とあるPKKの受難
※描写こそありませんが、強姦や拷問といった要素があります。苦手な方はご注意ください。
「それでは! 第60エリアの攻略を祝して! カンパーイ!!」
黄金の甲冑を身に纏った美青年がそう言ってガラスを掲げると、食堂中の男女が一斉に唱和し、同じようにグラスを掲げた。
彼らは全員、今から3年前に2万4千人ものプレイヤーを巻き込んで突如ログアウト不可のデスゲームと化したこのVRMMO《ソロモンズゲート・オンライン》の最前線を攻略し続ける最強のプレイヤー達だった。
今は、全部で72あるとされるエリアの60番目のエリアを攻略した祝勝会を行っているところである。
しばし、食堂中に大勢の人間が料理を口に運ぶ音だけが響く。
祝勝会であるにも拘らず、誰も雑談はせずに料理にのみ集中し切っている。
しかし、それも無理はない。この料理屋は《ソロモンズゲート・オンライン》最高の生産系ギルドとして名高いギルド《救いの風》が出店する《月見亭》という料理屋で、このゲーム内には本来存在しないはずの醤油、マヨネーズ、ソース、更にはカレーまでが再現されている唯一の店なのだから。
ギルド《救いの風》、32名の構成員全てが女性プレイヤー。しかも美女美少女のみで構成されている。
全てのプレイヤーが現実世界と同じ姿をしている中、実は彼女達だけキャラメイクしてるんじゃないかというくらい美人しかいない。そんないろんな意味で凄まじいギルドだが、その技術力は凄まじいという表現でもなお足りない。
料理人、服職人、細工職人、薬師、錬金術師、鍛治師と、あらゆる生産職の最高位プレイヤーが名を連ねており、弛まぬ努力とある種狂的なまでの情熱で腕を磨き続けている。この場にいる攻略プレイヤーはもちろん、ゲーム内で上位の実力を持つプレイヤーで彼女達の世話になっていない者などいないと言えば、その技量が少しは窺えるというものだろう。
そんな生産系プレイヤーが23名。残りの9名は主に仕入れと接客を担当しており、今もウェイトレスとして3名の若い女性が忙しくテーブルの間を動き回っている。
3人とも高校生くらいの見目麗しい美少女だったが、彼女達に必要以上に声を掛けたりナンパをしたりする者はいなかった。
それもそのはず、この店の壁には、『店員に対するナンパやセクハラ厳禁。発見し次第出禁にさせて頂きます』と書かれた紙がデカデカと貼られているからだ。
この出禁とは、家主のプレイヤーが行使できる特定プレイヤーの家屋内への侵入禁止措置であり、受けた側のプレイヤーにそれを解除する手段は存在しない。
この張り紙は《救いの風》の全ての店に貼られており、過去に何人ものプレイヤーが実際に出禁を食らっているため、今では店員にちょっかいをかける人間は誰もいなくなっていた。
そんな事情もあって特にトラブルもなくメインの料理が終わり、テーブルに軽食とデザート、酒類が並び始めると、ようやく攻略プレイヤー達はあちこちで雑談を始めた。
「しっかし、ボスのベレト戦はマジでしんどかったなぁ」
「ああ、体力がレッドゾーンに入った途端にありえないくらい攻撃力上がってたよな」
「しかも毒ブレス吐くしな。危うく毒消しポーション尽きかけたわ」
話題はもっぱら今日のエリアボス戦だ。
ボスの悪辣さを愚痴り、お互いの健闘を称え、祝勝会は徐々に賑やかさを増していく。
そんな中、ふとあるプレイヤーが店の奥の方を見て声を上げた。
「おいおい……なんでPKK野郎がこんなところにいるんだぁ?」
その声が向けられた先には、彼らから離れた奥の席に1人ぽつんと座り、黙々と料理を口に運ぶ男がいた。
全身煌びやかなレアアイテムで固められた彼らに比べれば、遥かに見劣りする地味な装備。容姿も地味で、特別目を引く部分はない。だが、その身に纏う空気と異様な輝きを放つ瞳だけが、男に妙な存在感を与えていた。
男の名はユキカゼ。この世界で唯一のPKK、プレイヤーキラーキラーと呼ばれる存在だった。即ち、PKを行う犯罪者プレイヤーを殺すプレイヤーだ。
「うわっ、マジだ。うぅ〜〜せっかくのメシがマズくなるわ」
「うっぜぇなぁ。なんで人殺し野郎がこんなとこにいんだよ」
「いい気分が台無し……ホント最悪」
「ちょっとアンタ、今日の主役はあたし達なんだから出て行くよう言ってよ」
「放っとけよ……気にするだけ損だ」
