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4話「領地を守るのもまた、貴族の務めですわね」



 そんなこんなで、夫婦となって三ヶ月が過ぎました。

 第三王女であるファナリア様の婚姻は既に確定事項であるが、隣国との交渉がやや難航しているようです。

 だが、情勢が落ち着くのを待ち続ける訳にもいかない。そろそろ、領地に赴くべき頃合いだ。


 使用人たちは父の援助もあり、そのほとんどを連れていくことができました。

 もっともあくまで援助である以上、期間を定めるべきだろう。まずは一ヶ月間、領地運営を手伝ってもらう。以降は様子を見つつ、と言ったところだろうか。

 わたくしの計算では、領地の狭さなども加味すると恐らく手伝いが必要なのは三ヶ月程度。以降は騎士爵として与えられた収入から、必要な人材を起用していくべきだろう。


 アーカム様の騎士としての任務も一旦区切りがついた。以降は騎士爵の人間として、領地運営と王都での騎士任務をこなす日々が続く。

 わたくしはそれを手伝う……それとも、領地運営はわたくしに任せてもらってもいいかもしれない。


 夫が王都での仕事に専念するため、妻が領地運営をこなすのはこの国でも珍しいことではない。

 でもアーカム様は首を横に振った。


「もちろん、手伝って欲しいとは思う。だが……任せっきりというのは、最初から放棄してしまっているというか、君に嫌なことを押しつけるような気がする」

「そんなことありませんわよ?」

「ああ、君の言葉は真実だ。でも、俺は養父(ちち)に『領地運営ですか? 全てエルテに任せているので、俺は何も知りません』とは言えない。それは、貴族として正しくないからな」

「なるほど……。マウティー子爵は、不正には厳しい方ですものね」

「ああ。二十四時間の説教を受けても不思議ではない」

「タフネスですわね……」


 そうしてアーカム様とわたくしは、かっぽかっぽと王都外れの村に赴くことにした。

 お父様の援助によるため、使用人たちは貴族用の馬車を使えるが、わたくしたちは騎士爵なので、平民向けの馬車を借りることになる。


 さすがにそれは、と難色を示すアーカム様(言うまでもないが、当人は気にしていない。彼が気にしているのは、わたくしが平民用の馬車に乗ることである)に、わたくしは「これは絶対です」と頑として言うことを聞かなかった。


