表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラケルの虚  作者: 風間 秋
第2章:魔禍
42/44

予兆イベント、その裏側で・前

 遠征先で上位組が安否不明になったとの報がもたらされた晩、アズルトの部屋には久方ぶりの客が訪れていた。

 休暇を経てこちら疎遠になっていたグリフである。

 なにやら腹を立てている様子の彼を室内に招き入れると、扉が閉まるが早いかアズルトは罵声を浴びせかけられた。


「あんたの呑気さにはほとほと呆れ返る。貴族の端くれがこんな時にまで部屋に籠って魔術の訓練たぁ常識を疑うね」


 出し抜けに向けられた軽蔑の眼差しにはアズルトとしても面食らうばかりだった。

 寝台の縁に座り直し、わずかに思案して口を開く。


「……こんな時?」


 だがこの問いはグリフの苛立ちに油を注いだようだ。


「国家の大事だぞ! 各国王族の危機だ。口にするのも悍ましいが、バルデンリンドが世継ぎを失う可能性だってある。情報交換の場を寮会が設けてくれているから、アズルトも顔を出せ」


 詰め寄るグリフをアズルトは冷ややかに見据える。


「悪いが俺にはおまえが言っていることの意味が理解できない。それに寮会はどうしてそんな無駄なことをしている?」

「なあアズルト、頭は大丈夫か。それとも衝撃的すぎて呆けちまったのか。おい狂犬、あんたのご主人さまは一体全体どうしちまったってんだ」


 激情を燻らせるグリフは隣のクトへと矛先を向けるも、こちらはアズルトにも増して嫌気を匂わせている。

 もっとも、そこは常日頃から不機嫌の空気を纏うクトである。内心ではちょっと面倒だなくらいにしか思っていないのもアズルトには分かるのだった。

 しかしグリフは違う。

 彼はそこまでの関心をクトの内面に抱いておらず、ただ脅威として見るばかりだ。

 そしてそれだけに、クトを刺激するような度が過ぎたこの物言いは妙に思えた。


「煩い眼鏡だな。リドはいつも通りだぞ、変なのはおまえだ」

「そう、おまえがどうかしている。グリフ・ベイ・オルディス、なにをそんなに焦っている。深呼吸をしろ。水でも飲むか?」


 言って水差しから木杯に注いで差し出すが、返ってきたのはより険しい眼差しだ。


「アズルト。ふざけている場合じゃない」

「大真面目だ。だからとりあえずなにも言わず3度、大きく、ゆっくりと息をしろ」

「ちっ、同きょ――ッ!」


 首に冷気を纏わせ言葉を封じ、緊張に強張るその顔を目がけて手にした杯の水をぶちまけた。

 頬を伝う雫が凍りつくのを見て、これで頭も冷えるかとアズルトが独りごちる。


 同郷のよしみとでも言うつもりだったのかもしれないが、アズルトからしてみれば余計なお世話である。

 それどころか、状況を鑑みればアズルトがグリフの世話を焼いているとすら言えた。


「まあ聞け。今しがた少し思いついたことがある。おまえが気を揉んでいるのは上位組の遠征の件で間違いないか?」


 唇を震わせるばかりで反応がない。

 冷気が強すぎたかと内心首を傾げるアズルトであったが、グリフの表情から憤慨の色が消え去っているのを見て取ると、ようやくのこと落ち着いて会話ができそうだと上々の結果にひとつ小さく頷いた。

 そうして語気を強めて「違いないか?」と再度問いかける。


「あ、ああ」

「ならそいつは杞憂だ。事故が起きたのはアメノ外縁の迷宮、程度なんて知れている。実地試験でうちが行った狩りがあっただろ、どれだけ上を見積もったところであの労には及ばない」


