どこまでがオマージュ?
真面目な話をするかと見せかけて、あんまりしない。
じゃあ何の話がしたいかというと「FGOに偉人出過ぎで実在の人物が題材として使いづらくない?」ということ。つまり今回はほぼ偉人ばっかの話になる。
拙作も途中まではオリキャラと神話の人物、歴史上の偉人がいい塩梅になるように頑張ってオリキャラをひり出していた。が、最終章にまで着手する頃にはもう誰も読んでないことに気付いたのでありったけの「Fate」被りをぶち込んだのである。怒ってくる人がいないからね。経緯が悲し過ぎる。
具体的に言うとベオウルフ、ジャンヌ・ダルク、リチャード1世、モルガン・ル・フェ、パーシヴァル、ラグナル・ロズブローク、エリザベート・バートリーといった具合である。もう被りまくり。でもFGOって既にサーヴァントが300後半くらいの数がいるんでしょ? 仕方なくない? 外伝小説まで含めるとこの世の偉人のサジェストを全てFateにする気か? と言うほどの勢い。
アーサー王だってちっとは出したかったけどまあ、無理でしょ。故人として軽く触れはしたけど。仮に登場させてもFGOだといつもビーム撃ってるからつい小説でもビームぶっぱマンにしてしまったかもしれない。危ない危ない。
ここで気になるのがどこまでがオマージュとかリスペクトの部類に入るのかということ。例えばFGOのジャンヌ・ダルクの宝具(必殺技)は「味方全体を無敵にする」というもの。対して拙作のジャンヌ・ダルクの権能(能力)は「自軍が戦闘に必ず勝利する」というもの。
ちょっと似てない?
全く同じとは言わないけど底辺だから許されることであって、プロがやってたら類似点を挙げられて叩かれる気がする。
他にもベオウルフが肉弾戦を好んだり、パーシヴァルの武器がロンギヌスの槍だったり、逸話由来だよと言っても既に先達がいるので「パクリ」と言われたら「オマージュです」と逃げるしかない。指摘してくる相手がいなくてよかった……!
というかFGOさんは存外容赦がない。平野耕太先生の「ドリフターズ」というマンガ。まあ有名ですけど、内容は生死不明のまま消息不明の歴史上の人物が異世界転移して大暴れといったもの。転移する登場人物は織田信長、土方歳三、ジャンヌ・ダルク、ジルドレ、アナスタシア、ラスプーチン、源義経と様々だが……全部後発のFGOがかっさらっていってしまった。まあ刊行ペースがごにょごにょという理由もあると思うのだが、やりたいことを先にやられたというケースだってあるかもしれない。
まあこういう創作系はやりたいことやったもん勝ち。先に発表した方が偉いという風潮があるからある程度仕方ない。中には裁判が起こったりするし。
でも世の中にはこれだけアニメ、マンガ、ラノベといった娯楽が溢れているので何かしら被るのはしょうがない気がする。でもラグナル・ロズブロークが被るとは思わなかった。正直。
他にはゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンという義手の騎士の逸話が面白そうだから調べてたら他のエロゲに出ててびっくりした。中身は全くの別物だったっぽいのでそのままねじ込んだのだが。
偉人バトルを意識するなら扱う偉人が被ってしまうのは仕方ないとして、逸話の解釈が被ってしまわないか丹念に調べる必要もある。前述の通りなんせ相手はFGOだけではないのだ。だからジャンヌ・ダルクに至っては生前の予言を受けた日から人外の部類に転生したことにした。フランス軍の連戦連勝も人外になった能力の結果である。流石にこれは被りようがあるまい。
そんなこんなで底辺も苦労しているのである。わざわざベオウルフについても30年前の絶版の書籍を買ったりもした。ネット情報があんまりにも少ないので。届いたら何故か知らん人へのサイン入りだった。ただ、意外とWikipediaとかで当たり前のように書いてあることと、書籍の内容が異なっていたりしていて面白い。
ベオウルフは寝てるときに手元に武器がなくて素手で巨人と対決したとネットには載っているが、本には「剣も使えない奴に剣で戦うのは対等ではない」として最初から素手の勝負をするつもりだったと書いてある。拙作は後者の方がカッコいいためそちらを採用した。
今取り組んでいる拙作が完結したら異世界ファンタジーものにでも取り組んでみようかなと思ってはいるが、今度は設定・世界観被りがないかある程度調べるハメになる。
これこそ「オマージュです」で許してもらえませんか?
この回で感じたのは「題材被りが許してもらえるかは題材次第」ということ。例えば偉人を出すなら能力まで同じにしなければ少なくともバトルもので怒られることはないんじゃないのか。偉人の例しか知らないけど。少なくとも筆者はそう思う。