 例えば、お父様によって使用人たちが雇われ、援助されること。

 これは適法である。法律においても全く問題なく、領地経営という難しい仕事を円滑にこなすためのものだからだ。


 だが彼らの馬車に騎士爵の人間が乗る、というのは不適切である。

 もちろん、建前といえば建前だ。使用人が招待という形でわたくしたちを受け入れれば問題ない。

 ほとんどの貴族はそうやって貴族用の馬車に乗り込むのが通例だ。

 だが、今のわたくしたちにはそこら中に敵がいる。


 実際、陰謀として『男爵が上級貴族用の馬車に乗り込んだ』ことを問題にするような事態は、数例だが存在するのだ。

「領地に到着するまでの我慢ですわ。そのくらいならば」

 ――などと思ったのが、間違いであった。


 がたごと、がたごと、がたがたごとごと。

 馬車はぎいぎいと、引っ切りなしに軋む音を立てている。お陰で眠ることは難しそうだった。加えて、断続的に生じる揺れが平衡感覚をおかしくさせた。

 有り体に言うと、酔った。


「大丈夫か?」

「ええ」

「……いや、大丈夫ではなさそうだ。一旦、馬車を止めよう」


 アーカム様の命により、一旦馬車が止まる。それから、わたくしは彼に抱え上げられて外に出た。

 頭がぐるぐるして、胃のあたりがむかむかする。何ともいえない不快感に、考えることも覚束ない。


 馬車が止まったのは、王都外れの小さな森林地帯でした。

 揺れが停止したことで、気持ち的には楽になりました。アーカム様は森で一際大きな樹木にわたくしをそっと横たえました。


「水は飲めるか?」


 こくん、と頷くとアーカム様が水筒を取り出して、そっとわたくしの唇に当てた。傾けられた水筒から、冷たい水が流れ込む。

 胃の、先ほどからどうにもならなかった嫌な感覚が少し収まった。


「程ほどにしておこう。飲みすぎればまた不快になる」

 アーカム様は水筒の蓋を閉めると、わたくしから離れた。

「目を閉じて、今は休め」

 わたくしはぼんやりと、思っていることを口にした。

「目を閉じている間、どこかへ行ったりしませんか?」

「……しない」

「約束してくださいませ」

「分かった。約束する」


 アーカム様はわたくしの傍らに、改めて座り直した。

「申し訳ありません、旦那様」

「何がだ?」

「平民用の馬車でなければならない、と言っておいて……この体たらく」


 計算違いだったのは、わたくしの脆弱さのせい。

 多少のリスクを背負ってでも、わたくしのような人間は上級貴族向けの馬車に乗り込むべきでした。


「…………」

 アーカム様はしばらく無言で考え、「失礼」と告げてわたくしの手を優しく握り締めた。

「エルテ。俺は完璧な人間を妻に求めた訳ではないよ。俺だって完璧じゃない、どこもかしこも欠点だらけだ。だから人は寄り添うのだ」

「旦那様……」

 温かい言葉に目が潤む。アーカム様は柔らかな言葉で告げる。

「だから、君がめちゃくちゃ吐いても俺はまったく気にしない」


 ……。

 ……そこは……気にしてくださいませ……。



 少し休んで楽になったわたくしは、どうにかこうにか残りの道を耐え抜いて、無事にベオライト家の領地に辿り着いた。

 が、そこで見たわたくしたちの領地に気分の悪さも忘れかけるほどの衝撃を受けた。


「これは……」


 同じく到着した使用人たちの顔は険しい。手入れが行き届いているように見える家屋だが、火事のように屋根が焦げている。それも一軒や二軒ではない。破壊され、最早防衛としての意味を為してない柵。


「……山賊の襲撃を受けたか」


 力無く座り込む村人に、アーカム様が駆け寄る。同時にわたくしは、素早く周囲を観察する。

 破壊された家屋が数軒、村人の死体は見えない、柵の破壊箇所は二箇所。ここは外れとはいえ、王都から決して遠くはない。

 山賊の発生件数は微々たるもの。……微々たるもの、であるならば発生はしていてもおかしくはないのか。


「奥様」

「武装を許します」

「はっ」


 お父様から派遣された使用人たちは、かつてアーカム様が看破した通り、全員が()()()()()()、わたくしの護衛に徹するだけの力量がある。


 わたくし自身も、護身術であれば多少は心得がある。とはいえ、実戦経験などないわたくしは、基本は距離を置くべきだろうが。

 村人から話を聞いて戻ってきた旦那様に尋ねる。


「旦那様、状況は……」

「山賊のようだ。襲撃は二日前。死者こそ出なかったが、怪我人が多数。納税予定だった品物を強奪された、とのこと」

「そうですか……」


 悔やまれる。二日早く出るべきだったでしょうか。

「山賊の数はそれほど多くはなかったそうだ。ただ、珍しいことに軍馬に乗っている者が一人いた、とのこと」

「軍馬に……!?」


 山賊の危険性が否応なく増した。こちらの馬は運搬用だ。軍馬と拮抗する力は持っていない。

「旦那様。わたくしが詳しい話を伺います。旦那様は使用人と共に柵の修繕と怪我人の手当をお願いいたします」

「そうだな。俺よりはエルテの方が話しやすいか……」


 アーカム様は騎士であり、眉目秀麗ではあるが背丈も高く威圧的だ。萎縮して、質問に上手く答えられなかったり、無意識に虚偽を答えてしまう可能性がある。


「頼む」

「お任せを」

 わたくしは途方に暮れたような老人の手をそっと握って、目を見た。

「まずは落ち着いてください。深呼吸を」

「は、はい」

「ゆっくり、何があったか順番に話してください。分からなかったものは分からなかった、と答えていただいて大丈夫ですよ」

「はい……」

 老人はゆっくりと、語り始めた。


 村はずれにある、大きいだけで半ば腐りかけた建物が領主の屋敷らしく、わたくしたちは、ひとまずそこへ向かわざるを得ませんでした。


「掃除は途中で終わらせても構いません。最低限、風雨を凌いで眠れるだけでいいです。階段が腐ってないか確認しないといけないので、二階に上ることは禁止です。ヨナサン、あなたはわたくしと旦那様の話し合いに参加してください」


