10万字ブーストってあるの?
本題に入る前にこのクソエッセイからかは不明だが拙作にブクマが増えた。ありがたい限りである。でもブクマが1ではなくなったのでクソエッセイのタイトルを改めた。まあ大した話ではない。
関係ないけど他のエッセイを読んでいたら短編で一つの話題について語る人が多いんだなと思った。あと皆さんもう少し真面目だった。筆者は初めての長編で大失敗をし、思うところがいくつもあるので連載形式にしている。おふざけは入れたくて仕方ないので許してほしい。
本題に戻る。10万字ブーストはあるのか?
ぶっちゃけ作品によるんじゃないですか?
あった人はあったと言う。
拙作にはなかった。
10万字に差し掛かった前後の日付のアクセス数を電卓で足し算しながら見た。他に方法を知らないので。
全っ然伸びてなかった。ある意味当たり前の結果かもしれない。だってさあ10万字を目安に検索かけて読みに来る人って当然「一定のクオリティの担保された」長編を読みに来るわけでしょ。その中でブクマ一桁の作品をわざわざ選ぶことってある?
世のスコッパーと呼ばれる人種も見える地雷にスコップを突き立てはしないのである。拙作程度の出来なら仮に掘り当ててもそっと埋め戻すだろう。
結論が既に出てしまった。
さっきググって出てくた「ブーストはありまぁす!」系の話もそもそものアクセス数が4桁台だった。比較対象にならなすぎて話にならない! ああ、話にならないのはこのクソエッセイを書いているこいつです。誤解なきよう。
前提から違うという繋がりの話だと、ツイッターを見ていると「しばらく更新できてないのにこれだけのアクセスがあった。頑張らなきゃ!」というスクショツイートを見ることがある。
「ほんなら拙作は更新しないとどんくらいアクセスあるかわかる?」
「しゃァない。ようわかるようにキミらの数字で教えたげるわ」
「1PVや」
マジである。5月のアクセス解析を見れば分かる。マジである。
そもそもが「更新された連載小説」以外からのPVが多分ほとんど無い拙作は更新がなければ誰もこない。そのレベルの小説がブーストなんぞの恩恵に与ろうというのがおこがましいということだ。
つまりは10万字ブーストとか、完結ブーストとかそういうものに期待するのであればそれなりのクオリティのブツを用意しておかなければならないということ。ワイトもそう思います。
要するに文字数だけクッソ多くてブクマは少ない拙作は、駅前で売られている怪しい訳あり果物ということである。宣伝をしようが、売り子が駅前でいくら声をかけても相手にされないのと同じである。
文章下手クソこそ例えも下手とはいうが、筆者は率直にこう感じた。
なら10万字ブーストがダメなら20万字か、それとも100万字までいくのか?
もう少し賢い方法がある。クソエッセイである。まあ別にエッセイでなくてもいい。短編でも、ジャンル違いの作品でもなんでもいい。でもエッセイが楽なのは事実。
要は「動線」を作るのである。
以前にも書いたようにこのクソエッセイは作者名を変えたので拙作と上手い感じに結び付かないもんだと思っていたが見事に「同じ作者の作品」として括られてしまった。そして「20万字書いて大コケした駄作? どれどれ……」と試しに読まれる例が少なくないのだ。少なくともPVは増えた。以前の倍くらい。とてもありがたい話ではあるが「ここを失敗しました」とエッセイで書いて「確かにね」と思われていると思うと恥ずかしい。
色々と「なろう 伸びない」とかで検索している際に既にどっかに書いてあったが、本命以外の作品を書いて本命に流れるような「動線」を作っておくというのは大事だと今回で実感した。だが改めて言うとこのクソエッセイは拙作とは無関係のキチゲ解放のつもりだったことは重ねて申し上げる。
ネタがなければなんでもいいから書いておけばいいのである。あんまり過激なことを書くと敵が増えるだけだけど。あと筆者はなろうという場だから創作関係の話を主体に書いてるから政治だなんだの話もまあ、おすすめしない。でも書くのは自由。
ガンダムの話がいいと思う。
この回の主張は「ド底辺はブーストにすがるな。動線を作るべし」ということ。時間があればの話ではあるが。いくら書いても伸びない作品があるなら少し休んでエッセイでも書いてみたらいいのではないか。少なくとも筆者はそう思う。




