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ラケルの虚  作者: 風間 秋
第2章:魔禍
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予兆イベント、その裏側で・後

※11月1日から改稿版を『出来損ないの人造天使と朽ち行くさだめの狐っ娘、そして迷子な吸血鬼』のタイトルで投稿しています。

https://ncode.syosetu.com/n8118go/

「俺たちの見ている世界は同じではない」


 困惑を滲ませる瞳を、アズルトは冷ややかに見据える。


「どう取り繕ったところで今のおまえに見えているのは、平民の目に映るような狭く小さな世間だ。政を貴族の事情と言っただろ、つまりはそういうことだ。貴族はその事情なるものを透かして世の動きを見ている」


 平民は政治から隔絶されている。

 豪商であるドラマルス家のような例外はあるが、基本的に平民はその手の知識をまったく持たず、必要ともせずに生涯を終える。

 アズルトは生粋の貴族ではないが、それ以上に生粋の平民ではあり得なかった。

 民主主義体制下にあって貴族身分は失われた。けれど同時に、無知であることを無条件に許されていた平民という身分も失われたのである。


 アズルトが学校教育を受けた期間は限られていたが、世には知識が溢れ、思想もまた溢れていた。

 手に取るのは容易く、身の不遇から捌け口を社会に向けた時期もあった。

 もちろん所詮は付け焼刃だ。浅知恵と言うのもおこがましい。

 それでも。

 こちらの常識に照らし合わせれば紛うことなき貴族の考え方なのだ。


 アズルトは客観的な事実としてそれを理解していた。

 はずであった。

 けれど当人の貴族であるという意識の薄さが、そして学園の環境が、この度の齟齬を生む温床となったのである。


「これまで俺はおまえと貴族という立場で話をしたことがなかった。今更ながらそのことに気づいた。認識の甘さもな」

「リズベットの話は貴族のことだったぞ」

「その認識が誤りだ。あれは騎士の立場から貴族を語ったに過ぎない。騎士はその役割から貴族と関わることが多い。だからこそ礼儀作法をはじめ、貴族のことを学ぶ必要がある。家の主従関係なんてその範疇で、つまるところただの知識だ」


 子山羊の名がアズルトを騎士という枠組みに押し込めていた。

 いや、自ら望んでその枠にはまったと言うべきか。

 貴族の振る舞いをアズルトに求める者など、今や同じ子山羊であるグリフくらいなものである。

 力を望むアズルトにとって、それは実に都合が良かった。


 そうして放置し続けたツケがこれだ。

 事ここに至り、貴族としての見解を求められたことで、平民であるクトと己との意識の違いを否応なく悟らされるはめになった。


「ウォルトラン家は貴族としては最下層もいいところだからな、平民の考えもそれなりに知っている。むしろ騎士に寄り過ぎていて貴族としては失格の部類だろう。騎士の枠組みで見るなら上等でも、その他は半端なのが俺というわけだ。それ故にと言うべきなんだろうな、俺にはおまえの見ているものが分からないでもない。その上で言わせてもらうと、おまえが俺の見ている世界を理解するのは難しい。そして、俺はそこまでを求めはしない」


 加えてアズルトの場合、厄介なことに貴族という皮の内側には日本で育ち病に没した男の価値観が潜んでいる。

 貴族社会に揉まれることのなかったアズルトの理解する貴族像は、どうしてもかつての価値観に引きずられる。

 だからこそ、気づいた時に地が出てしまった。


「なぜこんな回りくどい話をしているのか教えてやる。おまえが『俺がグリフに政治について教えること』を疑問に感じていないからだ」


 クトが小さく首を傾げる。


「おまえの方が詳しいんだろ?」

「減点だな。政治についてウォルトランがオルディスに語る言葉はない。ウォルトラン家は領地の管理を任されているだけの辺境の木端貴族だ。ここ数代は中央に人材を輩出しておらず、政治闘争を解する立場からは程遠い。伝手を持たない俺がどうして国政の現状をグリフより正確に把握できる。故に放っておいてよいのかなどという問いは端から存在し得ない」


 リズベットとの駆け引きに同席し、誰よりも傍でアズルトを見てきたクトである。ここまで丁寧に説明されて建前の裏にある意図が読めぬはずもなかった。

 すなわち、アズルトはすでにリスクを負っているのだということを。


「なんだよ、結局のところ譲歩してるのはおまえの方じゃないか。それでいておまえはあたしがどちらを選ぼうとどうでもいいんだな」

「止めてはいるだろう。教えを乞えばおまえの視ている世界を歪ませることになる。赤が青に変わることもあるだろう。青が赤に変わることもあるだろう。おまえがこれまで信じてきたものを踏み躙ることになるかもしれない。騎士としての異常性は使わなければ隠せる。だが視点の移ろいを隠すのは難しい」