 わたくしの言葉に使用人たちが散っていった。

 それから、わたくしたちは一階の、恐らくはダイニングルームと思しき場所で地図を広げた。この村を中心に近隣の村を表示した簡易的なものだが、今はこれで充分でしょう。


「旦那様。それでは始めます」

「ああ」


 アーカム様の眼光は鋭く、表情はいつもと変わらぬように見えるものの、僅かに怒りが滲み出ているような気がした。


「犠牲者はいません。女性と子供も間一髪で地下室に逃げ込めたため、攫われることはなかったようです」


 不幸中の幸い、というところだろうか。

 村の被害は全焼した家が五軒、屋根が損壊した家が六軒、一年かけて納税用に蓄えていた穀物及び村の名物である工芸品だ。


「山賊の数はおおよそ二十名前後。内、軍馬に乗っていたのが三名。武器は斧、鉈といった類いが主でしたが、軍馬に乗っていた男は槍を持っていたようです」

「警戒していた訳ではないのだな?」

「あのご老人が知る限り、この村に山賊が出たことは一度もなかったそうです。酔っ払いが暴れるくらいが関の山だったと」


 何しろ外れとはいえ、王都の領地だ。他の貴族が持つ領土の境界線も遠く、山賊が出るというには、地理的条件が悪すぎる。


「確かに不思議ですな。この山賊たちは一体……」

「軍馬に乗っていた者たちは、乗り慣れた様子だったか?」


 アーカム様の問い掛けに、わたくしは頷いた。

「はい。老人の視点では、ですが」

「……先の戦争が終わった後に流れ込んだ傭兵の類いかもしれない。我が国も、相手の国も、数を揃えるためにそれなりの人数を雇い入れたからな」

「傭兵……」

「軍馬も戦のどさくさ紛れに盗み出したものかもしれない。武器も同じくだ」

「素人ではない、ということですね?」


 アーカム様は頷いた。少し厄介な相手だ。戦いに慣れている、という一点で素人とは明白な差が生じる。


「彼らはどこに立ち去ったか分かるか?」

「そこまでは。ただ、この村から見て西側には別の村があり、その道途中に山があります。恐らくはそこを根城にしているものと――」

「次に狙われるのはその村か」


 アーカム様の言葉に、ヨナサンがはっとした表情を浮かべた。わたくしも同意する。あるいは、次に狙われた村がこちらだったかもしれないが。いずれにせよ、調査が必要だろう。


「ヨナサン、この手紙を王都の騎士団本部へ届けて欲しい。馬を走らせるのが上手い使用人を二名選出せよ」

 ベオライト家の印章で封蝋を施した手紙をヨナサンが厳粛に受け取った。


 彼が立ち去ったところで、わたくしと旦那様で改めて協議に入る。

「方針はどうなさいます? 攻撃か防衛か、ですが」

「西の村次第だ。もし西の村がまだ襲われていなければ……先手を取って、山に乗り込むしかあるまい」

「畏まりました。襲われてない場合、防衛で時間を稼ぐということですわね?」

「ああ」

「それならば、急いで西の村にも馬を走らせましょう。距離から考えれば、明日の朝までには戻ってこられるはずです」


 不意に、アーカム様がわたくしを見た。

「……侯爵令嬢とは、このような軍議にも参加する前提で勉強するものなのか?」

「他は存じ上げませんが、わたくしはそう考えておりましたので」

 少しだけ嘘をついている。わたくしがこの手の事に詳しいのは、半分ほどが趣味である。


「そうか。頼もしい」

 アーカム様は納得したように頷いた。

「……女の身で、とは考えませんの?」

 思わず、口からそんな言葉が突いて出た。昔、ユーリに一度だけこの話題に触れたことがあるが、その時は嫌悪の表情を浮かべられ、「女はそんなことを考えなくていい」と言われたものだ。


