2話「旦那様は割と天然です」
◆
数日が経ち、わたくしは久しぶりに侯爵家の屋敷――父が住む家へ用向きができたので、外出することにした。
侯爵家から招待の馬車が来る予定だったが、わたくしはそれを断ることにした。
「奥様、何故です?」
「この家から侯爵家の馬車を出せば、旦那様の権威に響きます」
「考えすぎではないかと……」
かもしれない。この屋敷にしても、侯爵家の所有物だ。ただ、やはり侯爵家の家紋を掲げた馬車で、ここから出入りするのはアーカム様に悪い気がした。
……いや、まあ。アーカム様はその辺に疎いというか朴訥というか。割と気にしないかもしれないけど、わたくしが嫌だ。
「歩いていけない距離でもありませんし。馬車でない交通手段にも慣れませんとね」
「畏まりました」
そうして、わたくしは昼頃に今の屋敷を出発したのですが……。
「あら、エルテ様。奇遇ですわね」
「お歩きになるとは珍しいですわね。侯爵家令嬢ともあろう方が……あら、失礼。今は騎士爵の奥様でしたわね」
などと煽ってくる二人組に遭遇してしまいました。
こんなことなら馬車を使っておけばよかったかしら……。
(確かライヴェル伯爵家のクラシア様と、コート子爵家のリリア様だったかしら)
悪意に満ち満ちた表情のリリア様と、ポーカーフェイスではあるが愉悦を隠しきれないクラシア様。
ああ、厄介なのに絡まれてしまったな――と、わたくしは心中で嘆息した。
「こちらこそ奇遇ですわね。クラシア様とリリア様。お元気そうで何よりです」
元侯爵家令嬢とはいえ、今は騎士爵の奥方。わたくしは礼儀に則って、丁重に挨拶した。
元の身分であれば、鼻も引っ掛けられなかった二人であるが、今のわたくしに彼女たちを無視する、という選択肢はない。
「婚約破棄には驚きましたわ。ユーリ様もお気の毒ですこと」
「いえ、でもユーリ様は解放されたかのように伸び伸びとしていらっしゃいましたわ。ふふふ、重荷ではなかったのかしら」
わたくしの方が遙かに重荷でしたわー、と反論したくなるのを堪えつつ、侯爵家令嬢らしい、涼やかな笑みを浮かべる。
「かもしれませんわね。でも、お互いに自由になったことで新しい人生を切り開ける気がいたしますわ」
わたくしの言葉に、二人が不機嫌そうにわたくしを睨み付ける。さすがに伯爵家令嬢であるクラシア様はすぐに表情を戻したが、リリア様は崩れっぱなしだ。
「でも、いくら麗しの『氷騎士』といっても騎士爵ではねぇ……」
「顔がいいだけでは、結婚相手としてはねぇ……わたくしは御免被りたいですわ」
……不思議と、心にさざ波が広がった。有り体に言えば、少し不快になった。
「そうですわね。顔だけでは結婚相手に相応しくありませんわ」
彼女たちの言葉を肯定して、少し間を置き――
「でも、わたくしの旦那様は顔だけではなく礼儀正しく、素晴らしい人格の持ち主です。結婚できて、本当に良かったと思いますわ」
満面の、幸福そうな笑顔でそう告げた。
クラシア様とリリア様が口をぽかんと開けたまま、わたくしを眺めている。
伯爵家のクラシア様もさすがに貼り付けた笑顔が崩れてしまった。
貼り付けた笑顔だけではなく、こういう表情も装備しておくといざという時に優位に立てますわよ、クラシア様?