1人が気付いたのを皮切りに周囲の人間もユキカゼの存在に気が付き、誰もが嫌悪感や侮蔑といった感情を露わにする。
ユキカゼは確かに人殺しだが、犯罪者プレイヤー以外を手にかけたことはない。だが、彼ら攻略プレイヤーを含むほとんどのプレイヤーにとって、ユキカゼは嫌悪と忌避の対象だった。
平和な日本で暮らしていた者として、殺人という行為そのものに忌避感を抱いているのもある。だがそれ以上に、ユキカゼが過去、何人もの犯罪者プレイヤーを見せしめとして大衆の前で惨殺にしているというのが大きい。
結果としてそれが更なる犯罪者プレイヤーの発生に対する抑止力になった面はあるものの、その光景があまりに残酷かつ凄惨であり、泣き叫ぶ犯罪者達に淡々と拷問を加えるユキカゼの姿が、一般的な感性を持つ人間にとっては刺激的過ぎたのだ。
その結果、多くのプレイヤーにとってユキカゼは快楽殺人者、あるいはイカれた殺人鬼と見なされていた。間違っても正義の味方や英雄などではない。
食堂中から向けられる露骨なまでの負の感情。
しかし、ユキカゼはそれを気にした様子もなく、静かに食事を続けていた。その姿は、見ようによっては「お前らなんか眼中にない」と言っているように見えなくもない。それがマズかった。
「チッ、気に入らねぇなぁ。ちょっと行ってくるわ」
遂に、顔を赤くした大男がゆっくりと腰を上げた。
周囲の人間も、誰も男を止めようとしなかった。むしろ、「おっ、行くか?」とか「いいぞ、やれやれ〜」とか嗾ける声すら上がった。
ちなみに、このゲームでは、“酩酊”や“泥酔”が状態異常の一種として存在しており、一部モンスターの特殊攻撃を受けたり酒類のアイテムを摂取したりすると、現実世界と同じように酔っ払う。
その酒のせいもあったのだろう。男は周囲の声に後押しされるままドカドカとユキカゼに近付くと、バンッと激しくテーブルに手を叩きつけた。
「よう、PKK。人を殺して稼いだ金で食うメシはうまいか?」
その酷く挑発的な言葉に、しかしユキカゼはチラリと視線を上げただけで、特に動じた様子もなく答えた。
「ああ、美味いよ。流石はソロモンズゲートで一番と名高い《月見亭》の料理だ」
その平然とした態度がまた癪に触ったのか、男はこめかみをひくつかせながらユキカゼの肩に手を置いた。
「そりゃよかったなぁ。だがな、どんなにうまいメシでも、ゴキブリがいる店じゃ食う気も失せるってもんだ」
「それはたしかに衛生面で問題がありそうだな」
淡々と返すユキカゼの肩に乗せられた男の手に、ギリギリと力が込められる。
モンスターが出現しないセーフティーゾーンなのでダメージは発生しないが、軽い圧迫感は生じる。
「……痛いんだが?」
「察しが悪りぃ奴だなぁ。お前みたいな人殺しヤロウがいると、せっかくの祝いの席が台無しだって言ってんだよ!」
「そうだそうだー」
「少しは空気読めよ」
「っていうか、普通遠慮しない? 私達がいたらさぁ」
男の怒鳴り声に、他のプレイヤーも口々に賛同した。
何も言わないプレイヤー達も、口にこそ出さないがユキカゼの存在を疎ましく思っているのは同じようだった。
「そういうわけだ。そもそもこの店は俺らみたいな最前線で攻略を行ってるプレイヤーが利用すべきで、お前みたいなのはお呼びじゃないんだよ。ほら、店の娘達も迷惑そうにしてるだろうが」
そう言って、店員の女の子達に視線を向ける。
たしかに、彼女達はその可愛らしい顔を嫌悪感に歪めていたが……それがユキカゼに向けられたものではないということに、この男は気付いていなかった。それどころか、その表情に後押しされたようにニヤリとした笑みを浮かべると、ユキカゼの襟首を掴み上げた。
女の子達の表情に嫌悪感を通り越して殺気すら浮かび始めたが、男は気付かない。
「おら、分かったらさっさと──」
「なんの騒ぎですか?」
突如響いたその声に、男の動きが止まる。
そして、店の奥から進み出て来たその声の主に、店内が軽くざわめいた。
「テ、テレジアさん」
「あなたはたしか……ジェットさんでしたか」
「あ、お、覚えててくれたんですね」
一転してデレデレと締まりのない表情を浮かべる男。
まあ、それもテレジアの美貌を前にしては仕方がないとも言える。