「男であれ女であれ、今必要なのは戦うことと、その知識だ。遠慮などせず、どんどん言って欲しい」

「承知いたしましたわ、あなた」


 翌朝。

 夜通し、馬を走らせてくれた使用人が戻ってきた。


「西の村には、まだ被害が及んでませんでした。ですが、村人の話によれば自称商人とかいう胡散臭い人間が、村を訪れていたそうです」

「なぜ胡散臭いと?」

「大抵の商人は村の入り口で商うのに、わざわざ『村長に挨拶したいので』と村に入り、じろじろと周囲を見回していたことに加えて、売ろうとした商品が、こちらの村の工芸品だったからです」

「胡散臭さの塊ではないか」

 ですわね。


「幸い、その男は村人たちが捕縛したようです。私はそこまで聞いて、これは指示を仰ぐべきだと急いで戻ってきました」

「ご苦労だった。しばらく休んでいい」


 アーカム様の言葉に、使用人は疲労困憊ながら礼儀正しく辞去の挨拶を済ませて退室した。


「恐らく先遣隊だな。この村を襲った際に、貴重な財産を見つけられずに焦った反省からだろう」

「旦那様。貴重な財産、とは……村人のことですか?」


 より具体的には女性と子供。倫理なき外道であることを受け入れるなら、人間とは高額の財産に他ならない。


「ああ。この国では奴隷は禁じられているが、いつの世も需要があれば、商人は出てくるものだ」

 その言葉に同意する。他国に運び込む伝手さえあれば、この国の法律に逆らうだけの旨味があるということだろう。

 もっとも、この国において奴隷も山賊も極刑級の罪だ。旨味、の一言で片付けるには無謀すぎるが。


「エルテ。……どう考える? 俺としては、西の村へ直ちに向かって防備態勢を整えるべきか、と思うのだが」


 わたくしは地図を見ながら、ゆっくりと口を開いた。

 アーカム様の提案は正しい。わたくしと使用人、アーカム様が総出で西の村へと向かい、防備を固める。


 その上で、騎士団の到着を待つ。順当に行けば、騎士団が編制を整えてこちらにやってくるまで一日半程度だろうか。

 問題ない、とは思うが……。


「ただ、その場合は山賊たちは逃亡する可能性があります。彼らは兵士ではありませんから」

「……そうだ、確かに」


 わたくしが懸念しているのは、山賊たちを壊滅させられなかった時。

 彼らは散り散りになって逃げてしまった後。一度、山賊になってしまえば真っ当な人間に戻ることを期待するのは、とても難しい。

 彼らを一人たりとも逃がすことなく、殲滅しなければ。


「わたくしに、もう一つの案があります。聞いていただけますか?」

 アーカム様はその案に、僅かに目を見開いた。

 それはアーカム・ベオライトという騎士に全幅の信頼を置かなければ成立しない策。

 同時に、アーカム様がわたくしを信じてくれなければ不可能な策だった。



 西の村に到着したわたくしと使用人たちは、恐縮する村人たちを他所に簡易的ではあるが柵の補強を済ませ、希望する女性と子供たちを地下に近隣の森へ避難させた。


 残った村人たちに斧や鉈など武器を持たせ、篝火(かがりび)を焚いた。

「あの……領主の奥様」

 村長と思しき人間が、おずおずとわたくしに声を掛けた。

「ええ、何でしょう?」

「山賊は……来ますでしょうか?」

「来るでしょうね」


 甲冑を着た騎士団が駐屯しているならばともかく、ここにいるのは平服の人間たち。人数もそれほど多寡がある訳ではない。

 安全策を採って逃げる可能性もないではないが、それでは食い詰める一方。

 何より、わたくしたちが最初に到着した村を襲って成功している。

 そう、成功しているのだ。一度成功したならば、二度目も成功するだろう、しなければ後がない。

 山賊たちはそう思い込む。

 そして彼らは当然ながら、留守番役を残すことなどしない。全員で向かい、全員で戦い、全員で逃げる。


「戦う以外に選択はありません。覚悟を決めなさい。……被害に関しては、わたくしたちである程度は補償します」

「はい……」

 補償の言質を取ったことで安心したのか、村長は引き下がった。


「よろしいのですか?」

 使用人の問い掛けに、わたくしはくすりと笑いました。