これでこの話はおしまい。二人は嫌味に嫌味を返されて、苛立ちながらも帰宅。それから「でもあの方、所詮は騎士爵の奥方ですし」とか考えて、何とか気を紛らわせる、あたりが関の山だろう。
が、ここでわたくしにも計算違いが一つあった。
「エルテ、どうした?」
その声に、わたくしはぎくりと硬直する。クラシア様とリリア様が、反射的にその声の方角へと振り向く。
「あら」「まあ」
甲冑姿のアーカム様が、わたくしに声を掛けたのだ。だが、その美貌は兜に覆われている。
「旦那様」
「ああ。彼女たちは――」
「わたくし、クラシア・ライヴェルですわ」
「リリア・コートです」
ニヤリと二人が、嘲るような嫌な笑い方をした。
「わたくしは男爵家、こちらのクラシア様はライヴェル家の伯爵令嬢でございますよ。兜を外さないのは無礼でありませんこと?」
「これは失礼、確かにそうですね」
アーカム様が兜を脱ぐ。ああ、とわたくしは頭痛を堪えるように顔に手を当てた。恐らく、であるが。
二人の狙いは『氷騎士』の顔を見て、「確かに美形だけど、まあそれだけじゃね」と、先ほどの主張を繰り返すつもりだったのだろう。
確かに「美形」ならば、二人の主張は正しい。いや、どんなに顔が良くても人間、中身が大事ということに変わりはないけれど。
だが、わたくしの旦那様は、こう、わたくしが言うのは恥ずかしいが。
そこらの美形では及びもしないのだ……!
兜を外したアーカム様が、二人を見た。
「びっ」「びゃっ」
二人から感嘆と驚愕が入り交じったような奇声が出た。そこにいたのは、もちろん旦那様――『氷騎士』の異名を持つアーカム・ベオライトであり、つまり、素顔で歩くだけで老若男女が振り返り、木々ははにかんで花開き(大袈裟)、太陽は羞恥で姿を隠す(大袈裟)レベルの美形なのである。
そしてアーカム様は告げた。
「エルテが世話になっているのでしょうか。お二人とも、よろしくお願いします。どうぞ、変わらぬ交流を」
「ぎゃい」「ひゃい」
ずい、と一歩踏み出した。美形オーラに当てられ、二人は失神寸前である。さすがにこんな大通りで失神する女性を二人出す訳にもいかない。
「その内に夜会でまたお会いしましょうね。それではお二人ともさようなら」
さっとそう言って、アーカム様に腕を絡める。
……固いですわ。
それはそう、甲冑姿でございますからね。
「痛くないか?」
「大丈夫ですわ。それより旦那様は、こんなところで何を?」
「警邏任務が終わったので、食事を取ろうと思ってな」
「この姿で、ですか?」
「普段からこれだ。団長に滅多なことでは顔を出さない方がいい、と言われているからな」
「なるほど……え、兜もですか?」
「口元のパーツをかぱっと開いて食べる」
想像すると、いかんともし難いシュールな光景であった。
「君は?」
「わたくしは実家の方に用向きがありまして」
「そうか……実家まで送ろう」
「いえ、そんな……」
「気にすることはない。夫として当然のことだ」
その言葉にうっ、と言葉が喉に詰まってしまいました。相変わらずの輝く美貌で、そんなことを言ってしまうのは正直ずるいと思います。
表情は相変わらず真面目では、あるのですが。
旦那様はわたくしの実家の門前まで、きっちり送り届けてくれた。油断なく周囲を見回す姿は、やはり騎士として頼れる姿ですわねぇ、とわたくしはぼんやり考えておりました。
「本日は遅くなるかもしれませんので、夕食は先に摂って頂いて結構ですよ」
本来は夕食を共にするべきかもしれませんが、アーカム様の勤務時間はやや不定で、互いの都合で遅らせたりする訳にも参りません。
「そうか……」
相変わらず、『氷騎士』らしく、彼の表情は変わることはなく。
……でも、彼が思ったよりも冷血でも非情でもないことは、夫婦として数日過ごしただけのわたくしにも分かりかけています。
アーカム様は、その、何と申しますか。
……可愛い方なのです。
「では、実家でのんびり過ごすといい」
「はい。旦那様も任務頑張ってください」
「無論、気合いを入れて頑張るとしよう。では」
わたくしに背を向けて、腕を振り回しながら颯爽と立ち去っていくアーカム様。
それはいいのですけれど、旦那様……兜、つけるの忘れております。
門衛が門を開けるのを待っていると、背後で令嬢の悲鳴が複数人聞こえた気がいたしますが、気のせいということにしておきましょう!
