クソエッセイを始めて感じたこと
前回次回予告を忘れたので勝手にクソエッセイを始めて感じたことを書く。まだ3日目くらいだけど。
あとついさっき拙作に2ポイントだけ入っていた形跡があった。どうして分かるかというと元のポイントが少ないからである。2ポイント評価で悩んでいた時期もあったが、聖闘士に同じ技は二度も通じぬ。今やこれは常識!
それは置いといてエッセイの話に戻る。まずとにかく気晴らしになる。いくらブクマ1でも小説として投稿する以上は小説としての体を成していなければならない。頭を使うし、設定の矛盾がないかも考える。場合によっては過去改変もする。一方でクソエッセイはその場で思いついたことをただ書き殴るだけでいいし、今のところわざわざ感想を書いてまで怒りに来る人がいない。サイコー!
ツイッターなんかひどいもんだぜ。毎日誰かが創作関係の何かに怒ってるし、ここに書いているようなことを書き散らしたら絶対怒りのリプライが飛んでくる。そしてツイッターを使いこなす商業作家にでもリツイートされたらもうお終いである。前後の流れ、自身でぶらさげた訂正、引用リツイート等が全て無視されリツイート力のない層に届くまで一生通知が止まらなくなる。まあ消せばいいんだけど。
大昔、1年近く前にアクションシーンについてスクショ付きで「どうしたもんか」とぼやいたことがある。まあ悪手だった。ああした方がいい。こうした方がいいというリプライ。これはいい。参考になった。だが明らかな戦闘シーンで「これはあらすじですか?」とか意味不明なリプライが付いたりした。次第にアドバイスも似た内容ばかりになったので〆ても通知が止まらない。
ネットニュースを見てもそうだがツイッターの民は前後の流れを読もうとしない傾向にあると思う。それは物書きを自称していてもだ。これどうにかならないんですか? テレビが前後の流れを省略して報道すると怒る人はいるのにね。
だからクソエッセイに書くのだ。クソエッセイこそが正義。規約に違反しなければ大体何をしてもいいから。わざわざ見に来なければ嫌な思いなんてしないんだからクソリプよりマシだろ。
そしてこんなクソエッセイにもブクマが付いた。わざわざ拙作まで覗いていただいて感想までいただいた。これは嬉しい誤算だった。平身低頭。どこに足を向けて寝ればいいかわからないので今後は立って寝ることとする。
逆にダメだったこと。小説を書かなくなる。いや、書いてはいるが1話分書くとそれで満足してクソエッセイに流れる。拙作の1話は2500字くらいなので1日に書いている分量はここ何日かだとクソエッセイの方が多い。いかんでしょ。
だがついクソエッセイに浮気してしまう。その辺はとりあえず気合いでねじ伏せる。ヤーッ!
そして完結ブーストというものがブクマ1のド底辺にも発生するものなのかも検証してみたい。あれってある程度の数字がある一定の評価をされている人が「完結してるみたいだし読むか……」ってされてなるんじゃないんですか? まあその辺のデータを分析する根気も知能もないので結果だけ伝える形になるだろうが、少し楽しみである。
あともう1つダメだったことはクソエッセイと共に拙作が丸見えになっていることである。ぶっちゃけそんなつもりはなかったから、気付いてちょっと固まった。つまりアカウントを変えなくても作者名を変えれば別人の書いたものになると思っていたのだ。だから作者の名前が「ゴミ」にされているのである。名を奪われたわけではない。まあクソエッセイから拙作に感想をいただくこともできたし悪い話だけではない。動線になったってやつなのだろうか?
ついでに言うとエッセイのネタ探しって大変じゃないですか? 石動雷十太のように「なろうの行く末を真に憂う者」ではないので、なろうのランキングとか、テンプレ叩きとか、不正とかその辺の全てがどうでもいい。エッセイで名を揚げようという志もないので好き勝手書くだけである。強い思想もないので書きかけで仮面ライダーを見に離席したら何を書こうとしていたか忘れるレベル。
この回で言いたいのは「エッセイと称して何かを書き散らすのは案外楽しい」ということ。どんな分野でもいいから一度書いてみるのもありでは? 少なくとも筆者はそう思う。
次回「どこまでがオマージュ?」に続きます。