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初恋ブルース

作者: 古本怜士
掲載日:2022/06/02

夏の大三角形、いて座、さそり座、てんびん座、はくちょう座……。たくさんの星座が頭上を覆っている。大きなプラネタリウムの半球型スクリーンに、無数の綺麗な星座が映し出されている。


 そして、僕はそれらの綺麗な星空を眺めることなく、隣でスクリーンを眺めている好きな女の子を横目で見ていた。無論、星よりも綺麗だったからである。


 チラ見をしていると、目が合った。にっこりと笑いかけてくる、かわいい。


 僕は当時好きな女の子がいた。初めて「好き」という感情を覚えたのだ。友達が「同じ子と席が隣になったから変わってくれよ」と言われてなんとなく隣になった子だ。


 全員が認めるようなかわいい子ではなかったと思うけれど、僕は好きだった。凄く笑顔が素敵だったのだ。その子の笑顔を見るために学校へスキップで毎日通ったぐらいに。


 本当に毎日が楽しかった。嫌な奴がちょっかいをかけてきても、たまに学校に行くのが嫌だなと感じても、学校に行かないという選択肢は絶対に出てこなかった。それほど、単純な男にとって好きな女の子の存在は大きいのだ。


 社会科見学の帰りのバスが一緒になったときも、突っつきあって遊んでいた。バスの窓際についているカーテンにくるまって顔を隠してきたので「もう寝たの?」と言いながらめくってみると、顔を赤くしながら見つめてきた。あんなに純粋な気持ちがあるだろうか。何の狂いもない。


 このときの感情が懐かしい。純粋な好きという気持ち。ただそれだけ、少しの狂いもない。今は人を好きになったからといって「で、どうしたいの?」と思ってしまう。「好きだからただ一緒にいたい」と「結婚したい」と「子供が欲しい」は全く訳が違う。いわばスキが何なのか分からなくなっている。そう、こじらせているのだ。


 ただ、純粋な気持ちだけ持ってもたもたしている男に好きな女の子は振り向いてくれないのだ。


 現に大人達を見ていても夫婦でいがみ合っていたり、お金の奪い合いになったり、親権を巡って争っていたり、本当に「何がしたいんだ」と思ってしまう。


 加えて僕はまだまだ未熟だから、パートナーができたって長期で守ってあげられるか分からない。これは単なる僕が女の子にアプローチする勇気がないだけかもしれないけれど。


 一歩踏み出す勇気がないだけなのか、傷つきたくない、傷つけたくないのどちらかなのか、ごちゃごちゃになって分からなくなってしまっている。


 でも、僕は好きだと思った女の子には必ず気持ちを伝えてきた。だから、恋愛に向き合う勇気が無くて逃げの意見としてこんな考えを持っているわけでは決してないと思う。


 好きって何なのか、自分はその人と何をしたいのかを明確にしていないと後で大変なことになってしまうんじゃないかなと思う。


 ただ後先のことは考えずに一緒にいたいだけなのか、遊びで付き合ってほしいのか、結婚したいのか、子供が欲しいのか、一生を共にするパートナーが欲しいのか。


 これらは全く別物であるように感じる。これらをよく考えずに、なんとなくで進んでいった人達が社会に飲まれて、自分達が上手くいかなくなった原因をお互いに求めるようにしてぶつかり合っているのではないだろうか。子供が、親が現実逃避をするための栄養源にされたり、婚期を逃したのをパートナーのせいにしたりと、大変なことになる。


 僕一人が「こじらせたやつだ」と変に思われる分には別に全然構わないのだけれど、大半の人達が離婚してお互いを憎みあうようになったり、子供が不幸になっていったりしている事例がたくさん存在している現状を踏まえると、これは考える価値が大いにあるんじゃないかと思う。


 人と交際していた経験が浅い僕が言うのもなんだけれど、「好き」って本当に難しいなと思う。自分の気持ちの正体が何なのかを分かっていないと、大変なことになる。


「付き合っていかなければそんなの分からないよ」というスタンスで皆生きているのかもしれないけれど、中途半端に相手の人生に入り込んでいっておきながら、「やっぱ嫌いやじゃあね~」と捨て去るようなことができるだろうか。