◆
そして実家の執務室。
向かい合ったお父様は、こほんと咳払いしてから話を切り出しました。
「アーカム・ベオライトとは上手くいっているか? 彼はお前の権力が強いことに不満を漏らしていないか? あるいは、暴力を振るったりなどは……してないようだが。ともかく、夫婦生活は順調なのか?」
その質問に、わたくしはちょっと思い出し笑いを浮かべながら、答えました。
「極めて順調ですわ。アーカム様は誠実で、お優しい方です。そして、わたくし……フォーサイズ家の権力も、不満はおろか関心すらないようです。日々を真面目に過ごす方でしてよ」
「そうか……」
わたくしの目に嘘がない、と見て取ったのかお父様は安堵の息を零しました。
愛されているなぁ、とわたくしがしんみりいたしました。
さて、それはそれとしてもう一つ、アーカム様に関する重要な事実を、お父様に伝えなければならない。
「それからですね。アーカム様は、」
「うん、彼は?」
「もしかすると、もしかするとなのですが」
「もしかすると?」
「――天然、なのかもしれません」
そう。結婚してから言葉を交わしたり義父である方とお喋りして得た結論。
それは、アーカム・ベオライトはド天然だという事実でありました。
「まず、アーカム様は自分の顔立ちが過ぎるほどの美貌だとは、認識しておりません。いえ、正確にはある程度の認識はしておりますが、すぐにそれを忘れてしまいます」
「まさか。あの美貌だぞ」
「その……旦那様……アーカム様はですね。ご両親は生まれてすぐに亡くなり、叔父である方に保護者として育てられたのです」
「ああ、もちろんその辺は私も調べた。叔父であるマウティー子爵は私も知っている。後ろ暗いところのない、好人物だ」
マウティー子爵はアーカム様の養父であり、『我が国でもっとも誠実な貴族』と言われている。
ちなみにわたくしの家は……まあ、侯爵らしくそれなりに腹黒いし後ろ暗い。それが表沙汰になったことはございませんけど。
ともあれ、アーカム様は一代限りとして爵位を授与されたベオライト男爵家の長男として生まれ、物心つかない内にご両親が相次いで亡くなられてしまった。
いくら一代限りといえども、赤ん坊を見捨てるのは忍びないと親戚である子爵が、アーカム様の養育を申し出たのです。
「そしてマウティー様は幼い頃から卓越した美貌であったアーカム様に懸念を抱き、育てる乳母や世話をする使用人を、彼が孫かひ孫にしか見えない人間で固めたのだそうです」
若いメイドを雇ってしまえば、万が一の過ちが起こるかもしれない。起こらないとしても、顔があまりに良すぎる人間が主人では、何かしら歪むかもしれない。
それならば、もう最初から使用人にとっての孫扱いにすればよい。
「そういう訳で、アーカム様は自分の美貌にほとんど関心の無い環境で育てられました」
「ま、まあそういうことも……あるか」
「大人になり、騎士となってからようやく『俺はもしかして顔が良いというやつなのか』と自覚なさったようで」
「おっそ」
お父様が反射的にそう呟いた。
はいそうです、とわたくしも同意した。しかも、遅かったせいか未だに自覚が足りないようで。
「そうは言っても、女性の反応を体感すれば……顔がいい、という自覚は生まれるのでは?」
「アーカム様は騎士であり、部隊に女性騎士はいらっしゃいませんでした。そしてオットー騎士団長の命令で基本的に兜で顔を覆っていたそうです」
何しろ男女問わずときめいてしまいそうな美形だ。
顔を出していれば、同僚の士気が妙なことになりかねない。そしてアーカム様は上官の命令であれば、大抵のことは了解する性質であったのです。
かくしてアーカム・ベオライトは自分の顔が美形かどうかにまったく関心のない、趣味が仕事の一途な人間に育ったのでありました。
「正直に言って意外だ。その……令嬢たちの間では評判だったのだろう?」
「ええ、ですが……」
婚姻する前後、時間は乏しかったもののわたくしは可能な限り、アーカム様に関する情報を自分でも集めておりました。
ですが出てくるのは「なんかすっごい美形の騎士がいる」と噂に噂を呼んで、顔を見たこともない方々ばかり。
彼とデートしたことがある、彼と一夜を共にしたと豪語していた令嬢たちも、調べてみれば会ったことすらもなく。
