ひとまず様子見ということでしょう。下手にちょっかいを出して、ファナリア王女とフォクシーズ家両方を敵に回す事態に陥ることは避けたいでしょうし。

 さて、となるとわたくしたちに声を掛ける人間は――。


「アーカム、良く来たな。はは、礼服も似合っているじゃないか。さすがだな」

「ありがとうございます。オットー騎士団長」

 声を掛けてきた豊かな髭をした男性は、オットー騎士団長。アーカム様の上司であり、伯爵位を持つ(現実的にはその階級以上の権力をお持ちですが)、事実上は我が国の騎士たちの頂点に立つ方です。

「リラックスして楽しめ、とは言い難い状況だが……」

 そう言って、ちらりと周囲を見回す。それだけで、悪意ある視線が消えた。

 さすがに国王を含めた王家からも覚えがめでたいオットー騎士団長を敵に回す、というのは無謀ですからね。

「エルテ殿は結婚式以来か。ご健勝で何よりだ」

「はい。オットー様には結婚式にもご出席いただき、本当に感謝しております」

「我が騎士団の傑物、アーカムの結婚式だからな。当然だとも! では、まもなく開始だし、私も戻るとしよう」

 はっはっは、と愉快そうにオットー騎士団長は立ち去っていく。

 豪快な方であるが、決して愚かでも粗野でもない。

 わたくしたちに親しく話しかける、ということはファナリア王女を恐れないという証明でもある。

 そしてオットー騎士団長は当然ながら王家と強く結びついている。

 そんな彼が話しかけるというのであれば、ファナリア王女は――と、ここまで予測できた者は稀ですわね。

 一部の侯爵及び公爵令嬢あたりは感じ取ったかもしれませんが、結局のところは様子見一択でございましょう。


「では旦那様。踊りましょう」

「ああ、練習の成果を見せるとしよう」

 そう、ダンスの時間です。


 国王陛下による短めの開始宣言がなされ、楽団がゆったりとした曲を奏で始めます。ファーストダンスの始まりですわ。

 さて、この国では上位貴族用のダンス、下位貴族用のダンスが存在します。別に上位が下位の、下位が上位のダンスを踊ってはならない、という訳ではありませんが、一種のマナー違反です。

 当然ながら、そんなことをすれば笑いものですしね。

 とはいえ、上位貴族はいざという時のために下位貴族向けのダンスを習うのが通例でした。

 下位貴族、つまり自陣の派閥向けのアピールなどのためであり、これを怠っては上位貴族とは言えませんので。


 ただ、当然ながら騎士爵であったアーカム・ベオライトは上位貴族向けのダンスを習ってはいません。けれど、さすがわたくしの旦那様。数日の練習であっさりとモノにしてしまったのです。

