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ラケルの虚  作者: 風間 秋
第2章:魔禍
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予兆イベント、その裏側で・中

 部屋からグリフが去り、アズルトが止めていた魔術を再び起動すると、どこからともなく現れた人形(ゴーレム)が棒術の型を取り始める。

 自身の魔力体を投映したそれで、アズルトはエフェナから学んだ魔闘術の魔力の動きを確かめながらぼんやりと状況の整理をしていた。

 アズルトにとってグリフの苛立ちはまるで関心の外にある出来事だったが、情報源に乏しい身なればこそ得るものに富む言動でもあったのだ。


 上位組の事故については、夕食時に学年組を問わずしきりに囁かれていた。

 けれどそれはグリフに述べた通り大事からはほど遠く、アズルトは気にも留めてさえいなかった。

 食事を終えてなお卓に齧りついたままの候補生らをよそに部屋に引っ込んだのも、別段の意図あってのことではなく、言ってしまえばただの習慣だ。

 躍起になって情報を求める意義すら感じず、時間を割くならば次節の末にある中間試験の扱いに頭を悩ませるほうがまだ有益に思えた。


「あれ本気か?」


 ぽつりと傍らから冷めた声が投げかけられた。

 他でもないクトのものだ。

 言葉こそ疑問の体をなしているがそこはアズルトをよく知るクトのことである、すでに答えは持っているのだろう、響きがただの確認であることを示唆していた。

 見遣れば、指先で鍵を模した魔杖を弄びながら人形の演武を眺める姿がある。


「どう思う?」


 アズルトの言葉は問いの形で返された。

 ぴたりと杖の動きが止まり、不機嫌を思わせる半眼がアズルトを映す。


「……大嘘つき。おまえは酷い奴だ、あいつ信じ込んでたぞ」

「心外だな。俺はあいつが納得しやすいように伝えただけだ。事実をどう捉えるか、些細な解釈の違いだろう。それに誰か損をしたか」


 しれっと言い放つもそこに本心はない。

 虚構こそが身上に等しいアズルトである。内に秘めた小心も相まって、真実のみで自らを表す術は失って久しい。

 いや、そもそも真実なんてものをアズルトは持ち合わせていないのだ。


 異なる二つ――あるいは三つ――の世界を知るアズルトに、絶対的な寄る辺と言えるものはない。

 であればこそそれぞれの世界における正しさを相対的な目印に、場面に応じた振る舞いをその身へと課してきた。

 すべては、事を己の都合の良い形へと運ぶために。


 畢竟、善意も悪意も方便なのだ。望む結果さえ得られるのであれば手段なんてどうでもよい。

 それがアズルトであり、クトも少なからずそうした側面は持っている。

 そしてクトはそのことに自覚的であるように思えた。


「悪いなんて言ってない」


 拗ねたような、どこか自分へ言い聞かせるような響きにアズルトは確信を強める。

 向けられる眼差しが険のあるものなのは致し方あるまい。

 詭弁であることは知られている。クトがこれを他人事として流すにはいささか状況が悪かった。


「けど」と感情を殺した声が呟く。

 瞳はアズルトを映しておらず、吐息とともに地に落ちた。

 そうして――。


「あたしにやったら刻んでニザに捨ててやる」


 独白を思わせる宣明がふたりの間のわずかな距離を漂った。


 本気なのだろう。

 視線を合わせることも出来ぬ様が、なぜかアズルトには初めて感謝を告げた姿を彷彿とさせた。

 末路が前に言われた時よりも悲惨なものになっているが、そこは胸の内で苦笑を漏らすに留める。


 別にクトは偽られることを拒んでいるのではない。それは元からアズルトらの間にあった、暗黙の了解のようなものだ。