 遠くと強調しようかと迷ったが、結局その語を抜きに言葉にした。


 この度の事故は『ムグラノの水紋』で語られる予兆イベント、アメノ臨界の兆候である飽枝の発現だ。

 平時のアメノ樹獄では領域内の小迷宮に飽枝が発生することはない。

 大迷宮を構成する空間に存在する瘴気の絶対量が不足しているためだ。

 火山のようなものである。大迷宮が活性化し瘴気量が増すと、それが飽枝という形で溢れだす。


 もっとも、今回の飽枝はアメノでも外縁に生じたものだ。

 おまけに主人公たちの持つ特異な魔力的素養である『加護』に誘発され、無理やり枝への通路が開かれたとかいう裏話まである。もちろん、禁忌に類する話ではあるが。


 通常の飽枝と比べれば危険度は幾らか落ちる。

 ゲーム的な話をするなら、実地試験で彼らが対峙したボス格の魔物が中ボスとして登場するくらいの難易度だ。


 あれからもう三月(みつき)にもなる。試験と遠征で魔力を喰った宝珠も慣らしがすんだ頃であろう。成長の確認の場として使えれば上等だ。

 アズルトにとってこの事故は歴史の進行状況を確認するため通過点に過ぎなかった。


 もっともそんなゲームの知識を持っておらずとも、アズルトの取る行動に変わりはなかったに違いない。

 術を解いたアズルトが言葉を続ける。


「アイナ・エメットの実力は確かだ、メナ・ベイと同格かそれ以上。おまえだって訓練は見ただろう。他にも実力者は居る。例えばサーナニヤ・オン・スホルホフ、彼女は仮にもバルデンリンドの侍女だ、こういう場面での対応こそ彼女の真価と言える。騎士家の子弟も4組よりずっと多い。なにより、バルデンリンドの子らがこれしきの不測を乗り切れなくてどうする。そしてそれは王族にも言えることだ」


 視線を落としたグリフが、しばらく喉元を手で撫でる仕草をした後、口を開いた。


「言い分はもっともだがそいつは空論だ。あの場にはおまえの眼鏡に適った者以外も居合わせている。小さな綻びが全体の崩壊を招くこともある。ほんの些細なことで人は死ぬぞ。無事に解決するとは限らない」

「分かっていないな。それを含めて不測と言ってるんだ。それに無理ならそうと知れるのは早い方が良い」


 アズルトは淡々と言い切った。

 すなわち、器たり得ぬのならばいっそここで果てるべきだ、と。

 リズベットがこの難事を切り抜けることにアズルトは一片の疑いもなかったし、それはアイナについても同様だ。

 そして、それで十分だった。


 夢想家のルドヴィクや偽善者のクラウディスがどうなろうと些末な問題だ。

 彼らの幸福な結末(ゲームのエンディング)なんて、アズルトにとってはどうでもよいことなのだ。

 アズルトは別に進んで人の死を望むような人間ではなかったが、目の前でと言うならばいざ知らず、進んで人を救おうとするような人間でもなかった。

 人の死は、その腐臭でむせ返りそうになるほど、世にありふれたものなのだから。


「……アズルト。オレにも聞き流せる話とそうでない話がある。王国貴族として王族の死を望む発言を看過するわけにはいかない」


 喉を撫でていたグリフの手が静かに腰の剣の柄に触れた。しかし己の行いに躊躇いがあるのか、握るまでには至っていない。

 それがなんとも中途半端で、アズルトの不満を誘う。


「グリフ・ベイのその発言こそ不適切じゃないか。俺たちの主はロドリック・オン・バルデンリンド公爵閣下だ。王家に立てる義理はないし、閣下の子女であろうと配慮し頭を垂れこそすれ傅かねばならぬ謂れもない」

「本気か、いやアズルトのことだから本気なんだろうな」

「ベイは違うのか?」


 柄から指が外れ、その心を表すかのようにくしゃりと髪を掻き回す。


「オレだって公爵閣下の臣だ。けど家の付き合いだとか主家の意向だとか色々あるもんだろう。オレはもうオルディスの家督とは無縁だけどな、外の連中はそんなこと知らねえんだ」

「おまえ確か8番目だったろ」

「子山羊に選ばれたオレだからこそやれることもある。上はもう3人逝っちまってるしな。このまま騎士になれれば家ではオレが出世頭だ。オレの名前を使う場面も出てくるだろう。オレの人脈が家の財産になるんだ。外聞だって気にもするさ」

「家のためか」

「理解してくれとは言わねえよ、ただこれを引き合いに忠誠を疑われるのは不本意だ。それにさっきのアズルトの発言はいくらなんでも不味い。オレも剣を抜こうか悩んだが、あれだってまだ穏当な方だ。下手な相手の耳に入ったら即刻死罪だってあり得る」