 数日……わたくし、上位貴族向けダンスが形になるまで数年かかったのですけれど……。


 アーカム様曰く。

「ダンスは……格闘技なのだろう?」

「そういうことにしておきますわ」

 得心する旦那様に、わたくしはもちろん賛同した。お陰で覚えが非常に早かったですわ。

 ちなみに旦那様は傍目には無表情であったが、若干のドヤ顔であったことも付け加えておきましょう。


 わたくしたちは踊り出しました。

 優雅に、華麗に、敵意や悪意の視線が賛嘆に切り替わってしまうほどに。わたくしたちは踊り続けました。

 一曲目を踊り終えると、わたくしたちは離れることなく、二曲目を踊り出す。

 ちなみに我が国固有のマナーですが、夫婦はファーストダンスを一曲踊るのがしきたりであり、そこから先は自由です。

 多くは離れて、次のパートナーと踊るのですが、仲睦まじい夫婦は、二曲続けて踊ることもあります。

 そしてわたくしたちは、仲睦まじき夫婦。

 そのことが貴族たちにも浸透していく。ポーズであれ、建前であれ、二曲目を踊ったということは、そういう意味なのだから。


「エルテ」

「ええ、分かっておりますわ」

 旦那様の声が耳をくすぐった。一際悪意の籠もった視線。その先には、間違いなくファナリア様――第三王女がいる。

 踊ることもせず(取り巻きたちが踊ろうと誘うが、王女は気にも留めていないようだった)、わたくしたちを睨み付ける様は、さすがに常軌を逸している。

 ……やはり、そういう事なのだろう。

 少し、互いの手に力が籠もる。

「大丈夫ですわ。全て手筈通りに」

「ああ。俺もいざという時の覚悟は決めている」

 アーカム様の囁きは、何とも頼もしいものだった。

 ただ、この時のわたくしは『いざという時の覚悟』がどれほどのものかを、理解してはいなかったのだけど。


 二曲目が終わると、つかつかと周囲の視線を気にすることなく、ファナリア王女がわたくしたちの前に立ち塞がった。

「これはこれは、ファナリア王女殿下」

 カーテシーと騎士流の挨拶。ファナリア王女は、ぐっと何かを堪えるように目を閉じると、やや引き攣った顔で微笑んだ。

「二人とも息災なようね」

 その言葉に、わたくしは無垢な微笑みを浮かべて返す。

「ええ、とても。これも全て、仲立ちしてくださった国王陛下のお陰ですわ」

「そう。あのね、エルテ。私、前からあなたとじっくり話し合いたいと思っていたのよ」

「……まあ。それはそれは」


 ああ、もう。まったく。


「二曲踊って汗もかいたでしょう? 休みがてら、少しお話できないかしら?」

「もちろん。わたくしが王家の命令に逆らうなど、有り得ないことですわ」

 わたくしはそう言って、旦那様に顔を向けた。

「旦那様。それでは、わたくし王女とお話してきますね」

「ああ、俺はここで待っている」

 彼の言葉に、取り巻きの気がわずかに緩んだのを感じた。

「それじゃ、行きましょうか。エルテ」

 王女の微笑みは、勝利の確信に満ちたものだった。



 舞踏会の広間を離れ、少し薄暗くなった廊下をひたひたと歩く。王女たっての願いで、わたくしは王女の横に並んでいた。そしてその後ろを、王女取り巻きの貴族が四人。

 彼らの視線は露骨で、わたくしは全く以て気が滅入ります。

「そんな場所に、お話できる部屋があるなんて。まだまだ王城には、知らないことがありますわね」

「わたくしのとっておきの、隠し部屋みたいなものね」

 そうですかそうですか。

 わたくしはまるで何も知らないような無垢な笑みで、彼女に追従した。


「ここよ」

「失礼しますわ」

 やや薄暗い部屋の前には見張りもおらず、部屋の中も無人で使用人も見当たらない。幾つか応接用の椅子があり、机があり、調度品があり、それくらいだ。

 案の定、という感じでございますわね。


「……どなたか、お水を持ってきてくださる?」

 そう言ったわたくしに、ファナリア王女は嘲笑した。

「馬鹿じゃないの! まだ気付いてないの!? あなたって本当に鈍いわね!」

 その言葉にちょっと苛立ったのと、怯えた様子を彼女たちに見せたくはなかったので、わたくしはこう切り返した。

「存じておりますわ。あなたの取り巻きにわたくしを襲わせよう、と言うのでしょう?」

「……は?」

 わたくしの言葉と態度に、王女たちは呆気に取られていた。

「いくら何でも気付きますわよ。数日前まで喚き散らしていた人間が、急に猫撫で声で話がしたいなんて言い出したのですもの。真っ当な知性を持っていれば、すぐに理解できますわ」


 むしろ何故気付かないと思ったのかが謎ですわね。いえ、謎ではありませんか。偏に、ファナリア王女がワガママで先行きが見えない方だったというだけ。

 彼女の企みはこんな感じだ。

 まず、取り巻きにわたくしを襲わせる。穢して、傷物にする。そしてわたくしに選択させる。黙って離縁するか、このことを公表された上で離縁するか。

 これ選択ではないですわよね。離縁一択。

 そして晴れてアーカム様はファナリア王女の下へ。恐らく、嫁入り先の国には護衛騎士とでも言っておけばいい、くらいに考えているのでしょう。

 わたくしがこの計画(と呼べるほどのものでもありませんが)に腹が立つのは、あまりに浅はかなことが一つ。

 もう一つは、わたくしの夫への侮辱である点です。

 わたくしの夫は、企みが露見した時点で「そうは言っても王女だから愛されれば、愛するよ」などと考える人間ではありません。


「な……いや、なんで……」

 パクパクとファナリア王女が口を開く。

「どうして、わたくしがここに居るかですか? わたくしは安全を確信しているからですわ。……世界一愛しい旦那様が、見守りくださってますもの」

「はぁ?」

 台詞の突拍子のなさのせいで、「世界一愛しい旦那様」と言った時に、声が滅茶苦茶上擦ったのは誤魔化せたようだった。

 そう、実は見守ってくれていたのである。私の旦那様は……!


