創作界隈毎日喧嘩してる説
説立証。
なぜならツイッターを見ると毎日誰かが自論を展開しているからだ。
火元は知らない。興味ないね。
精神衛生上そういうのはフォローしていないのでいつも蚊帳の外だ。なのでそれに呼応したお気持ち、意見ばかり見ることになる。
さっきもプロローグがいらないとかで盛り上がっておりました。と思うと別の場所ではオリジナリティ云々の話題も見た。
今回は早々に説が立証されてしまったため、どうして皆血気盛んなのかの説を検証してみることにする。
①表現者である以上思ったことは発言せずにはいられない説
これが事実なら面倒な性分である。ツイッターとメイン人格を完全に切り替えられるのであればいいが、出来ていない例を現実で見たことがあるのでフォロー内にそういう人がいるのなら実生活が心配になる。
発端の発言者がどれくらいの温度で言ったことかは知らんが、大抵の場合興味がない。その発言だけならまだしも、それに呼応したお気持ちの群れに。
「創作垢なんだから創作のことを語るのは当たり前だろ!」
という反論もあるかもしれない。ごもっともである。
でも数が多い。引用リツイートもあれば、さっき見たツイートもリツイートで強制的に見させられる。なんならそれについての意見も付いてくる。時計仕掛けのオレンジか何か?
誰かがビシっと良いことを言ったら賛同のリツイートだけすればいいと思う。うるさいので。だがそれをさせない性があるのだろうか。
②何らかの不平不満、ストレスを抱えている説
なろう作家の9割9分は同じ悩みを抱えている。
「思ったように作品が伸びない」
とそういった負のストレスが火を大きくしているという説。
どちらかと言えば火元ではなく周囲で火に薪をくべている側だ。とにかく反応しないと気が済まない人たちとでも言うべきだろうか。
おかげでいつもタイムラインは煙たい。ツイッターは自身の宣伝と読んでいる作家さんの人となりを知るために使っていきたいのだが、中々そうさせてもらえない。いつもありがとうございます。
ガンダムの2on2のクソゲーをプレイしていた時期の話だが、通信に暴言を仕込んでいるプレイヤーがいた。そんなの事前に仕込んでおかないと発動できないので彼らはよっぽどのストレスを感じながらゲームをプレイしていたのだろう。アホらし。
つまりは創作に一定のストレスを感じている層が、創作を話題にした論争に身を投じることでストレスを発散しているのではないかという考えである。クソエッセイでも書けばいいと思う。エッセイ界でも喧嘩をしているなら知りません。もう助かりません。
③筆者以外全員喧嘩好き説
そのまんま。身体は闘争を求める。
全員話題なんてどうでもよくてご意見番をやりたいという考え。
何かが燃えると大概「この話題この前もやったな」というツイートが湧き出てくる。では「創作論客全員バカ説」ではないのか。違う。話題などなんでもいいのだ。
ツイッターであそこまで創作論の体で毎度毎度何かが燃やされているのは燃やしたがりがいるからなのだ。全部が同一人物と言いたいわけではない。
相手も大物以外誰でもいい。とりあえずネタになりそうなターゲットに着火する。大概そういう人物の近くにはお祭り好きがいて、それに否定的な意見を述べるなりして拡散する。
今度は受け身の論客が現れる。炎上を見て元のツイートを擁護する意見が拡散される。
こうなると双方が飽きるまで同じネタが擦られることになる。炎上側が擁護側に物申したり、その逆だったり。場合によっては商業作家まで出てくることもある。流石に物腰は柔らかいが。
別にいいけどリツイートを封じて直接リプライで刺し合ってくれんか?
3つの考えを挙げてみたがどうだろうか、全部だと思う。
構成する要素の割合は人それぞれだと思うし、さらに他の要因もあるかとは思う。
だから創作界隈は基本的に「思ったことを言わずにいられないストレスを抱えた喧嘩好き」なのである。なんのことはない。どの界隈も同じだよ。炎上ネタはみんな好きだ。物書きだからこそ他よりも「文字で」発言したがりなところはあるかもしれないが。
つまり同じ界隈で括ったタイムラインを構築するから全員血気盛んなように思えるのだ。
バラバラの界隈のタイムラインで1人が何かに怒り狂っていてもよっぽどでなければ気にしないだろう。皆その程度のネット慣れはしている。
この回の主張は「特別創作界隈がおかしいわけではい」ということ。同じ界隈で括るからみんなでセミのように同じ話をするし、物書きである以上他の界隈よりも「物申したさ」があるのではないか。少なくとも筆者はそう思う。