芸能人でもそうそうお目に掛かれない凛とした美貌に、グラビアアイドルかと言いたくなるような抜群のプロポーションを持つ彼女は、ギルド《救いの風》のギルドリーダーであり、ゲーム内で最高レベルの服職人の1人でもある。
また、《救いの風》の非公式ファンクラブ(会員数1563人)で行われているファン投票では、5回連続で1位を獲得して殿堂入りしていたりもする。
「それで、これはなんの騒ぎでしょう?」
「い、いや、こいつが身の程知らずにもこの店に来てたんでちょっと……料理作ってる人達だって、こんな人殺しに料理を作りたかないでしょう?」
流石に客の分を超えたことをしてる自覚はあるのか、男(会員番号104番)の歯切れが悪い。苦し紛れにさも店のためにやったかのように言っているが、どうやら先程テレジアがユキカゼの名前を確認しなかったその意味が分からないらしい。この哀れな男は、先程自分が言った「察しが悪い」という言葉が、特大のブーメランとなっていることにすら気付いていないようだった。
「人殺し……ジェットさんは人を殺した犯罪者であろうと、殺すことには反対ということですか?」
「そりゃ……善良な日本人ですし? 殺すのはマズいでしょ。やっぱり」
「それはご立派ですね。ということは、ジェットさんは犯罪者プレイヤーを殺さずに捕縛したことがおありなのですね?」
「いや、それは……ないですけど……まあその、そもそも俺らみたいなトッププレイヤー相手だと、PK連中も手を出してこないんで」
「あら、では皆さんはPKと戦った経験はないのですか?」
店内を見回すテレジアの視線に、攻略プレイヤー達が気まずそうに目を逸らす。
それを見て、テレジアは大袈裟に驚いてみせた。
「あらあら、中堅のプレイヤーが何百と犠牲になっているというのに、トッププレイヤーであるあなた方は一度もそのPKを取り締まったことがないと? では、その尻拭いをしてくれているのは一体どなたなのでしょう? PKギルドの恐ろしさも、奴らに捕まった人間がどんな目に遭っているかも知らない人に、ユキカゼさんのことを非難する権利があるのでしょうか?」
「それは……いや、でもこいつはやり過ぎなんですよ。テレジアさんもこいつがPK共にやったことは知ってるでしょ? イカれてんですよこいつは。それか、生まれついてのシリアルキラーか。どっちにしろ俺達とは違う人種なんですよ。関わり合いにならない方がいい」
「そうですか……皆さんも同じ意見ですか?」
そう言ってテレジアが店内を見回すと、数秒の間を置いてから、最初に乾杯の音頭を取った青年が立ち上がった。
「まず、騒がせてすまない、テレジアさん。ウチのジェットも言い過ぎたところがあると思うが、その男の危険性については同意見だ。PKプレイヤーを拷問したことをさて置いても、色々と悪い噂があり過ぎる」
「悪い噂とは、ユキカゼさんがPKギルドに攫われた女性をどこかに監禁しているという噂のことですか?」
「……そうだ。現に、この男は過去に犯罪者ギルドを4つほど潰したという話だが、その際に救助された人がいたとは聞いたことがない。生存は確認されているのに、行方不明になったままの人なら何人もいるらしいがな。状況から言って、この男はあまりに怪し過ぎるんだよ」
「……そうですか。よく分かりました。では、今日この時をもって出禁処分とさせて頂きます」
「分かってくれて嬉しいよ……」
青年はほっとした表情を見せたが、その表情はテレジアがメニューウィンドウを操作し始めてすぐに霧散した。
「あの、テレジアさん? なんでそんなにたくさんの人数を指定して……?」
長いリストに片っ端からチェックを入れているテレジアに青年がそう問い掛けると、テレジアは作業を続けながら冷たく言い放った。
「何を勘違いされているのか知りませんが、出禁処分となるのはあなた方攻略プレイヤーの皆さんですよ」
「なっ……!?」
テレジアの予想外の言葉に、店内に驚愕と疑問の声が満ちる。
そんな彼らを、テレジアが軽蔑し切った視線で睥睨する。ウェイトレスをしていた女の子3人もその隣に並び、同じ視線をした。
そして、その後ろで何かを言い掛けたユキカゼを制し、テレジアがはっきりと告げた。
「理由ですか? それは私達《救いの風》こそが、他ならぬユキカゼさんに救われた者達だからですよ」
その告白に、店内が水を打ったように静まり返った。