 わたくしの台詞と同時に、どかんと音を立てて扉が蹴破られた。

「エルテ! 世界一愛しい旦那だ!」

 旦那様、アーカム・ベオライトの登場である。あと後半は恥ずかしいのでお止めください。

「アーカム! あなた……!」

「失礼、王女殿下。我が妻との話し合いはもうお済みのようなので、駆けつけて参りました」

「いくら何でも早すぎる……どうやって……!」

 確かにその通りですわね。

 舞踏会の開かれていた広間から、この部屋まで歩いて一〇分以上かかる。廊下はほぼ真っ直ぐで取り巻きたちも後ろに誰かついてこないか警戒はしていただろう。

 だが、ファナリア王女は知らなかった。


「ご存じないようですが。私は、天井を這い回ることができるのです」

「は?」

 石柱にしがみつくくらい、余裕でこなせる我が夫は、

「ですから。天井を這いながら、あなたがたを追ってきたのです」

 王城の廊下、その天井をかさこそと這い寄ってきたのである……!

 正直、予め知っていたはずのわたくしでもかなりの恐怖映像でした。ええ、まったく。

 さすがにファナリア王女の取り巻きたちも、「もしかすると天井を這い回っている騎士がいるかもしれないから天井も見上げよう」とは想像もしなかったに違いありません。

 いや、想像できたらもう予言者とかそういう類いの方ですが。


「では帰ろうか、我が愛しいエルテ」

「……!」

 平然としたアーカム様の言葉に、ファナリア王女が爆発した。

「ふざけるな、帰れると思ってるの!!」

 王女殿下。ここです、ここが最後の境界線(ライン)ですわよ。

 ここで帰って、何事もなく過ごすことができれば将来は安泰ですわ。わたくしの旦那様は手に入られずとも、穏やかな生活が送られるはずです。

 そもそも、あなたの周りには(旦那様ほどではなくとも)、それなりの美形が勢揃いしているではありませんか。

 これ以上を望むのは、贅沢というものでは?


「この女の顔に傷をつけなさい! 私を愚弄したこと、一生後悔させてやるわ!」


 ですが、ファナリア王女はそう言ってしまった。

 それは自分自身に対しての死刑宣告も同然なのに。


 取り巻きたちは色を失いつつも、予め用意していたらしい短剣を取り出してきました。

 じりじりと彼らがわたくしたち夫婦ににじり寄る。さすがに微かな恐怖のせいで、ごくりと唾を飲んだ。

 けれど、旦那様はいつもと変わらぬ表情でこう告げます。

「あなた方に一応言っておくのだが、妻を傷つける輩に手加減は一切できん。死ななければ儲けもの程度に考えてくれ」

 恐怖はあっさりと霧消する。

「旦那様……」

「少し退がって見ていろ。一分で片を付ける」

 ごきり、ごきり、と拳を固めた時の音が響く。旦那様の背中はいつも頼もしいですけど、今回はそれに加えて何か……こう……漏れ出す何かがございました。

 すぐに思い出しました。これは盗賊の話を聞いたときの旦那様の怒りのオーラ。


 つまり……前言撤回。私の旦那様は、表情こそ変わらないが。

 滅茶苦茶、怒っていたのです……!



 で、終了。

 ええ、ええ。終了です。簡潔かつ迅速に、戦いは終了いたしました。ちなみに、わたくしは見ているだけでした。何か手伝おうかな、と思いましたがプロのお仕事に素人が出しゃばる余地などございませんでした。