「わたくしはある程度、と言いました。どの程度なのかは、具体的に言った訳ではありませんよ? それに、わたくしは領主ではなく領主の妻ですので」


 なので、わたくしの補償に関する発言はあまり意味がないのである。

 わたくしが悪役になれば、の話だが。


「しかし、それは……」

 案ずるような使用人。

「心配せずとも、彼らが満足するだけの補償は可能ですわ。税の軽減の他にも色々と、どうにかできる余地は残されています」


 とはいえ、これには前提がある。

「いずれにせよ、勝たなければ前提が崩れます。しっかりなさい」

「はい!」

 その使用人と入れ替わるように、ヨナサンがそっとわたくしに耳打ちした。

「来ました」

「間一髪ね。間に合ってよかったわ」


 わたくしたちが到着して五時間後、山賊たちは強引な襲撃を仕掛けてきた。

 さて、山賊たちは篝火と補強された柵を見てどう考えるだろう。


「……たかが農民どもが、舐めるんじゃねえぞ!」


 という元傭兵、現山賊らしい反応である。

「軍馬に乗った男たちはやはりリーダー格でしょうね。手筈通りに進めるわ!」


 さて。

 多少柵を補強したところで、軍馬に乗り越えられればあっという間に戦線は崩壊するだろう。

 そしてそれを防ぐためには、大声をあげながら柵を壊そうとする山賊たちに痛い目を見せねばならない。


 まず弓矢。幸い、近くの山で動物を狩るために弓矢を持つ村人が数人いた。

「放て!」

 わたくしの指示で、彼らに火矢を放たせる。


 これは当てられなくてもいい。要は矢を射たれていることを理解してくれれば、それで問題ない。

 暗闇を引き裂くように、色鮮やかな炎が空を飛んで地面に突き刺さった。

 当たってはいないが、矢を放たれたことは理解したのだろう。


 案の定、山賊たちがどよめいて戸惑うように動きが止まる。

「行け! 行くんだよテメエら!」

 リーダー格の男の叫びに、仕方ないという感じで山賊たちは突撃する。


 こちらとしては残念なことに弓を持つ村人は三人ほどしかおらず、それでは山賊を完全に防ぐことは難しい。

 では、柵に辿り着いた山賊たちはどうすればいいだろう。

「……痛っ! 何だ、テメェら……! あ、くそ、痛!」


 正解は石。コストパフォーマンス抜群、破壊力充分、弾の補給も容易……というほど容易ではないが、矢を確保するよりは楽。


「はーい、どんどん投げてくださいましねー」

 ぱんぱん、と手を叩いて村人たちを叱咤する。彼らにとっても、これは楽なのだ。直接剣だの何だので斬り合うならともかく、ただ投げるだけなら恐怖はない。


 一人、二人であるが不運にも頭に石が直撃して倒れ込む山賊も出始めた。

「いいわ! では、全員……吼えて!」

 オー、オーとその場にいる全員に吼え立てるように命じる。

 はい、ますます山賊たちの動揺が深まります。

 そしてもう一つ、これはとある事柄の前振りとなっています。


「しゃらくせえ!」


 山賊のリーダー格が叫び、軍馬を操って柵を乗り越えました。

 見事な技量です。傭兵で馬に熟達した者はあまりいない、と聞いていましたが、彼は数少ない例外なのかもしれません。


「そらよ!」

 軍馬は鞭を打たれると、後ろ足で柵を蹴り飛ばしました。柵に穴が空いたのです。恐らく、最初の村を襲ったときもこうして柵を破壊したのでしょう。


「覚悟はいいな?」

 ニヤリ、と山賊が不敵に笑い……顔をしかめます。

 わたくしも、使用人も、そして村人も、全員が彼を恐れた様子はありません。

 普通、柵が破壊されたなら怯えるべきです。逃げる者もいるでしょう。

 しかし、誰一人として山賊を恐れる様子はありません。

 ええ、ええ。それは当然ですとも。


「よし、お前ら! お前ら? ……え?」

 振り向いた山賊が、訝しげに自分の部下たちを見やります。

 一人残らず倒れ込んでいて、分かりやすく言うと全滅です。


 そしてリーダーが衝撃のあまり呆けていると、馬に乗った彼に向けてジャンプした男が一人。

「えっ」

「……ベオライト・キーーーック!」

 その技名、いります?