この《ソロモンズゲート・オンライン》では、デスゲームと化した時点で法律で禁じられているいくつかの機能が実装化されている。
その中でも特に大きいのが、“現実世界と同水準の痛覚の再現”と“性行為の解禁”だ。そしてこの2つこそが、爆発的に犯罪者プレイヤーが発生した主たる原因だとも言える。
彼らはゲーム世界に監禁されるという異常事態の中、理性のタガを外し、他者をいたぶり凌辱する快楽に目覚めてしまった。
そして、そんな連中に捕まっていたところを救われたということは……つまり、そういうことだった。
なぜ、《救いの風》に美女美少女しかいないのか。なぜ誰もセーフティーゾーンから出ず、生産職である23名に至ってはほとんどギルド本部から出ることすらないのか。
全ての原因は、彼女達が犯罪者ギルドの被害者だということにあったのだ。
彼女達は犯罪者ギルドの本拠地に監禁されていたところをユキカゼに救出された後、人気がない過疎エリアの一角にある一戸建てに保護された。
彼女達の以前の仲間は既にPKに殺されているか、あるいは彼女達を見捨てて逃げたかのどちらかだったので、誰も他に帰るところはなかった。
当初こそ自殺未遂をやらかしたり重度のPTSDでパニックを起こしたりと大変な状態だったが、それも同じ境遇の仲間達との静かな生活と、ユキカゼが懸命に面倒を見たおかげで半年も経つ頃には落ち着いた。
しかし、彼女達は心に負った傷ゆえにセーフティーゾーンから出られず、人と関わることすら困難になってしまった。
それでもいつまでも命の恩人に甘えているわけにはいかないと、自分達にも出来ることを始めた。それこそが、戦闘系のスキルを一切持たない生産系特化ギルドの始まり。
彼女達は外に出て戦う可能性を捨て、安全な場所で自活できる手段と、今なお1人で犯罪者プレイヤー達と戦い続ける恩人を手助けできる手段を求めた。一見地味に見えるユキカゼの装備は、彼女達の技術の粋を結集したこの世界でたった1つの対人特化装備なのだ。
そして、その組織の名に彼女達は恩人を示す名を冠した。それこそが《救いの風》。
「お分かり頂けましたか? ユキカゼさんを否定するということは、今ここにいる私達全員を否定するということです。私達にあの地獄にいたままの方が良かったと言うも同然です。何もせずに非難だけする人達に食べさせる料理は当店にはございませんので。どうぞお引き取りください」
そう言ってテレジアが決定キーに指を乗せると、店内にいた攻略プレイヤーが一瞬にして消え去った。強制的に敷地外に転移させられたのだ。今頃は塀の外で大騒ぎしているだろう。
「お騒がせしました、ユキカゼさん」
「いや……それより、よかったのか?」
しばしの沈黙の後、頭を下げたテレジアに、ユキカゼはそれまでの無表情を崩して心配そうな顔をした。
元々ユキカゼが《救いの風》との関係を秘していたのは、彼女達の尊厳を守るためだ。
性犯罪の被害に遭ったという事実が明るみになれば、彼女達に有形無形様々な悪意が向けられることは想像に難くない。だからこそこれまでずっと、無関係な赤の他人を装っていたのだ。
しかし、テレジアもその隣のウェイトレス3人も、また厨房から出て来た料理人の女の子4人も、全然気にした様子がない……というか、むしろスッキリしたという顔をしていた。
「いいんです。今まであの人達のユキカゼさんへの態度には、ずっと腹立たしい思いをしてきたので」
「だが……」
「本当に大丈夫です。今回の暴露はギルドメンバー全員承知のことです」
「……もしかして、始めからそのつもりでここに座らせたのか?」
実はこの《月見亭》の奥には、VIPルームという名のユキカゼ専用部屋があり、いつもはそこで食事をしているのだ。
それが、なぜか今日に限って改装中というよく分からない理由で表に案内され、祝勝会の隣でこっそり食事をすることになったのだ。
「もう生産系ギルドとしては確固たる地位を築いたので。私達からすると、彼らとの取り引きが無くなったとしても痛くも痒くもありません」
「そりゃ、まあ……あいつらは困るだろうけどな」
「攻略が止まっても困りますし、アイテム類の販売はこれまで通り続けますよ? 食事で得られる支援効果については、うちの錬金術師と薬師が共同開発した携帯食料でも代用できますし。味は、まあ……アレですけど。自業自得です」
テレジアがそう言ってフンッと鼻を鳴らすと、他の女の子達も口々に賛同した。