「な……そんな、まさか……」

 絶句するファナリア王女。床では半殺しになった取り巻きたちが呻いています。

 まあ、分かりきっていたことではありますが。

 ちょっと武器を持ったくらいで、うちの旦那様が負けるはずがありませんというか、予想以上の強さでしたわ……。

 一応、以下にどんなだったか四行で解説いたしますね。


 旦那拳→←短剣 拳→ 短剣→→→

 旦那蹴→←短剣 蹴↑ 短剣↑↑↑

 旦那掌→←短剣 掌→ 短剣回回回

 旦那膝→←短剣 膝↓ 短剣悶悶悶


 伝わったでしょうか。ちなみに最後の膝は、男性の方の急所に直撃したそうです。

 わたくしにはよく分かりませんが、お気の毒ですわ……。

 うろたえていたファナリア王女は、キッとわたくしたちを睨み付けてきました。

「……お父様に言ってやるわ……!」

「ほう」

「お父様に言うわ! あなたがこれをやったって! 私を襲おうとして、取り巻きを痛めつけたって!」

 最後まで諦めようとしないファナリア王女に、わたくしは嘆息する。予想していた中でも、あまり望ましくない展開だった。


 もちろん、わたくしたちは彼女の企みを洗いざらい話して、国王陛下に裁決を仰ぐつもりです。

 だが、一抹の不安があるにはある。

 国王陛下が、彼女可愛さのあまりわたくしたちの言い分を却下するのではないか、という点だ。

 もちろん、わたくしはフォクシーズ家の人間である以上、そうそう一方的に追い込まれることはないだろうが……。

 夫であるアーカム・ベオライトは別だ。わたくしは実家の権力もフル活用して、どうにか彼を守ろうと誓っております。


「ファナリア王女。もし、そんなことをなさるのでしたら。わたくしも、全力でお相手いたしますわ。侯爵家の力も、培ったコネクションも、全てを活用して、その企みを阻止するつもりです」

「何よ……政略結婚のくせに……! 愛してもいないくせに……!」

「……確かに最初はそうだったかもしれませんが。今はもう、政略などではないのです」

「は?」

 まさか、こんな状況で。まして他人に向けて告げる言葉ではないかもしれませんが、わたくしもまた少し興奮しているようです。

「――わたくし、心の底からアーカム様をお慕いしておりますわ。ええ、恋愛結婚ですの、今は」

「……」

 絶句する王女。旦那様の反応は恥ずかしくて見られません。


 王女は沈黙のまま、わたくしを睨み据えます。わたくしの告白は、かえって王女の執念を煽ることになったようです。

「学園にいた頃から気に入らなかったのよ、アンタ……!」

 ああ、なるほど。学園の頃からでございますか。

 確かに、わたくしは学園でファナリア王女と同学年でしたわね。

 成績でもマナーでも、わたくしが大体上位で、ファナリア王女は常に下位。

 もちろん、わたくしよりも成績やマナーが上の方はいらっしゃいました。

 しかし上位貴族で、成績もマナーも全て上回られ、あまつさえ彼女に媚びることもなかった同年代の令嬢となると、わたくしくらいのもの。


 長年に渡る怨念が、ファナリア王女の頑なな態度に繋がっているのかもしれません。さて困りました、こうなっては本当に父、つまり実家を頼るしか……。

「……ふむ」


 そして、沈黙を保っていたわたくしの旦那様が静かに進み出て、ファナリア王女と向かい合いました。通常なら、その美貌に心を蕩けさせるものですが、さすがに彼の全身から殺意が滲み出ていれば、話は違います。

 そして、彼は告げました。


「では、王女。あなたを殺すしかないな」


「……え?」

「……はい?」

 わたくしと王女は、ほぼ同時にきょとんとした声で反応した。

 それはこの状況を打開するために、あらゆる方法を考えていたわたくしですら、想像もつかない行為でした。


 旦那様、『氷騎士』アーカム・ベオライトは震えるほど冷たい声で告げます。

「殺すしかない。ファナリア王女……いや、ファナリア。あなたは俺の妻を害そうと企み、それが潰えてもまだ害することを画策している。あなたは諦めまい。何が何でも、私の妻を傷つけようとするだろう」


 一歩、夫がわたくしから離れて、ファナリア王女に近付いた。

 恋人同士のように近い距離。けれど、それはつまり容易に仕留められる距離ともいえます。

 アーカム様の手はファナリア王女の細い首を容易にひねり潰すでしょう。

 そして、王女は今……そういう状況であると、ようやく自覚したのです。


「あ……」

「それならば、俺はお前を殺す。絶対に殺す。そして、生きている彼らも皆殺しにした後、俺も死ぬ。エルテはお前を殺すより前に離縁していたことにする。俺はエルテだけでも生き残ればいいんだ。死なば諸共だ。分かったか?」