「申し訳ございません……見栄を……見栄を張っていただけなのです……」
と膝から崩れ落ちた時はさすがに呆れましたわ。
「もちろん、しっかりと顔を見た方はいらっしゃいましたが――」
○ルイーズ・シャンディ男爵令嬢
ムリです、あれはムリ。声を掛けようとして全身が硬直してしまいましたわ。
○ジュリアンナ・トゥーラー伯爵令嬢
兜を外して空を見上げたら太陽が陰りましたわ。太陽すらも恥じる美貌でしたもの。声を掛ける? 畏れ多くて……。
○マリアンヌ・ヴァロワ侯爵令嬢
ご尊顔を拝見しましたら、病が治りましたの。
皆様も騎士団にお布施をするべきですわ。
「こんな感じです」
「もう精霊とかそういう扱いになってる……」
令嬢であれば王家の王太子など、美形と呼ばれる方々との遭遇に慣れているはずなのに、この有様である。
まあ、そもそもが第三王女ですらご執心なさるほどだから、当然といえば当然かもしれないですが……。
「エルテ、お前は大丈夫なのか?」
「顔をぐいっと寄せられると思考が停止しかかりますが、それ以外は何とか」
ええ、何とか頑張ってますわ。
「お前が思考停止するって、余程じゃない?」
大丈夫です。もう少ししたら慣れると思いますわ。……多分ですが……。
お父様は一通りのことを聞いた後、コホンと咳払いした。
「まあいい、夫婦生活は……耐え切れない、という訳ではないのだな」
「はい。アーカム様はちょっと、かなり天然なだけで、やるべきことはやってくれますし、どんな仕事にも手を抜かないところは、好感が持てます」
「お前自身はどうだ?」
「わたくしは……あまり変わりありません。ああ、でも社交の付き合いがなくなったので、しばらくは情報を仕入れることが難しいかと存じます」
何しろ侯爵令嬢から騎士爵の妻です。
既に王都では口さがない令嬢たちの噂が飛び交っていることでしょう。もちろん、フォクシーズは宝石鉱山を持つ有力な貴族。あまり表立って言われることはないでしょうが……。
「その辺の心配はしなくていい。今は、身を潜める時期だからな」
「第三王女が輿入れするまでは、ですか」
「ああ。上手く利用すれば、王家に大きな貸しを作ることができるかもしれない。お前なら分かるな?」
ぎゅっ、と。無意識に、わたくしの両手が強く握り締められました。
そう、例えば。
例えば、アーカム様を撒き餌に使い、王女殿下が手を出すように仕向ける。
わたくしたちは王女殿下に夫を奪い取られたと侯爵家として激怒、抗議する。
あるいは闇に葬ることを条件にして、王家に大きな貸しを作る……侯爵家にとって、どう転んでも得になる策だ。
わたくしと、そして何よりアーカム様が傷つくことになるけれど。
「ええ、もちろんです」
「だが、それは劇薬だ。使う予定はない、今のところはな」
握られていた拳が、安堵で開いた。
「――ありがとうございます、お父様」
「お前が幸せなら、それを壊す権利は私にはないからね」
お父様はそう言って笑うと、話を締めくくった。
「姉上! お帰りだったのですか!」
お父様との情報交換を終えたわたくしに、快活な声がかかる。
わたくしの弟であり、フォクシーズ家の跡取りである長男マリケスだ。
くせっ毛のある栗色の髪と、キラキラと輝く瞳。
貴族らしい賢しさと純粋な子供らしさが入り交じったような容貌。
初対面なら世渡りが上手そう、という印象を受けるかもしれない。
「あら、マリケス。久しぶりね、学園生活はどうかしら?」
「まあまあ、という感じですかね。姉上は……」
「わたくしもまあまあ、という感じかしら」
マリケスはわたくしの顔を見て、なるほどと頷いた。
「アレが婚約者だった頃よりは、元気そうで何よりです」
「……え。わたくし、アレが婚約者だった頃そんなに酷かったかしら?」
反射的に頬に手を当てると、マリケスはやれやれという感じに笑う。
「普段は全く問題ありませんが、アレが関わる事になるとため息をつく回数がやたら多かったり、手を叩いて気合いを入れ直したり、ともかく優秀な姉上が頑張らないといけないレベルなんだな、と思ってました」
「まあ……」
そんな……だったのか、わたくしってば。確かに何かユーリとの問題が起きる度に、無意識にため息をついていたかもしれないし、気合いを入れるために手を叩いていたかもしれない。