「そうですよ、わたしだってもうあの人達に料理なんて作りたくありません」
「前から気に入らなかったんですよ。最前線で攻略してるからって偉そうで」
「そうそう、しかもなんかウチの店を自分達攻略プレイヤー専用の店みたいに思ってる人達もいるし」
「ああ~~、いたいた。中堅プレイヤーの人達が来た時に、聞こえよがしに『低レベルプレイヤーに支援効果とかいらないだろ』とか、『あんな装備でよくこの店来れるよな』とか言ってた。すっごく感じ悪くて、水ぶっかけてやろうかと思った」
「ほんとそれ。この店はアンタらの店じゃなくてユキカゼさんの店だっての」
「「「「「「ね~~」」」」」」
女の子達のその言葉に、ユキカゼは何とも言えない気分になった。
彼女達は普段からユキカゼに対して、心酔と言ってもいいほどに強い信頼と尊敬を向けてくる。
それは光栄だと思う反面、どうしても困惑してしまうのだ。
ユキカゼは、自分が正義だとは思っていない。むしろ、先程の男が言ったように、どちらかと言えば異常者に分類される人間だと思っている。
現実世界にいた頃から、ユキカゼは罪無き人間を殺した罪深い人間が死刑を免れたり、苦痛の少ない処刑方法で殺されるのが不思議で仕方なかった。
ユキカゼに言わせれば、情状酌量の余地もない極悪人など、被害者が負った数倍の痛苦を味あわせて殺すのが当然だったのだ。
そして、この世界でパーティーを組んでいた友人4名がPKに殺された時、タガが外れた。その瞬間、外道に堕ちた人間を地獄に叩き落とすことになんの躊躇もなくなった。
それからは、ただひたすらにPKを狩る日々だった。
情報を集め、アジトを突き止めては潰し、余裕がある時は思い付く限りの拷問を加えた上で惨たらしく殺した。
回復アイテムで容易に命を繋げられるこの世界は、殺さないように拷問するのに最適だった。
そんな日々の中、たまたま彼女達を助けることになったが、それはただの結果論だ。
ユキカゼの目的はPKを殺すことであり、彼女達を助けることではなかったのだから。
彼女達が立ち直るよう協力したのだって、彼女達のことを思ったというより、どちらかと言うとせっかく助けたのに死なれたら寝覚めが悪いと思ったのと、あんな外道共に善良な人間が人生を狂わされるのが我慢ならなかったという方が大きい。
全ては自分の勝手な都合でやったことなのだから、そこに過剰な感謝を向けられても困ってしまうのだが……。
(まあ、心酔を通り越して完全に依存し切っていた頃に比べればだいぶマシか)
そのうち、心の傷が癒えるに連れて徐々に目も覚めるだろう。
この時、ユキカゼは他人事のようにそんなことを思っていた。それが、盛大なフラグであるなどとは夢にも思わずに。
その1年後、攻略プレイヤー達の手によって第72エリアのラスボスが倒され、ゲームはクリアされた。
しかし、度重なる陳情も虚しく、遂に彼らが再び《月見亭》の暖簾を潜ることは叶わなかった。
中には恥知らずにもユキカゼに仲裁を頼んだ者達もいたが、それは却って《救いの風》の怒りを買い、その者達は他の店も全面的に出禁となった。
* * * * * * *
俺達がデスゲームから解放されて、早くも1年が経とうとしていた。
今回の事件の原因は、退屈な日常に飽いたどこぞの巨大財閥の長の道楽だったとかニュースで聞いたが、そんなことはただの一プレイヤーに過ぎない俺には関係がない。
ゲームから解放されてから、俺は病院でのリハビリと精神科医のカウンセリングを経て職場に復帰。その間、事件で亡くなった人達の合同葬儀には参加したが、ゲーム内で知り合った人達と連絡を取ることは一切なかった。
最終エリアのラスボスが倒され、ゲームがクリアされた日。俺と《救いの風》のギルドメンバーはお互いの本名と住所、連絡先を伝え合い、現実世界での再会を約束した。だが、俺はその場で嘘の情報を伝えた。本名も住所も連絡先も、全部デタラメ。端から現実世界で彼女達と会う気など欠片もなかった。
若く美しい彼女達には、希望がある。未来がある。もう皆だいぶ過去のトラウマを乗り越えたようだし、これからは自分達の力で、明るい未来に向かって歩んでいくことだろう。そこに、血と汚泥にまみれた俺が関わってはいけない。
そうして家族以外とはほとんど接点を持たないまま病院の中で淡々と3カ月を過ごし、俺は元の日常に戻っていったのだ。