 アズルトが貴族的な異質さを表に出すことはない――より正確に言うならば、行き過ぎた子山羊としての顔がその異質を塗り潰す。

 けれどクトがそうした視点を得ればどうなるか。


 平民が貴族の道理で動けばどうしても目を引く。それが『貴族のようななにか』ともなればなおのことである。

 そしてクトへの疑いの目はすぐさまアズルトへと向くことになるだろう。


 だがそれでもまだアズルトには不自由を強いるのに躊躇いがあった。

 儘ならぬ生前を過ごし、今生もまた師という余命を抱える身であるからこそ、安易に流せぬものもあるのだ。

 けれど、それは本人の意思についても言えることだ。


 アズルトがバルデンリンド公に仕えるのは己の意思によるものだ。そのために課せられる多くの制約に、アズルトは不満を抱いてはいなかった。

 それが自身の選択であり、言うなれば不自由すらも己の意思と考えているからである。

 そんなアズルトだからこそ、クトに選択を迫りながらも自身はその結果についてなにも望むことがなかった。


「おまえの言葉で決心がついた。あたしはおまえに教えを乞いたい。もしそれであたしの信じてたものが壊れるなら、壊れていい。どうせきっとやることは変わらないし、それならきちんと知っておきたい」


 確かめるような覚悟の吐露だった。

 アズルトは失われた安寧を悼むように深く重い溜め息を吐き、それから小さく頭を振った。

 けれどそれだけである。

 伏せられていた瞳が再びクトを映す頃には、否定の言葉を述べた折の消極的な気配は消え失せていた。


「爛れ澱んだ(まこと)の人の世へようこそ。汚泥に魂を浸す同志として心より歓迎の意を示そう」


 文言とは裏腹の、平素と変らぬ淡々としたアズルトの物言いだった。

 けれどクトは耳をぴんと立て、不機嫌に見られる半眼をより一層険しいものとする。


「なんかぞわっとしたぞ。もしかして、怒ってるのか?」

「どうでもいいと思ってるって得意げに断じたのはどこの誰だ」

「勘違いだった、とか」

「それこそ、だろう。単なる思い込み、錯覚だ。おまえはただ自分の決断の正しさに自信がないだけだ。もし俺が食い下がればそれを口実に出来た。俺の批判を当てにするな、阿呆。それともなんだ、おまえは俺に縛られたかったのか。あるいは俺を縛りたかったのか」

「そういう、ことなのか?」

「せめてそこは否定しておけ……」

「いつも言ってるだろ、あたしこういうのよく分かんないんだよ」


 対人関係投げ捨てすぎだろうと思わず額を手で押さえる。

 アズルトとて他人のことを言えた口ではないが、己の胸の内くらい把握している。


「半分は冗談だから聞き流しておくといい。それから、別に腹は立てていない。おまえに教えるのは構わないと思っている。それでも不安ならそうだな、証明代わりにさっきの疑問に答えておくか」

「疑問?」

「他の奴らが正しく状況を理解しているのかという話だ」

「ん、聞く」


 即答だった。


「あまり期待されても困るんだがな。まあ結論から言うと、無理だろう。どうにも大事であるだけに目の曇っている輩が多い。家格で言えば対抗できそうなソシアラとゲッヴェだが、どちらも武門の家柄で中央の情勢には疎い。不足を補うために外交に強い家から何人か連れてきているみたいだが、生憎とどの駒も今はアメノで行方知れずだ」


 本科生を含めれば両家の臣下は他にもいる。だが彼らは、頼みとするにはいささか騎士に寄り過ぎていた。

 優秀な目であり耳であるものの、献策ができるほどには権謀術数に通じていない。


 騎士養成学校(イファリス)は言うなれば軍学校だ。

 政治について深く学ぼうというのであればそちらを専門とする王立貴族学校(トロン)か、せめて魔導学院(ジャナク)に籍を置く。

 先の王位継承を巡る宮廷闘争で疲弊した諸侯にはなおのことその傾向が強かった。


「北寮会全体で見たところで状況は同じだ。そもそも宮中での立ち回りに長けた家は騎士としての素質に乏しかろうと、4組に振り分けられることなんてないからな。中央の作法に疎い田舎貴族と平民の寄り合い所帯、それがここ4組の通例だ。諸侯をふたり擁する今年はこれでいてずいぶんと恵まれている」