そういえばここ数日、何となくスッキリ目覚めている気がする。
平気だと思っていたが、無意識にユーリのことをストレスとして抱えていたのかもしれない。
「ただ……結婚したのが騎士爵の男、というのは……。もう少し、良い縁談もあったかと思うのですが……」
マリケスの表情が一転曇る。後継者として日々経験を積み重ねている彼は、もう少し何かやりようがあったのではないか、そう考えているようだった。
「あら、そんなことなくてよ。わたくしは、良縁を引き当てたと思うわ」
「……そうなのですか?」
「ええ。もちろん、まだ結婚して数日しか経過していないけれど」
――愛することはない、という訳ではない。
そんな言葉を告げた、アーカム様を思い出す。お互いに愛のない結婚だったのは確かだ。でも、だからと言って……。
「……まあ、ダメになったら戻ってくるわ。迷惑かもしれないけど」
「ここは姉上の家ですよ、いつでも戻ってくださって結構ですよ」
「あらあら」
「ついでに僕の領地経営を手伝ってくれると幸いです」
ニヤリとマリケスが笑う。
「そこは自分でやりなさい」
こつん、と額を指で弾く。さすが我が弟、ちゃっかりさは家族譲りである。
◆
夫婦生活一ヶ月目。
つまり例の宣言から一ヶ月目、である。相変わらず、彼の表情は凍り付いたように変わらない。変わらない、のであるが。
「エルテ、本当に唐突なのだが」
「ええ、何でしょうアーカム様」
「俺たちは夫婦となって、一ヶ月が経ったはずだ」
「そうですわね」
「しかし、形だけと言われればぐうの音も出ない。もう少し、夫婦らしいことをするべきか。するとしたら、どういうことをするべきか。謎が謎を呼んでいる」
「なるほど……」
「そこで俺が思い付いたのは、」
「思い付いたのは」
「クイズだ」
「おっと、そう来ましたか旦那様」
アーカム様が真面目な表情で一枚の紙を取り出した。そこには『好きなものは?』『趣味は?』『苦手なものは?』などといった二十問の問いかけが並んでいた。
「互いに答えを記入し、一から順に当ててみよう。この問題は、俺ではなく家令のヨナサンが作ってくれたものだ」
「なるほど公平ですわね」
「では……開始だ!」
キリッとした表情でアーカム様は問題に向き合い、わたくしも仕方ありませんね、とため息をつきつつ問題に向き合う。ここは夫を立てるべきかしら、などと考え――
(……これは……どちらかしら……)
八問目あたりで、本気になっていた。くっ、意外に歯ごたえのある問題ですわね。最初の方こそ当たり障りのない問題だったものの、八問目は『この屋敷に使われている壁材は?』という問い掛けだった。
そんなのあり?
確か最初にこの屋敷を訪れた時、アーカム様が興奮して(ただし通常の生真面目顔で)まくし立てていた時にヨナサンから壁材の名前が出ていたような……。
「八問目。うむ、これは分かるな……」
旦那様ずるーい!
「八問目、アーカム様○、エルテ様×。九問目、アーカム様×、エルテ様○……」
「二十問目、アーカム様×、エルテ様○。以上をもちまして、アーカム様十一問正解。エルテ様十三問正解。エルテ様の勝利です」
「やーりーまーしーたーわー!」
淑女にあるまじき、歓喜のガッツポーズをするわたくし。
「くっ、一歩及ばなかったか……!」
氷騎士らしからぬ、膝を突いて悔しがる旦那様。
「拍手」
健闘を称えるヨナサンを含めた使用人たち。
いけない、段々わたくしも含めて皆、アーカム様の謎のノリに引っ張られ始めている……!
よろしくないのではないか、とわたくしは思ったものの「いえしかしこの屋敷は笑顔に満ちているし、そもそも騎士爵の妻であればそう堅苦しく感じる必要もないのでは?」とすぐに思い直した。
うん、まあ。何というか。
心地よい、のだ。『氷騎士』アーカム様のお側にいる、というのは。
……というか、もう『氷騎士』のイメージがまるでないのだけど。もちろん、その恐ろしいほどの美貌は、今もなおこちらの胸を弾ませる。
でも、それよりもこの人の魅力は――
「どうした、エルテ?」
首を傾げるアーカム様。その表情は一ヶ月前と変わらない、生真面目なものなのだけど。わたくしには、僅かな差異が感じ取られた。
「いいえ、何でもありませんわ」
まあ本当に僅かなので、彼が何を考えているのかまでは――理解できてないのですけれど。