 かくしてリーダー格の頭に、わたくしの旦那様の蹴りが直撃。

 山賊は一人残らず捕縛されたのでございます。あっさりと。


「……つくづく、わたくしの旦那様って強いですわねー……」


 わたくしは思わずそんな呟きを漏らします。

 二十人からいたはずの山賊。石で負傷していた者もいたとはいえ、ほとんどが健在だったはずの彼らは、全員が気絶していました。


 背後、つまり山を回避してこの村に辿り着いたわたくしたちとは違って、アーカム様は山に直接向かい、山賊たちの背後から奇襲を仕掛けたのです。


 ええ、村人や使用人が大声を上げたのは、背後で動いているアーカム様の動きを悟られないがため。

 柵に取り付いてどうにかしようとしていた山賊たちはほとんど気付かれることなく、一撃で悲鳴すらも上げられずに倒れていった、という訳です。


「エルテ、無事か?」

「アーカム様、大丈夫です。使用人、村人たちにも負傷者はいません。今、森に隠した他の村人たちを迎えに行っています」

「そうか。良かっ……待て」

「はい?」


 アーカム様がわたくしを見て、目を見開きました。珍しいことです。そればかりか、更に珍しい事態が起きました。

 彼がわたくしの手首を握り、ぐいと引き寄せてわたくしの顔を覗き込みました。


「ち、ちかっ、近っ!」

 物凄い美形が視界いっぱいに広がっています!


