ツイッター宣伝について
こんなクソエッセイにも多少の宣伝効果があるもので、これを読んだと思われる方が問題の拙作を3話くらい読んでいるのを確認した。何故わかるのか? 更新した時間以外のアクセスが基本的にないからである。ツイッター上で「全然伸びない……」って毎時間ちょろちょろとアクセスのある解析をスクショして上げてる人に教えてあげたい。
「俺が底辺だ!」と。
で、今回は主にツイッター宣伝について思っていることに触れていきたい。
意味ある?
率直過ぎたかもしれない。でもなろう作家のツイッターって半日前のツイートを遡るだけで5分くらいかかるときがある。見逃すのも込みで。宣伝リツイートが多すぎるのだ。気に入った作品の作者のツイッターを見ても、宣伝だらけで人となりがわからない。で、誰も彼もが宣伝するものだからツイッターを眺めていると一日で同じ宣伝を何度も見るはめになる。独自のイラストなどが付いていると余計に目立つ。まあ宣伝だから目立つことに意味があるんだろうが。クリックしたことはない。
で、パっとインプレッション(見られたりした数)が300くらいの自身の宣伝ツイートのリンククリック数をさっき見てきた。
1である。
1人だけリンクをクリックしてくれた。ありがたい話ではあるが、読んでくれたかは知らない。
こんなことでは宣伝文句を考える時間で少しでも作品の文字を増やした方がいいと思ってしまう。こんなクソエッセイを書いている身分で言える話ではないが。特に大きく話が動かなくて紹介がしにくいエピソードのときなどは宣伝文句に何を書けばいいか分からない。しかし毎回「更新しました」だけだと手抜き感が見えてしまう。だって読む前にある程度はどんな話かは知りたくないですか?
毎回変える必要は無いかもしれないが、誰かに何かが引っかかる可能性を信じて宣伝文句を頑張って毎度ひり出していた。でもみんながみんなあれやこれやとリツイートするからそれに秒で埋もれて終わる。自身の作品が伸びないのは「ぼくのかんがえたさいきょうのせんでん」が埋もれるんじゃい! という話ではない。一応。
まあその宣伝文句に魅力がないとか、表示されるカ〇ヨムのキャッチコピーがクソだとか考えられる理由はあるが、更新と共にせっせ宣伝のツイートをしても1人にしかクリックされない。読まれたかも分からない。
意味ある?
商業でやってる方とかが、自作を宣伝するのには十分意味があると思う。仕事の一環とも言える。あと単純にさらなる高みを目指すなろう戦闘力が高い人とか。だけどドの付く底辺が一生懸命宣伝文まで考えてツイッターやる意味はあるのか?
「それはお前の努力が足りない。挨拶とか、リプライとかを積極的にして相手の作品を読め」
こういう意見もあるかも知れない。でもだってそれ営業やんか。
そもそも私は営業職を速攻で退職した人間である。
やだぷ。
そもそも私の本垢はとても下品かつ粗暴であり、表に出せるようなものではない。当の昔に当たり障りないリプライの仕方など忘れてしまった。あとめんどくさい。まともな社会人でないので挨拶もできない。書籍予定された作家が過去のツイートで全てが消し飛んだという話もある。まあ書籍化の話が来た作家と私を比べるのはおこがましいにもほどがあるが……。
あと世に溢れる宣伝の仕方がなんとも……。
右から左にツイートを流していくだけというか……。
ただリツイートが邪魔ならそのアカウントのリツイートを非表示にすればいい。それを推奨しているアカウントもある。が、「応援」「支援」とだけ書かれた引用リツイートがタイムラインを埋め尽くした際はどうすればいいのか。アプリを閉じるか、さようならである。
それとも「応援」をミュートワードに入れるのか。そこまでするのか。
これ以上言うと怒られそう。でももう少し効果的な宣伝の仕方ってあると思う。
「我は思いつく宣伝の全てを試している。ツイッターなどその氷山の一角に過ぎんわ!」
とか異論がある方は感想で「ブクマ1がほざくな」と書いておいてください。
この回で言いたいのは「ただ片っ端からリツイートをすることだけが宣伝なのか」ということ。宣伝している人のツイートが埋もれては本末転倒ではないか。少なくとも筆者はそう思う。
次回「読み合い地獄」に続きます。