 夏にバルデンリンドへ向かった時も、公邸を訪ねた時も、ニザへの遠征を告げた時さえクトはアズルトの素性を問うことをしなかった。

 バルデンリンドの関係者に聞かせるための嘘にも素直に頷き、そういうものとしてアズルトとの付き合いを装ってすらみせた。


 互いの事情には立ち入らない。

 その辺りの線引きに厳しいのは相変わらずだ。

 そしてその均衡を保つためであればいかに偽り偽られようと許容する。それが本来のクレアトゥール・サスケントという少女の在り様だった。


 歪めたのはアズルトだ。

 綻びを繕おうと差し伸べた手は、気づけば解いてはならぬ結び目を解いていた。


 思い起こされるのは発端となったひと幕。

 ベルナルドの無思慮な発言には酷く振り回されたものだと思う。

 均衡は崩れ、おかげでアズルトは要らぬ面倒を抱え込む羽目になった。

 不用意に飲み下した魚の骨のように、かの件は両者の関係の奥底に刺さり、波紋となって時折、顔を覗かせる。


 己の判断の正しさをアズルトは疑うことがあった。

 決裂こそ免れたが、事態は捩じれ、悩みの種は残ったまま。

 本当の意味ではなにひとつとして解決していないのだ。


 例えばそう――。


「おまえさ、慎めって言ったの覚えてるか」

「忘れるわけない」

「まるで改善が見られないのは」

「ん、あたし従うって言ったか?」

「……は?」


 アズルトらしからぬ呆けた声が口から洩れた。

 大慌てで記憶を浚ってみるが、確かにそれらしきやり取りが行われた形跡がない。むしろ気まずさから有耶無耶のまま話をまとめた記憶ばかりが思い起こされた。


「おまえの考えは聞いたけど、それだけだったぞ。それにその後のこともあたしは忘れてないからな」


 その後のこととは、おそらく投げつけられた枕を返さなかった件だろう。

 けれどそれがどうして今の話に繋がるのか、アズルトは理解に苦しんだ。


「なあ、自分でなに言ってるのか分かってるか?」

「相手がおまえなら別にいい。それにおまえが難しい顔して目を逸らすのは見てて愉しい」


 得意げに揺れる尻尾に頭が痛くなってくる。

 アズルトが苦々しさを隠しもせず「意趣返しのつもりか」と問えば。

 クトは「ん、どうだろ」と小さく首を傾げ、「最初は仕返しのつもりだった。今はなんだろ、気分が良いから?」などとのたまう。


「言葉は選べよ、その言い様だとまるっきり痴女だ」

「うっ、おまえこそもっと言い方あるだろ……意地が悪い。そもそもさ、なんで外じゃそういうことまったく気にしないのに学園(ここ)だとダメなんだ」

「外の俺は騎士としての俺だからな。部屋(ここ)じゃ精々半分くらいだ」


 曖昧な言葉をアズルトはあえて選んだ。

 真実を語るなど論外、さりとて常在戦場――などと気取った言葉で現状を喩えてみたところで虚しさがいくらか増すだけであろう。

 なにせ現実はそれに輪を掛けて非情なものなのだから。


 アズルトにとってこの世(ラケル)界は言わば敵地だ。

 有する知識は劇薬で、迂闊にも表に出そうものなら悲惨な結末(バッドエンド)が手ぐすねを引いて待ち構えている。


 プレイヤー(同郷の者)は在るが、だからと言ってどうなるものでもない。

 彼女らは彼女らで目的を持って動いているのだ。ならば自ずからそこには利害が生じ、時に反目し合うこともあるだろう。

 であれば彼女らはこの世界の住人たちとどんな違いがあると言うのか。外の論理を知る相手であるだけに余計に性質が悪かった。


 味方を求めることは端から諦めている。

 まさしく孤立無援。

 学園には人に化けた魔族が潜み、外に出ればそこは師の縄張りだ。

 私心をさらけ出していられるほど、世界はアズルトに優しくはない。