 半ば必然ではあったが。

 王族が在籍するということで、今年の騎士候補には諸国諸侯が挙って縁者を送り込んだ。

 中には王立貴族学校(トロン)魔導学院(ジャナク)から籍を移した者までいて、集まった候補生の水準は例年の比ではない。

 そのため、常であれば3組に振り分けられるような貴族が幾人も4組に紛れることとなった。

 オルウェンキスやハルティアがまさにそれだ。

 もっとも、アズルトはこうした事情を加味した上で彼らには無理だと判断を下している。

 欠けているのだ、経験が。


 オルウェンキスらが属する純血派は、アーベンス建国当初から続く古い貴族のみで構成された派閥だ。

 その本質は騎士そのもの。

 人類種の守護者たる騎士貴族としての信条が、彼らを彼ら足らしめている。

 だがそれは同時に枷でもある。


 現在、政財界を実質的に支配しているのは宮廷貴族と称される新興の者たちだ。

 守るべき領地を持たない彼らの寄る辺は富であり、権力であった。

 アーベンス王国歴209年に王位継承争いで勝者となった彼らはその後、率いていた2人の公爵が袂を分かつのに伴い分裂、200年に渡り時の権勢を巡って知略を競わせ続けている。

 まるで役者が違う。

 騎士候補の青二才なんて手玉に取られてそれでお終いだ。


 それでもとアズルトは考える。

 この歳で領主の器量の片鱗を垣間見せたオルウェンキスとハルティアである。適切な助言さえ与えれば、次善の策くらいなら講じ得るのではないか。

 奇しくも4組にはそれを為せる人物がひとりだけ居るのだから。


「恵まれているついでにメナ嬢がなにか気の利いた言葉でも残してくれたら、俺は楽が出来たんだけどな」

「なんでここでメナが出て来るんだ?」

「そうか、知らないのか……」


 貴族が当然のものとして持つ情報をクトは持っていない。

 そのことをアズルトは改めて実感する。


「メナ・ベイ・ツィベニテアは宮廷貴族だ。それも名家と呼ばれる類のな。本人について話す前にツィベニテアのことを少し教えておくか。ツィベニテア伯爵家はおまえがその名を把握していなかったように、表立った功績に乏しい中流の家柄だ。どの代も閑職を転々としていて、要は冷遇されてきた。そんな倹しい彼の家だが、宮中で果たしている役割は果てしなく大きい」


 ツィベニテア伯爵家は鷹の両公爵が国権を握るに至ったかつての政争で彼らに組しながらも、後の宮廷における権力闘争ではいずれの派閥に属することも選ばなかった経緯を持つ異様な家だ。

 中立というのは言うに易く為すに難い。

 元々純血派の領地貴族としてそれなりの地位にあったことから、『公爵らが自派に取り込むのを躊躇い押し付け合った結果として中立を保てたのだ』と評する歴史学者は多いが、それこそ結果を見るのであれば『今日まで家を保ち続けているツィベニテアの、すべては計算だった』と語るのが正しいだろう。


 アズルトはツィベニテアが謀略に生きる家であることを、丁寧に噛み砕いて伝えた。


「――ツィベニテアは現在、派閥の調停役として独自の地位を確立している。バルデンリンドが王族のお家騒動に嘴を突っ込んだことで4派の軋轢が深まる昨今、アーベンスがツィベニテア抜きで国家の体面を保つのは難しい」

「リド、ちょっと待った。ええと、4派ってのは4人いる公爵の内の3人とそれから、んと……古い貴族、で合ってたか?」

「王家の血統に連なり鷹をその紋章とするふたつの公爵派閥、ニザの発生よりその東域を治める黒山羊領、そして前王朝からの貴族階級である純血派――正解だ」


 アズルトは壁面にアーベンスの略図を魔力で描く。

 それから大雑把に中央から南部、西部、そして北部から東部にかけてを色分けし、各派閥の名をそこに置いて示した。


「それで体面を保てなくなるとどうなるかだが、まあ分かりやすく言えば内戦が起きる。寸でのところでそれを食い止めているツィベニテアは紛れもなくアーベンスの功労者だが、独善的な彼の家のやり方を疎ましく思う貴族は多い。と言うか腐るほどいる。純血派は歴史的経緯からその傾向が特に強いな。純血派の騎士貴族でありながら宮廷貴族に成り下がり、公爵らに組した裏切り者と謗る風潮は未だ残っている。だが皮肉にもツィベニテアの調停を頼みにしなければ立ち行かない純血派にこそ、彼の家を排することが出来ない実情がある。純血派にしてみればそれがまたたまらなく腹立たしいんだろう」