……いや、戻れなかったと言うべきか。
「それじゃあ部長、お世話になりました」
「ああ、人生は長い。これに気を落とさずに頑張れよ」
「はい」
大きな荷物を持ち、上司と最後のあいさつを交わす。
4年ぶりに元の職場に復職した俺だったが、その4年間で失ったものは多く、積み上げたものはあまりに異質過ぎた。
新入社員として2年間掛けて習得した技術や知識のほとんどを失い、替わりに人殺しという重荷を背負った俺は、職場に馴染むことが出来なかった。
証拠もなく、また事件の特殊性ゆえに罪に問われることこそなかったが、あの世界でPKKとして生きていた俺は、この平和な日本では完全な異物だ。
会社としても扱いに困ったのだろう。半年経った頃に上司から遠回しに自主退社を促され、俺もそれを受け入れた。
(さて、明日からどうするかなぁ)
次の就職先は決まっていない。
田舎の両親は実家に戻って来いと言ってくれているが、この歳になって両親のお荷物にはなりたくないし、余計な心配もさせたくない。
(まあ、しばらくはフリーター生活かな)
そんなことを考えつつ会社の門を出たところで、目の前に黒塗りの外車が停まった。そして、後部座席からブランド物のスーツをビシッと着こなした中年男性が降りてきた。
「こ、これは東帝の長澤部長。本日お見えになるとは伺っておりませんでしたが……」
その男を見て、背後の上司……いや、元上司が途端に緊張した様子を見せる。
どうやら取引先……っていうか、ん? 東帝といえば、様々な業界にグループ企業を持つ日本有数の巨大企業で、うちの親会社がそのグループ企業の1つだったような……うちが分家の末端だとしたら、この人は総本家のお偉いさん? 超大物じゃん。
なんか知らんが邪魔してはマズいと思い、そそくさと退散しようとするが……
「ああ、気にしないでください。今日はここに来たのは全くの別件ですから」
そう言って、長澤部長とやらは真っ直ぐにこちらを向いた。……え? 俺?
「幸村風太郎様ですね。少しお時間頂けますでしょうか? 神宮寺専務が是非お会いしたいとのことです」
「……はい?」
そんな、本社の専務に知り合いなんていませんけども?
振り返ると、元上司がポカンとした顔で口を開けていた。うん、きっと俺も似たような顔をしていることだろう。
どうやら一応提案の形を取っていながらも実際には行くことは決定事項だったらしく、俺はあれよあれよという間に高級外車の後部座席に押し込まれ、都内の一等地に建つ巨大なビルへと連れていかれた。
なんとなく肩身の狭い思いをしながら広々としたエントランスを抜けてエレベーターに乗り、先導されるがままにその後をついていく。
「神宮寺専務、幸村様をお連れしました」
「どうぞ」
そうして辿り着いた部屋の前。扉越しに聞こえたその声に、俺は内心首を傾げた。
(……? 若い女の声? というか、すごく聞き覚えがある気が……)
そんな俺の疑問を余所に扉が開かれ……
「ああ、やっと会えましたね、ユキカゼさん」
「テレ、ジア……さん?」
そこにいたのは、スーツ姿の妙齢の美女。
記憶にあるよりも更に大人っぽくなっているが、その現実離れした美貌は見間違いようがない。間違いなく、《救いの風》ギルドマスターであったテレジアだ。
「それでは私はこれで」
「ええ、ご苦労様」
ここまで案内してくれた部長さんが出ていき、部屋には俺達2人だけとなる。……ヤバイ、約束破った手前超気まずい。
そして、現実で見るテレジアの美人っぷりが凄くて直視が出来ない。いや、だって本当に生身とは思えないほど綺麗な顔してるんだよこの人。
「さてユキカゼさん……いえ、風太郎さんとお呼びしましょうか」
「いえ、あの……はい」
普通は幸村さんじゃ? と思ったが、なんとなく圧を感じたので黙る。我ながらチキンだと思うが、所詮現実世界の俺なんてこんなもんよ。
「まずは改めて自己紹介を。私は神宮寺輝美、一応この会社の専務をやっています」
「一応って……ギルドの運営手腕からしても只者じゃないとは思ってたが、まさかそんな大物だとは思わなかったぞ」
「父が社長なんです。自分の実力ではありませんよ。だから一応、です」
……つまり社長令嬢。それに、専務ってことはもしかしなくても次期社長だったりするんじゃ?