「……」

 ごくり、とファナリア王女が唾を飲みました。いくら何でも、彼女とて王族の一員。彼が本気でそれをするかどうか、必死になって思考して――。

 本当にやりかねない、と理解したのでしょう。

 自分が一言、何か反論したり脅迫したりした瞬間、アーカム・ベオライトは首を掴んで折る。

 それにかかる時間など数秒。そして彼は全て皆殺しにして、エルテ・ベオライトだけを生き残らせる。


 可能かどうか、でいえば可能です。遠からず側妃として輿入れする予定の自分と、王家に対して忠誠を誓うが決して侮れない勢力の侯爵家。

 どちらが重要かと問われれば、それは。


 さすがのファナリア王女も、国と自分を比較して自分の方が重要で大切にされる、とは考えられないのでしょう。

 そもそも、殺されてしまえば重要も何もありません。

 そして目の前のアーカム・ベオライトは間違いなく本気で自分を殺そうとしています。

 本気で。自分の人生を、終わらせようとしているのです。

「分かったかッ!!」

 旦那様の殺意に、ファナリア王女がへなへなと座り込みました。

 悲鳴を上げることすらもできず、そのまま恐怖のあまり失神したようです。


「……ふぅ、終わった」

 そして、アーカム様ときたら先ほどの王女に対する殺意はどこへやら。

 のんびりした口調で呟くのです。

「よし、じゃあ助けを呼ぶとするか。一応逃げないよう、縛っておいた方がいいか……?」

 まったく……。

 わたくしはくいくいと旦那様の袖を引っ張った。今の台詞、見逃せない点があります。

「旦那様。先ほどの台詞……エルテはお前を殺すより前に離縁していたことにする、という部分ですけれども」

「う」

 旦那様が狼狽して呻きます。


 そう、先ほどの台詞で見逃せない部分がある。

 確かに、王女殺しともなれば一族皆殺しの憂き目に遭うのは間違いない。だが、それ以前に離縁している証明さえできれば、わたくしの実家は、どうにかわたくしを守ることができるだろう。


 恐らく、もしかすると、ずっと前から考えていたのかもしれない。

 わたくしを巻き込まないために、わたくしを守るために。

 アーカム様は恐らく「自分が有責である」という離婚証明と『白い結婚』であったことを明らかにして、一切合切を解決するつもりだったのだ。


 アーカム様が珍しく、気まずげな表情を浮かべてそっぽを向かれました。

 しばらくして、ぽつりと答えます。

「……うん、本当にいざとなればその腹づもりだった。幸い、俺たちはまだ『白い結婚』だからな。その宣誓書は既に作ってある。それを持って行けば、君はどうとでも……!?」