 一家の大黒柱になるということや親になるということは、純粋な愛の気持ちだけではなく力がいる。家族を守り抜いていくには力がいるのだ。


 その責任を感じるから、毎度ここぞというときにアクセルを踏めないのかもしれない。「この子と一生を共にするだけの覚悟が自分にあるのか」と問いかけてしまう。そして、今の僕にそんな力が備わっているはずもない。


 考えすぎの一言に尽きるかもしれないけれど、遊びで冷やかしの付き合いをして飽きたら相手を捨てるなんていうことは僕にはできない。本当に、恋愛って難しい。


 「初恋は実らない」中学生のときに、母親にそう言われた。小学校三年生のときに初めて女の子を好きになってからずっとその子を好きだったのに、「それ俺に言う?」と思ったけれど、今考えてみると確かにうなずける。


 好きっていうこの純粋な気持ちは確かなのだけれど、「じゃあ結局何をしたいの?」と言われると困ってしまうのが実際のところだ。


「付き合いたい」はあまりにも漠然としすぎている。「好きだから一緒にいたい」だけで許されるのは一体いつまでだろうか。


 高校生、大学生、二十代、三十代、社会的に成功するまで?


 あまりにもドライなこの現実社会で数十年連れ添っていくには、なかなか好きという純粋な気持ちだけで生きていくのは難しいだろう。


 いずれ帰ってくると分かっている遊園地に行くように短期的なものなら、お互い遊びとして付き合うことは可能なのかもしれない。けれど、冷やかしの恋ならばすぐに現実世界へ帰ってくることになる。


 身もふたもない話、うちの両親は結構仲が良かったけれど、父親の借金が理由で離婚した。そもそも、パートナーを必ず作らなければならないというのも固定観念なのかもしれない。自分一人でも一応は生きていけるようにはなっている。


 この社会における「好き」っていったい何なのだろうか。これを分からずに中途半端に動いても傷つけてしまうだけだ。


 恐らく僕は自分も傷つきたくないし、傷つけたくもない。変に憶病なのかもしれない。


 とても冷めた話になるけれど、本来恋愛感情とは生物の生殖本能からくる機能の一種で、それに人間が勝手に美しく恋とか愛とか結婚とか名前をつけているだけだ。たまに生物の本能が出てしまったものに浮気とか不倫という名前もついている。これらは自分達が社会的動物であるはずなのに、生物としての本能に向き合ってこなかったから起きている出来事だ。中途半端な気持ちで人と付き合っているから起きている出来事だろう。


 恋人や奥さん、異性の友達とは一体何なのだろう。いわゆるこじらせたやつであることは自覚しているけれど、どうしても分からない。


 僕達は生まれてから初めての一番純粋な恋を必ず実らないようにプログラムされているのかもしれない。傷ついた経験をしてからが、本当の恋愛なのかもしれない。純粋な好きという気持ちだけではやっていられないのだ。


 でも、好きという感情のすばらしさは知っている。何が起きたって幸せになれる、あの大きな幸福感。笑顔を見ているだけで、一生幸せになれだから、この感情は素晴らしいものだ。町を歩いているカップルを見て妬んだことは一度もない。全員仲良く幸せになれば、それでいいじゃないか。


 僕も好きな女の子には気持ちを伝えて、その子と一緒に長く幸せな人生を歩んでいきたい。不特定多数から好意を持ってもらいたいのではなくて、ただ好きな女の子に振り向いてほしいだけなのだ。ただ、幸せにしたいなら自分には力がいる。中身のない好き好きアピールだけするしょぼい男にはなりたくない。


 太宰治はこう言った。「人は恋と革命のために生まれてきた」と。幼い頃の僕なら、「よく分かんないけれど、そうだよね!」というと思う。好きな女の子をチラ見しながら。しかし、今の僕はこのことについてじっくり考えている。僕は今後どんな人生を歩むのだろうか。


 自分の家族を幸せにできる人になっていたいなと、切実に思っている。


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