「それで、神宮寺さ──」
「輝美って呼んでください。敬称も結構です」
「いや、それは……」
「遠慮なんていりませんよ? 私と風太郎さんの仲ではないですか」
「……」
どういう仲だ? 少なくとも現実世界では何の関係もないだろ。
そう思ったが、口に出したら怒られそうなので黙る。そして、咄嗟に話題を変えた。
「そ、それにしてもよく俺を見付けられたな? なんの手掛かりもなかっただろうに……」
だが、これは明らかに藪蛇だった。咄嗟のこととはいえ、どう考えても話題を間違えた。
その言葉を口にした途端、テレジ……輝美の目元がスッと陰に隠れ、ズズズズッと背後に暗雲を背負い始めたからだ。
「ええ、それはもう……教えてもらった連絡先は繋がらないし、住所に行ってみれば別の人が住んでるし、名前で検索したら別の人ばっかり出てくるし……たまたまグループ企業の退職者のリストを見たおかげで気付きましたが、捨てられたのだと悟った時は危うくまた身投げしようかと思いました」
「いや、捨てられたって……」
「ええ、分かってますよ。風太郎さんは優しいですからね? 連絡を絶ったのも、私達のことを思ってのことですよね?」
「……ああ、短慮だったとは思うが……また落ち着いた頃に誰かに連絡取って、近況を伺うつもりではあったんだけどな」
「ええ、分かってますよ……風太郎さんは、約束を破るような方ではないと」
「……ん? 約束?」
思わずそう返すと、輝美がガバッと顔を上げる。しかし、その瞳からは完全にハイライトが消えていた。
「まさか……忘れてしまったのですか? 私のことをお嫁さんにしてくれるって……」
「ふぐぅ!?」
突然黒歴史を抉られ、俺は思わず変な呻き声を上げる。
確かに言った。だが、あれは状況が状況だったというか……。
端的に言うと、PK連中に汚されたことを苦に投身自殺しようとするテレジアを思いとどまらせるために、その……まあ、いろいろと言ったのだ。
その際に、「ゲームの世界であったことなんて忘れちまえ。そんなに気にするなら、現実世界に戻った後で俺が嫁にもらってやる」とかなんとか言った覚えがある。その必死の説得の甲斐あって、テレジアは自殺を思いとどまってくれたのだが……まさか、あの言葉を本気にしていたとは。
いや、今思い出しても本当に「お前はどこのイケメンヒーローだ」と全力で殴りたくなるというか、「嫁にもらってやるとか何様だ、鏡見ろやボケが」というか、そもそも俺自身生きて現実世界に帰れるとは思っていなかったというか、更に問題なのはそんなクソみたいなセリフを言った相手が実はテレジアだけではないというか……はい、本当にごめんなさい。でも必死だったんです。あの時は命が掛かってたんで見逃してほしいというか、嘘も方便というか……。
「風太郎さん……」
「う、お……ちょ、ちょっと落ち着け。な?」
じりじりと近付いてくる輝美から逃げようと後退りしていると、ソファに躓いてその上に倒れこんでしまう。
すると俺の両脇にテレジアの手が突かれ、まるで逃げ場を塞ぐようにその秀麗な美貌が迫ってくる。なにこれ、壁ドンならぬソファドン?
ヤ、ヤバイ。このまま行くと、なんだか取り返しがつかないことになる気がする。というか、今誰か入ってきたら、俺殺されるんじゃないか?