「ん、ソシアラは純血派でいいんだよな。オルウェンキスがメナのこと妙に敵視してたのってそういうことなのか?」

「たぶんな。兎にも角にも、メナ嬢はそんな()()ツィベニテアの直系だ。今でこそ騎士狂いで有名な彼女だが、5年ほど前までは文の方面の神童で名を知られていた。ゆくゆくはツィベニテアの後継として政界でその才覚を振るうことを、誰もが信じて疑わなかったほどのな。それが10歳のときにバルデンリンドの後援を得ると、見聞を広める遊学の旅に出て、戻って来た時にはあの有様だ」

「……少し違うけど、グリフみたいな扱いってことか?」


 クトが言葉を選んだのが分かった。

 これまでであれば『子山羊』とその立場を表しただろう。それを避けたのは同じく『子山羊』を標榜するアズルトを意識してのことだ。

 同じ呼び名を用いていてもその意味するところには大きな違いがある。それを理解し始めたことの表れであった。


「社交界に流れている噂では、な。事実は逆だ。ツィベニテアから距離を取りたいメナ嬢がバルデンリンドを頼った。齢10(とお)の娘がバルデンリンド公と取り引きをしたわけだ。公はメナ嬢にまつわる風説を得る対価として、支援する騎婦人の会に彼女の席を用意した。役職は遊学の足掛かりとして与えられたものに過ぎなかったが、彼女はそれを実に上手く使いこなしてみせた。メナ嬢は遊学に出ていた4年で他国の貴婦人方を抱き込み、会の情報網の大幅な拡充に成功している。自身の欲求を満たすため必要に駆られやっただけなんだろうが、今や彼女は騎婦人の会の重鎮で、イファリス騎士会の相談役だ。そして重要なのはその益が等しくバルデンリンドにももたらされているってことだろう。彼女はいつでもバルデンリンドと手を切れる位置に身を置いている。皆が夢見る貴族としてのメナは幻想だが、確かな実体があるのもまた事実だ」