 そんな事情をクトは知る由もないが、ぼかした答えに立ち入ることを拒む色を見て取ったのだろう。

 小さく「ふうん」と呟き目を細めると、「まあいいや、そんなことよりリド」と自身の問いをあっさり投げ捨てた。


 なんとも律儀なことである。

 だがそんなクトであるからこそ、アズルトは共謀者として彼女を厚遇している。


「あたしばかだからおまえの言ってたことがよく分からなかった」


 代わりにクトが示したのはグリフとのやり取りで抱いた疑問だった。


「……どこだ」

「秘された意味ってやつ」

「ああ、あれか。そうだな、おまえに理解しろってのは難しいかもな」


 アズルトが頷くや否や、不服を主張するようにぺしりと尻尾が叩きつけられた。

 自身で『ばかだから』と嘯いておきながらこの仕打ちは如何なものか。


「分かっているんだろ、領分が違うことくらい」

「あたしだけ話についてけてないのがなんか嫌だ」

「そいつは前途多難だな。まあ、それでおまえの気がすむなら解説くらいはしてやる」


 そう言って「まずは前提となる状況の確認か」と呟くと、魔術文字で向かいの壁に把握している情報を書き出していく。


「迷宮で起きた事故、それ自体は思うに大したものじゃない。立地を考えればアイナが単独で切り抜けられる程度の他愛ない迷宮だ。閉鎖系か転移系か、それに準ずる罠が起動して連絡が取れない状態が続いているというだけで、悲観するような事態からは程遠いと想像がつく。引率の教官らは青位とは言え熟練の騎士ばかりだ。おまけにアメノに慣れたソシアラのお目付け役が迷宮までの案内を勤めている。事態は正確に把握されていると見ていいだろう」


 ここまでは大丈夫かと視線で問えば、クトはこくりと小さく頷きを返す。


「だがこれはあくまで現場の認識だ。事実のみ抜き出すなら『王侯貴族の子女らを含む候補生二組(ふたくみ)が消息不明』となる」

「ん、そう聞くとなんか大変そうだな」

「ああ、大事件だ」


 アズルトは少し表現を整えて肯定を示すと視線で次の言葉を求めた。

 それを受け、クトは「大事件」と反芻しながら思案に沈む。

 ふたりにとっては座学の勉強で慣れた呼吸だった。


「……だから使者が送られた?」


 独白を思わせるクトの声は自信のなさの現れだ。

 アズルトを見上げる眼差しも常の鋭利さを欠いている。

 弱気なクトを見る絶好の機会ということでアズルトはこれを愉しんでいたりするのだが、当然そんなことはおくびにも出さない。


「おまえにしては上出来、と言いたいところだが……そこまで辿り着いていて繋がらないのか」

「どうせあたしはばかだよ」

「そう拗ねるな。興味がないことに無頓着なところはあるが、そいつは馬鹿とは違うだろう。それに、知ろうとするおまえになにかを教えるのはそう悪いものでもない」


 この件に限ってはその論理が通用しないことを知りつつも、口ではそう語る。


「話を戻すぞ。使者が送られてきたのはひとえに責務を果たすためだ。現場が事態をどう捉えているかは関係ない。変事を伝えるのが彼らの役目だからな」

「んと、形だけってことか?」

「そうだ。常ならばソシアラの翼が翔けることもなかっただろう。上だってそれくらいの事情は承知のはずだ」

「つまり、どうせ放っておいても解決する問題なんで、表沙汰にして騒ぎを大きくしたくない。だから秘匿する」


 どうだ合ってるかと黄金色の瞳が急かす。


「そんなところだ。で、なにか言いたげだな」

「隠されたはずの話をみんなが知ってる。すごく変な感じがする」

「漏らした奴がいるからに決まっている。大方、二大公家(中央の貴族)の息のかかった学園関係者だ。王族の危地に諸侯がどんな反応を示すのか、腹芸の甘い候補生を使って試しているのさ」