 おだまりなさいませ、旦那様。

 もう大丈夫かもしれませんが、もし、もしそんな事態に陥っていたならば。

 わたくしもまた、もちろん命を絶つ心づもりでしたわ。

 そんな意志を強く、強く籠めて。

 わたくしは彼と口づけを交わしたのでした。



 ファナリア王女とその取り巻きは、茫然自失でいるところを使用人に発見されました。

 国王陛下には(旦那様の最後の脅迫を除いて)、全てを洗いざらい報告しており、わたくしたちは結果を知るよりも先に旦那様の領地へと帰還する手筈を整えておりました。

 うっかり口封じなどされては、たまったものではありませんもの。


 ですが、出立直前。わたくしたちが王都から逃げようとするのを聞きつけたのか、エリオット・セラフィール第二王子が来訪なさってしまいました。


「ファナリアは無事に輿入れしたよ」

 穏やかな顔で、エリオット様がそう告げました。本来ならば、臣下として平伏すべきですが、彼たっての願いで応接室で向かい合わせです。

「それはよろしゅうございました」

「ははは、全くだ。あの舞踏会以来、軟禁状態だったのに大人しいものでね。君のことを口に出すこともなかった。一体、何をしたんだい?」

 そうですね、王女に対して死を伴った殺意溢れる脅迫をいたしました。

 ……などと言えるはずもなく。


「恐らく、取り巻きたちに振るった暴力が王女の目に毒だったのでしょう。申し訳ありません」

 アーカム様はそう言って頭を下げます。この言い訳は、予め二人で考えていたものです。

「王家の人間たるもの、残酷な情景に耐えなくてはならない。ファナリアにとっては、良薬だったのかもね」

 くすりとエリオット様がお笑いになります。

 まあ良薬というよりは毒薬に近いものですが……。

「もっとも、私の感覚だとそのくらいなら耐えられると思ったんだがなあ。他に何か、印象的な出来事でもあったのかもしれないね?」

「ふふふ、さて何のことでしょう」

 そしてエリオット様の探り……というか、恐らくは確信しているのでしょう。

 あのワガママな王女様が怯えるくらいに、アーカム様が脅したくらいは。


 とはいえ、証拠もない上に王家としてもとっととファナリア王女を送り出したい以上、こちらを咎め立てする余裕はなかったようです。


 ちなみに輿入れした先である隣国の王子には相思相愛の正室の方がいらっしゃり、ファナリア様は側妃としての扱いです。

 そして、これはあくまで国家間の結びつきの意味合いが強い、政略結婚。

 王子が側室である王女と心を通わすことはないだろう、というのがわたくしの見立てでした。

 ……もちろん、それが辛い生活であることに疑いはありません。ですが、決して全てが束縛された囚人ではないのです。

 国の駒のように扱われて気の毒だと思う一方、駒として扱われない未来も確かにあったのです。


 ファナリア王女が相手の王子と心を通わせ、側妃としての人生を送るのか。

 あるいは我が国で暮らしていた時のような、傍若無人な真似をして囚人並みの扱いをされるのか。

 それは全て、彼女次第でございますね。

 でも正直に申し上げまして、わたくしとしては囚人並みの扱いになって欲しいところでございます。

 旦那様に失望されると困るので、口には出しませんが!


 一方で取り巻きの方々は、王女とは関係なくわたくしにちょっかいを出そうとした不逞の輩として処罰されました。

「ファナリアが取り巻きとして連れていた、あの暴漢どもは……まあ、王家から何か命令を下す必要性はないかな。君たちもそう思うだろう?」

「はい」


 別に温情でも何でもない。いわゆる「処罰はそちらで考えていいけど、あまりに緩かったらこちらにも考えがあるよ?」という事である。

 いくら王女の命とはいえ、聞いていいものと悪いものがあり、彼らはいざという時に真っ先に切り捨てられる存在だったのです。

 王家からの命令がない以上、親である貴族たちは最大限に厳しい罰を与える以外に方法はありませんでした。


 さすがに死罪は免れたものの、輿入れした王女には捨てられ、実家とは絶縁。良くて実家から僅かに援助金を貰って細々と暮らす。悪ければ、罪人として監獄送りでしょうか。

 ここから巻き返すのは至難の業かと思いますが……やはり、悪事は断罪されるべき事柄なのです。

 その事をよくよく噛み締めながら、残りの人生を送って欲しいものですわね。


 それからオマケですが、最後まで人生の選択を間違えたユーリ・ハルパーは、大変可哀想でありますが、旦那様の荒技によって腰を痛めたそうでございます。

 歩くことは何とかなりますが、運動は不可能。まして女性を抱くなど到底無理、という状態らしく。

 もちろん、伯爵家のコネクションなら高名な医者に治療してもらうことも可能だったでしょうが……。

 ハルパー家の跡取りであるキーノ様は、断じてそれを許さなかったそうです。

「腰をこれほど痛めた状態であれば、女性にちょっかいを出すこともなくなるでしょう。いやありがたい。礼状をお送りしたいくらいです」

 とは次期当主でありユーリ様の弟、キーノ様の言葉でした。


「ああ、そうそう。今日はこれを伝えるために来たんだ」

 王子が立ち上がり、王命が記入された命令書を手にして読み上げます。

 内容は何と、わたくしたちの領地を加増するとのことでした。これにより、わたくしたちの領地は騎士爵から一気に子爵クラスとなります。身分もそれに合わせて、一気に跳ね上がるようです。