「眼鏡はばかなのか?」


 外野として聞きに徹していたクトが思わずといった様子で言葉を漏らした。


「まったくな。厳重に結界を張っているのはなんのためだと思ってるのやら。グリフ、内輪での話に外向きの顔を持ち出すな、面倒くさい」

「面倒って……いや待てアズルト。オレたちはかなり踏み込んだ話をしちまったが、これは責任問題なんじゃないのか」


 顔色を青くしたグリフが恐々と口にする。

 最後の方なんて声に震えまで混じる始末だ。


「なにがだ」

「とぼけるなそいつに聞かれたことだ」


 早口に言って指差した先には、退屈そうなクトが居るばかり。


「なんだ脅かすな。こいつなら大丈夫だ」

「あんた、前々から思っていたがクレアトゥールに甘いんじゃないか。あまり勝手が過ぎるようならオレだって報告せざるを得ない」


 詰め寄り睨むグリフが鬱陶しく、額を指先で押して遠ざける。


「その件についてはすでに解決している。おまえの情報は三月(みつき)古い。夏期休暇、俺がどこに居たかも把握してないだろ」


 身を退いたグリフの眉間に次第に深い皺が刻まれていく。


「……まさか、閣下が許可を? サスケントの人間だぞ」

「金銭的な繋がりは片を付けた。それにあくまで俺の責任の範疇での話だ。まあ俺から漏れる情報なんてサスケントはとうに掴んでいるだろうから、損失はないと判断されたのかもしれない」

「少しは自重しろアズルト」


 盛大な溜め息が室内に響いた。


「確かにあんたには才能がある。けどな、力に驕って動いていると遠からず閣下の評価を落とすことになるぞ」


 それは忠告か警告か。

 続くグリフの言葉からもその真意は読めない。


「今のこの組は良くも悪くもあんたの存在ありきで成り立っている。なんだ、オレは割とこの組が気に入ってるんだ。己を磨くのにも、他のどの組より都合がいい。オレだってな、閣下の力になりたいんだ。目を掛けてもらった、だからそれに応えたい。試験では色々と己の未熟さを思い知らされた。良い経験だった。良い経験だったが、オレはあんたが怖くてたまらねえよ。繰り返しになるが、オレのさっきの対応はなにも間違っちゃいねえ。あんなのを平然と語るなんてのは叛意ある人間のやることだ。真っ当に生きてる奴なら例え心に過っても口に出したりしねえ。王家はあんたにとっちゃ本当にどうでもいい存在なんだろう。ただそれは――」


 言葉を区切ったグリフが気を落ち着かせるように瞑目し、ひとつ大きく息を吐いてから続きを口にした。


「オレらについても同じなんじゃねえのか。試験でオレたちが得たものは大きい。けどあれを考えたあんたは、オレたちを盤上の駒かなにかのように見ている」


 眼鏡の裏の瞳はアズルトからわずかに逸らされている。それがなによりも如実にグリフの胸の内を物語っているようだった。

 けれどそんな話を振られようと、アズルトの態度は常となんら変わるところがない。


「酷い誤解もあったものだな」


 感情に乏しい声が悲嘆を紡ぐ。

 そしてクトの物言いたげな眼差しを横目に、アズルトは更なる言葉を重ねていった。


「おまえこそ本当にあいつらの身になって考えているのか。4組の大半は平民の出だ。あいつらにとってはこの1年目に後援を得られるかどうかで将来が決まる。年末の闘技祭に賭ける奴もいるかもしれないが、騎士としての可能性を見せるなら赤結の末にある合同演習の場に勝るものはない。それで、グリフは真っ当に競ってあいつらに得られるものがあると考えているのか」


 そこでふっと息を吐きアズルトは続ける。


「限られた時間の中でどうするのがあいつらにとっての幸いなのか、ベルナルドに任され俺なりに考えたつもりだ。そして、あれが答えだった。死にそうな思いをするくらいで未来が変えられるなら、安いものだと俺は思うが」


 グリフはどう思う――そう視線で問いを投げかけた。


「おい冗談だろ、おい。他人の事とか考えられる人間じゃないだろあんた。なんでこんな、オレが諭されてるんだ。それも言い分に一理あるとか勘弁してくれよ」


 眼鏡を外したグリフがたまらないと言わんばかりに掌で顔を覆っている。


「勝手に出来ないと決めつけるな。利がないからやらないだけだ。それと、おまえの行動原理も正しく理解したつもりだ。だからこの先、子山羊としての振る舞いを強要するつもりはない。ただ、上手く立ち回りたいならこの件、無様を晒すな。いいか、ソシアラの使者は役割を果たしただけだ。今のおまえは極秘とされた意味も理解できない阿呆なんだよ。本当に下らない。無用の騒ぎに混ざる暇があるなら魔術の腕を磨け、いつまで遊戯会のゲストに甘んじているつもりだ追い出されたいのか?」

「……確かなのか?」


 戻した眼鏡を通して怜悧な瞳がアズルトを見据えていた。


「だいぶいつもの調子が戻って来たか。ならそれくらい、シャワーでも浴びながら自分の頭で考えろ」

「そいつは、もっともだ」


 そうしてグリフは苦笑し「邪魔したな」と軽い挨拶を残し部屋を去っていった。

少しでも先に興味を持っていただけましたら、ブックマーク・評価等をよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