「うっ、お貴族様の事情か」

「無理に覚えなくていいからな」

「べつに無理じゃないし。厄介事だってのは分かってるぞ」

「そいつは結構なことだ。まあ、関わり合いにならないのが良策だろうな」


 そう言ってアズルトは話を締め括った――つもりだった。

 深刻な齟齬が露見したのはその直後のことだ。


「……いいのか、放っておいて。ふだん情報通ぶってるグリフであれじゃ、他の奴らもだめなんじゃないか?」

「おまえ、貴族的なやり取りで口を挟むのは禁止な。承服できなければもう話すことはない」

「ごめん。なんか、あたし不味いこと言ったみたいだ」


 どうしよう、と柄にもなく慌てふためくクトを見てアズルトがはっと我に返った。

 すぐさま「違う」とはっきり告げると、軽く小突いてから静かになだめる。


 不慮の事故だ。

 互いに警戒が緩んでいたところで禁忌に触れた。

 だからつい口が滑ったのである。()()のアズルトの在り様のままに。


「誤解を生む言い方をして悪かった。おまえに不手際はない」

「そうか。よかった」


 あからさまな安堵を見せるクトをアズルトがすかさず叱咤する。


「気を抜くのが早い」

「ん、約束ならするぞ?」

「話を聞いてなかったのか、言葉を誤ったと言ったろ。もしここで俺が『他の奴とは金輪際口をきくな』と求めでもしたらどうする」


 黄金色がじっと見上げ、ゆっくりとひとつ瞬いた。


「困る?」

「なるほどな、そいつはごもっともだ。これまでと同じように過ごそうにも並々ならぬ手間がいる。ただそう考えられるなら使う言葉にはもう少し気を配れ。そうすれば俺の気苦労も――」

「リド、そうじゃない。条件次第では要求を呑んでもいいから、困る。おまえは嘘つきだけど、こういう時に冗談めかして口にするのはきっと本気のことだ。ん、答えなくていいぞ。あたしが勝手に思ってるだけだからな。いつも教えるか教えないか白黒はっきりしてるおまえが灰色を選んだ。それに、こうやってなにかを対価に求めることってなかったろ。それだけのものを教えようと考えてくれてる。そんなことされたら、あたしだって悩む」


 これにはアズルトも面食らった。

 先のとぼけたような答えの真意が深い思案のもとでなされたものであることもそうだが、益体もなくそれを曝すクトの行動がアズルトに衝撃を与えたのだ。


「買い被っている。これまでも得るべきものは得ていた。それに、代償はまた別にある。おまえ近頃、俺に甘すぎるぞ。相手の付け入る隙を見つけたなら胸の内に秘めておくべきだ」

「それを教えるおまえほどじゃない」

「俺はいいんだ、分かってやっているからな」

「ならあたしも問題ないな、ちゃんと分かってる」


 どこか得意げに揺れる尻尾に台無し感が漂う。


 魂胆は読めていた。

 アズルトのそれはクトを手元に置いておくための布石だが、クトが見ているのはもっと目先の出来事だ。


「それで、いったいどんな譲歩を俺に期待してるんだ」


 単刀直入に聞いてみれば、泳ぐ視線に目が行く。

 ろくでもない考えであるらしいことはたちまちに知れた。


「……思いつく中におまえが首を縦に振ってくれそうなのがない」


 小声でぼそぼそと呟かれたそれに、素っ気なさを装い探りを入れると。


「とりあえず言ってみたら――」

「嫌だ」


 文句も言い切らぬうちに拒絶の言葉で遮られた。

 その語調と態度にアズルトは秘かに眉を顰める。


 クトの頭を悩ませているのはアズルトとの表層的な関係に依拠する事案だろう。けれどその中にはいくらか、根幹に触れるものが混じり込んでいるように思えたのだ。

 アズルトにとってそれは看過すべからざるものだった。


「クト、いや……クレアトゥール」

「なんだよ、急にあらたまって」

「俺たちの見ている世界は同じではない」


 困惑を滲ませる瞳を、アズルトは冷ややかに見据えた。

前回から随分と間が空いてしまいました。『後』についても今月中には投稿します。

少しでも先に興味を持っていただけましたら、ブックマーク・評価等をよろしくお願いします。

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