「輝美! ここ会社! 会社だから!!」
「大丈夫です……人払いはしてありますから」
「う、いや、その……」
「それとも、風太郎さんはムードを大切にされる方ですか? では、私の家に行きましょうか。自宅に殿方を招くのは初めてなので、少し緊張しますけど……」
「いや、そうじゃなくて! そ、そう! わざわざ会社に呼んだってことは、何か用事があったんじゃないのか!?」
完全に苦し紛れの言葉だったが、意外にもこれが効いたらしい。
輝美はゆっくりと瞬きをすると、スッと体を引いた。
「……そうですね。先にそちらの話をしましょうか」
「あ、ああ……」
「先程の件に関しては、また今度ゆっくり」
「お、おぅ……」
「さて、風太郎さんをお呼びした理由ですが、一言で言うとスカウトです。ちょうど今、風太郎さんは失業中のようですから、是非ウチで働いてもらえないかと」
「それは有難い話だが……正直言って、こんな超一流企業で通用するスキルなんて持ってないぞ?」
「安心してください。お願いしたい仕事は、新入社員のために今年新しく造った社員寮の管理人です。業務内容は多岐に渡りますが、特に難しい仕事ではありません。詳しくはこちらに」
そう言って、こちらに書類の束を渡してくる。どうやら本気で、俺を正式に雇うつもりらしい。
渡された書類にざっと目を通すと、確かに俺にも出来そうな仕事だ。それに給料もいい。
一瞬「私の秘書になれ」とか言われるんじゃないかと警戒したが、流石にそんな公私混同はしないらしい。少し安心した。
「いかがですか?」
「そう、だな……」
こんな形でコネ入社するのは少し気が咎めるが、背に腹は代えられないし、そんなプライドを優先できるような身分でもない。
それに、入社のきっかけが何であろうが、入社後に真面目に働けばいいだけの話だ。
「分かった。じゃあ申し訳ないけど、お世話になることにするよ」
「よかった。ではこちらの契約書にサインを」
「……用意がいいな」
なんだかトントン拍子に話が進んでいるが、まあ輝美に限って俺をハメるようなことはないだろう。
その場で契約書にサインと捺印をする。
「はい、確かに。では、早速勤め先となる社員寮までお送りしますね? もしもし、ちょっと車を回してもらえるかしら?」
「おい、そんな急がなくても……言っても無駄か」
そして再び車に押し込まれ、俺は社員寮まで送られた。
着いた寮は、新築らしく綺麗で清潔そうな5階建ての建物だった。
「なんだかおしゃれな建物だな……部屋もかなり広そうだし、流石は超一流企業ってとこか?」
そんなことを呟きつつ、何気なく門柱に掲げられた看板を見て……固まった。
『救風荘』
(……何やら物凄く見覚えがある名前というか、なんだかすっごく嫌な予感が……)
しかし、遅かった。俺がそんな風に思った直後、門の両脇から一斉にたくさんの人影が飛び出してきたのだ。
「確保! 確保ぉ!!」
「者共出会え! 出会え~い!!」
たくさんの人影というか、具体的には31人の美女だった。しかもこれまたすごく見覚えがある。
それを認識した時には既に周囲を美女に囲まれており、両腕をガッチリ確保されて門の内側へと連れ込まれる。
「ちょ、ちょっと待て! なんでお前らがここにいるんだよ!?」
咄嗟にそう叫ぶと、全員がキョトンとした顔をした。
「なんでって……ユキカゼさんと同じ理由だと思いますけど? 全員元の職場に居づらくなって、輝美さんの会社に雇われたんです」
「マジかよ……公私混同も甚だしいな……っておいそこ! お前ら高校生だろ!!」
「いつの話をしてるんですか? とっくに中退しましたよ」
「流石に4つも下の子達と一緒に授業受けるのはいろいろときついしね……」
「大体、学校で習った内容なんてもうほとんど忘れちゃったし?」
「わたしは働きながらまた勉強し直して、高卒認定試験を受けようかと……」
どうやら全員、俺と同じようにいろいろあったらしい。
まあ、あんな経験したら元居た場所には居づらいだろうな。家であれ学校であれ、職場であれ。
「というか……ここってもしかしなくても女子寮か?」
「女子寮っていうか、元《救いの風》ギルドメンバー専用寮?」
「いや、どちらにせよ俺がいたらマズい気がするんだが」
「大丈夫ですよ。ここは男子禁制(管理人を除く)なので」
「というか、管理人共有物件なので」
「どういうこと!?」
「え? 輝美さんに渡された書類にちゃんと書いてあったはずですけど?」
「あいつハメやがったな!!」
「ちなみに輝美さんも先月最上階に越してきました」
「確信犯じゃねぇか!!」
あいつを信用してほいほいサインした俺が間違いだったらしい。後悔したところでもう遅いが。
「ま、どうせもう逃げられないので、観念してください」
「人間、諦めが肝心ですよ?」
「ユキカゼさん、あたしとの約束を果たさずに逃げたりしないよねぇ?」
「わたしも。信じてますからね? ユキカゼさん?」
「ユキカゼさん。真面目な話、この寮にはなぜか内側から開けない地下室があるので……下手なことはしない方がいいと思いますよ? いや、本当に」
……どうやら、もう俺に逃げ場はないらしい。
遂に、今の今まで後回しにしていたツケを払う時が来たというべきか……うぅ、胃が痛てぇ。
31人の美女にドナドナされつつ、俺は天を仰ぎ……
(あれ? 俺はいつの間にエロゲーの世界にログインしたんだ?)
そんなことを、現実逃避気味に考えるのだった。