「盗賊退治の迅速さと後はまあ……色々とね」

 王子は目をつむって、軽く笑いました。いわゆる口止め料というものですね。

「エリオット様、謹んでお受けいたします」

「今後もその忠誠を期待する。『氷騎士』ベオライト子爵よ」

 騎士として褒美を受けるアーカム様、王家の人間として褒美を与えるエリオット様。

 見守るわたくしは、頬が緩みがちになるのを必死になって堪えていました。

 最初は領地が広がったことが嬉しいのか、我ながら浅ましいなどと思いましたが、どうも違います。

 そう。わたくしが嬉しいのは、アーカム様が褒美を頂いたこと。彼が認められた、という状態そのものが嬉しいようでした。

「いつか、ザイガードの戦場を語り合おう。我が友よ」

 エリオット様が兵士たちの間で交わされる、あの挨拶を行いました。アーカム様もまた、それに応じて同じ挨拶を行います。

「はい、いつか必ず。……我が友よ」

 エリオット様は屈託のない笑顔と共に、わたくしたちの屋敷から立ち去って行かれました。


「旦那様、奥様。おめでとうございます!」

 わっ、と使用人たちが一斉に拍手を始めた。

 普段、こういう風に騒がれたりすると、わたくしは上位貴族らしく、慎みと謙虚な微笑みで応じたものだけど。

「……うん、ありがとう!」

 わたくしは我先に喜ぶことにした。だって、わたくしの旦那様ときたら『氷騎士』とあだなされる程度には、感情表現が苦手なんですもの。

 だとしたら、わたくしがその分を喜ばなくてはいけませんものね!



 そんなこんなで、わたくしとアーカム様は再び領地へと舞い戻ってまいりました。領地がぐっと広がりましたが、中心地となるのは最初に訪れた村で変わりはありません。

 馬車でのんびりと揺られ、到着は夕暮時。

 橙色の温かな光が、古めかしい館に差し込む様は何とも郷愁めいた美しさがありました。

 館では居残っていた使用人たちが温かい食事を作り、待っていることでしょう。

 家令であり代理領主として働いていたヨナサンの報告を聞くのは、明日からのお仕事ですね。


 そこから先は、色々なお仕事が待っています。領地の経済状態をまとめ、各地に代官を派遣する算段を整え、領地を豊かにするための方策も考えなければ。

 仕事はまさに山積みですが、これほど充実している状態もありません。


 わたくしは館を眺めながら、ふと思ったことを呟きます。

「ふふ、王都に戻っていたのは一ヶ月もありませんのに。何だか懐かしいですわね、旦那様」


「……エルテ、大事な話がある」

 その真剣な声色に、わたくしは振り向きました。

 相変わらずの無表情。でも、今のわたくしには分かります。その苦悩の感情が。

「旦那様……?」

「俺たちを取り巻く騒動は、全て終わった。本来ならば、俺は、私は、君を手放すべきなのかもしれない」

 その言葉に、わたくしは沈黙する。

 旦那様が何が言いたいか、伝えたいのか、手に取るように分かってしまう。


「それでも――俺は、君の全てが好きだ。故に、二度目ではあるが、この振る舞いを許されたい。……そう、かつての言葉を借りるなら。愛することはない訳ではないのだ」

 かつてと同じ、けれど今は意味合いが違う言葉。

 大地に跪いた彼は、わたくしの手を握り締めます。

 目が合う。どこまでも誠実に、アーカム様はわたくしを見つめて仰いました。

「結婚して欲しい。心から愛している」

 わたくしは一瞬の間も置かず、すぐに答えたのです。

「承ります。そして、わたくしも心から愛していますわ」


 その後のことは語るまでもありません。

 古今東西、やるべきことをやってのけた夫婦の結末など、当たり前の言葉に決まっているのでは?





 ――二人は、いつまでも幸福に暮らしましたとさ。





「あ、ところで旦那様。『愛している人がいる』と結婚前に風の噂で伺ったのですが……」

「家族と領民を愛しているし、これから先もずっと愛し続けるが? それ以外は……王女に『私のことを愛しているわね?』と問われて『王家に対して忠誠を尽くします』と告げたくらいだが……」

「やっぱりそういうことでしたのね」

「もちろん、家族である君も愛し続けるつもりだ。迷惑でなければだが」

「わたくしたちの子供も、ですわよ」

「…………おお!」


こちらで完結です。

(番外編などの追加もあるかもですが、ひとまず)

皆様、最後までお読みくださりありがとうございました!

ポイント、ブックマークなどつけていただければ喜びます。

また、こちらは大変嬉しいニュースが届きました。

近々発表できるかもしれません……!

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― 新着の感想 ―
[一言] シリアスも飛んでいくボケとツッコミ(笑い)が冴え渡る素敵なお話でした! 番外編や続編がありましたら読みたいです!
[一言] 控えめに言って最高かよ!
[一言] 天井を這う旦那さまを絵で見たいような見たくないような……子供が出来た時の様子を想像するだけでも面白そうです。旦那さまみたいな天然の子供になるかきちんと教えられた奥さん似になるか。
感想一覧
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