「伯爵が時々メナのところに行ってるのは、貴族としての知識を借りるためだったんだな」

「だろうな。オルウェンキスもハルティアも彼女の幻想を疑っていないはず」

「でも、それはメナじゃない」

「その通り。だからさっきの()()も妄言の類で、つまりは冗談だ」


 アズルトのこの言は半分正しく、半分誤りであった。

 学園に在ってメナは家名を介さないただの騎士であることを望んでいる。だが、それが貴族であることを否定するものかと言うとそうではない。


 彼女にとって貴族とは自身の願望を叶えるための手段だ。

 信じる騎士の在り様に対し有意に事が運ぶのであれば、彼女は迷いなく貴族的な手段を講じるだろう。

 故に彼女を動かす方策もアズルトは有している。

 それをあえて戯言という形で流すのは至極単純な理由からだ。


 得るものに乏しい――それに尽きた。


 確かにこの度の騒動が後に及ぼす影響は大きい。

 バルデンリンドの武力介入によりひと先ずの決着をみた王位継承問題であるが、第二王子ルドヴィク殿下の入学に合わせ、貴族たちは新たな秩序を構築すべく動き始めている。

 家々が子らに役割を課しているのは想像に易い。

 もちろんそうした謀はこれまで余人に悟られぬよう秘かに行われてきたものだ。

 今はまだ腹を探り、根回しをしている段階だったと言えよう。

 それがこの数刻で一変した。


 準騎士も候補生も年若い貴族ばかりだ。忍ぶということに慣れていない彼らは、グリフよろしく行動することで事態が好転すると考えた。

 自家の利益を確保するための行動がその企みを暴露しひいては自家の損失に繋がるということが、混迷の極致にある彼らの頭からは抜け落ちてしまっていたのである。

 その末の惨状のひとつはアズルトも目にしている。

 人目のある食堂でこの件を口の端に掛けるなど、貴族にあるまじき短慮の極みだ。

 だがそうして流出する他家の内実をアズルトはさして重要と見てはいなかった。


 誰がどんな情報を得て如何に動くか、そんなものは小事だ。メナに働きかける価値もない。

 家を持たずしがらみの少ないアズルトには、事態の枝葉末節を遠慮なく切り捨てることができた。

 そうして見えてくるのが、この件が本当の意味で後に与える影響だ。


 多くの家が利を得るため動き出している――表面化したその事実こそが時局を決定づけた、そうアズルトは考える。

 時局とはすなわち、この先ムグラノを戦乱へと誘う歴史の必然のことだ。

 限定的ながら未来を知るアズルトにとっては真の敵(ラスボス)と言うことも出来るかもしれない。いや、アズルトこそが敵なのだろうか。


 いずれにせよ賽は投げられた。

 アーベンスは人知れずルビコンを渡り、正史の示す道を突き進んでゆく。


「……怪しい」


 片膝を抱えるようにしたクトが、それを頬杖にぽつりとこぼした。

 尻尾が右に振れ左に振れ、その都度に軽く寝台を叩く。


 相も変わらず妙な勘の良さをしている。

 懐疑を装いつつもどこか確信めいたその態度に、アズルトは苦虫を噛み潰したような思いを抱く。

 論理や合理を飛ばして導き出される結論は、それだけにアズルトの都合を考慮してはくれない。


 せめてもの幸いだったのは、それを口にするのがクトであることか。

 律義さについて言えば、アズルトもそれなりに信を置いていた。


「気のせいだと思うぞ」


 平素と変わらぬ調子でぞんざいにはぐらかすと、振られていた尻尾が静かに寝台の上に落ちた。

 かすかに目尻がすぼまり思案の様相を見せる。そうしてひとつ瞬きをすると、双眸から探る気配が掻き消えた。

 続けられた言葉は、落としどころくらい決めろというクトなりの抗議だろう。


「ほんとうにそう思うか?」

「疑心暗鬼になってるみたいだからな」

「……それはあるかも。これでもかってくらい脅されたもんな」

「何事も裏を読むのは大切だがほどほどにしておけよ。大局を見るには、おまえはまだまだ覚えるべきことが多い」


 アズルトがそれらしくまとめると、満足したのか小さく頷いてそれから伸びをした。


「……なあリド。メナはキャスパーに追いつけそうか?」

「無理だ」

「そっか」

「早合点するなよ。俺がキャスパーに手を貸すことを決めたんだ、アイナとまとめて相手にして勝つくらいやってもらわないと愉しみにならない」

「くふ、そうだったな」


 壁面の魔力光が仄かな残滓を散らし掻き消え、再びどこからともなく人形(ゴーレム)が現れると、流れるような動きで棒術の型をなぞり始めた。



 ◇◇◇



 飽枝発生による騒動は学園の内外に深い爪痕を残すこととなったが、肝心の現場について言えば被害のほどは微々たるものでしかなかった。

 しいて挙げるなら騎士としての心構えを試された、というくらいであろう。

 重軽傷者多数と言うと大事のように聞こえるが、物見遊山に出かけていたのではないのだ、騎士の務めを思えば妥当な損害である。

 ただ、政治的な思惑が入り乱れた結果だろう、巷ではこの件がことさら英雄的に語られ始めていた。

 また、本来『ムグラノの水紋』で出るはずだった脱落者の回避にも成功している。

 1組は夏の想定外と、これで数字の上では帳尻を合わせた形である。


 もっとも、アズルトに言わせればこれらは『当然』の展開だ。

 クトやグリフに語った理由もあるが、なによりもプレイヤーの存在が大きい。

 彼女らはアズルトと同じく未来の欠片を知る者たちである。飽枝の発生のように確定された未来ともなればなおのこと対策も立てやすい。


 人の意思が在るべき歴史を後押しする流れの中で、アイナとリズベットの確執もまた予定調和的な深まりを見せていた。

 突発的な飽枝の開通が招いた迷宮構造の変化は、外部と候補生らの連絡を絶つに留まらず、内部にあっては彼らを二分し、混乱を助長させる事態を引き起こしていた。

 そしてこの対応を巡り両者は真っ向から衝突したのである。


 ルドヴィクの性格を熟知するアイナは、彼らに飽枝の攻略を任せ、自分たちは退路を確保すべきと主張した。

 これをリズベットは一蹴。政治的な判断からルドヴィクの救出を優先させたのだ。

 なおも意見を曲げようとしないアイナには退路確保の役を与えて。

 そして後に事の次第を知ったルドヴィクがリズベットに激怒し、ギスランもアイナの擁護に回ったことで、事件からこちら多くの候補生の噂の種となっている。


 セーブデータのタイトルで予兆と記されるアメノの飽枝発生イベントであるが、やはりゲーム通りに当事者を含めて真相は伝えられず、迷宮につきものの事故とだけ公表された。


 ラケルにおいて人界に流れる情報は教会によって厳しく統制されている。

 人類社会の秩序を保つのに真実は不要である――どの時代も教会は変わらぬ原理で世に在り続けている。

 目的は常にひとつだけ。

 ただ人類種の存続のために。

 個の安寧など、そこには存在しないのだ。


少しでも先に興味を持っていただけましたら、ブックマーク・評価等をよろしくお願いします。


※11月1日から改稿版を『出来損ないの人造天使と朽ち行くさだめの狐っ娘、そして迷子な吸血鬼』のタイトルで投稿しています。

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