「エルテ、顔が青ざめている。疲れているのだろう?」

「いえ、そんな、わたくしは疲れてなど…………あれ?」


 急に、足の力が入らなくなった。倒れ込みそうになるのを、アーカム様がしっかりと両腕で支えてくれる。

 ……なるほど。どうやら生まれて初めての実戦に、わたくしは緊張していたらしい。それが終わったことで、緊張の糸も切れてしまったのだろう。


「もう休んでいい。今日は本当に、お疲れ様」

『氷騎士』の異名に相応しい玲瓏な美貌は崩れることなくとも、アーカム様の普段より優しい声が耳をくすぐる。

「ありがとうございます。少し……休ませていただきますね」

 眠気に襲われたわたくしはそのまま、瞼を閉じる。

 わたくしを抱き締める体は、仄かな温かさがあった。


 生まれて初めて戦って、生まれて初めて守るべき者たちを救えた。

 わたくしはもう侯爵令嬢ではなく、騎士爵アーカム・ベオライトの妻なのだ。

 それを心から実感した一日だった。



 三日ほどが過ぎました。

 到着した騎士団に山賊たちを引き渡して、わたくしたちの仕事は終了。軍馬はこちらの戦利品となり、アーカム様の乗馬としました。


 山賊を退治した、ということで国家からも幾分か褒賞が支払われます。これを先の村への補償としよう、とアーカム様と二人で決めましたわ。


「エルテ。君はそろそろ帰るべきだと思うが……」

 この村に連日、宿泊させる訳にはいかないと思ったのか、アーカム様はそう告げた。

 わたくしはいいえと答えました。


「ここはアーカム様の領地であり、わたくしの領地ですわ。でしたら、ここでしばらく暮らすのも当然です」

「……ありがとう」


 やるべきことは多々あったが、村人たちはわたくしたちを歓迎してくれました。

「正直、まさかと思いました。こんな猫の額みたいな領地に領主様とは……」

 村長ちょっと正直すぎますわ。

「ともあれ山賊を退治いただいて、本当にありがとうございます。今後は安心して暮らせます」


 ともあれわたくしたちは村人たちに挨拶を済ませ、改めて屋敷をある程度住めるように急いで修繕することにいたしました。

 幸い、修繕には村の人間たちも(守ることができた西の村も含めて)協力していただけました。


「村を救ってくれた領主様のためなら」

 ということで、無償で協力していただけましたわ。本当にいい響きですわね、無償って。


「屋根の補修をしたいので、木材を運びたいのですが……」

「よし、今そちらに向かう」

「えっ」

「ジャンプ!」

 重たく長い木材を肩に担いだ旦那様が、数メートルのジャンプで屋根に飛び移りました。


「我らの主、だいぶ人間を辞めておられますな……不遜な物言いですが」

「正直、それはわたくしもちょっと思ってますわ」

 体力お化けである旦那様が中心となって、もうあっという間に、屋敷が修繕されました。


「おめでとうございます」

「領主様、これからもよろしくお願いいたします!」


 それを祝い、拍手する村人たち。そんな折り、突然甲高い歓声が響きました。


「む、来たか」

「旦那様? どなたが……あら」

「りょうしゅさまー!」


 やってきたのは村の子供たちでした。命懸けで村が守り通した子供たちですわね。彼らも最初は怯えていたものの、今ではすっかり元気を取り戻したようです。

 そんな子供たちが数人、わたくしたちの前にやってきました。


「やくそくしたもんね!」「そうだそうだー!」


 はて、旦那様は子供たちに一体何を約束したのでしょう?


「あーそーぼー!」(子供)

「いーいーぞー!」(旦那様)


 即答でしたわ。

 まだ体力残っているのですのね旦那様。すごい。


「建物の修繕が終わったら遊ぶ、と約束してしまっていたからな。という訳で、しばらく子供たちと遊んでくることにする。すまない」

「いえ、修繕も一段落つきましたし問題ありません。いってらっしゃいませ」

「よし。皆、何をして遊ぼうか?」


 子供たちは一斉に「騎士ごっこ!」と叫びました。

「ああ。騎士なら得意だとも」

 アーカム様は少し胸を張ってそう仰いました。本職ですからね。



「全軍、突げーーーき!」

「うおー!」


 夫であるアーカム・ベオライトは真面目な顔で近所の子供たちの騎士ごっこに付き合っています。

 なお、アーカム様は指揮官ではなく馬役であり、指揮官をおんぶして走り回るのが役目であるそうです。ちなみに盗賊から取り戻された本物の馬の方は、のんびりと草を食べています。


「お止めした方が良かったでしょうか……?」

 申し訳なさそうに尋ねるヨナサンに、わたくしはまさか、と笑った。


 彼は侯爵ではなく、騎士爵。身分的にはほぼ平民であり、騎士としての義務はあっても貴族としての義務は無きに等しいのです。

 体裁が悪い……というのも、正直に言って馬鹿馬鹿しい。

 今さらというやつですわ。

 それに。


「ぱからっぱからっぱからっ」

「いいぞー、アーカム! じゃあくなドラゴンからおひめさまをたすけだすのだー!」

「ぱからっ……待って欲しい。敵は邪悪な帝国ではなかったか」

「どーでもいいじゃん!」

「……ひひーん!」


 大真面目に馬役をこなす自分の夫は、間抜けで、でも真面目で、何というか……。


「かわいい……」

「はい?」

「あ、いえ。何でもないわ、何でもないの」

 こほんこほん、と咳払いをして誤魔化しました。


 いやもう本当に。馬鹿馬鹿しいほどに真面目に、馬役をこなそうとする我が旦那様は、何とも言えない愛らしさがある……と思ってしまったのです。


 騎士として勇敢に戦う時はカッコ良く、子供と一緒に泥だらけになって遊ぶ様は可愛らしく。

 そして、それを見ながらのんびりとお茶を飲む時間は、かけがえのない貴重なものでした。


 ふと、有り得なかった未来を思います。

 もしもユーリ・ハルパーと結婚していたら……格式の高い屋敷で、気を張り詰めながら、社交をこなしていたかもしれません。

 身に付けるドレスも、宝飾品も、食べる物も、全て今とは異なっていたでしょう。ただ、それで本当に幸福だったでしょうか?

 それは分かりません。

 今、確実なことはただ一つです。わたくしは幸せだ、と感じています。


 その日の晩、ベッドに潜った夫とわたくしは、いつもより親密に話をしました。

 そして、手を握り締めて見つめ合って。

「……いいだろうか?」

「ど、どうぞ」

 そして、いつになく盛り上がって。

 夫婦として結婚式以来、二度目の口づけを交わしました。


 多分、この時だったと思います。

 わたくしの心の中で、大切な花が華やぐように咲いたのは。


本日の投稿はここまでです。明日、残り部分を投稿するつもりです!

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