無法
訓練場を後にしたアズルトは、クトから「どういう風の吹き回しだ」と疑問を投げかけられていた。
アズルトが行うことに対してクトが口を挟むのは珍しい。自身に関わりがあることならばまだしも、今回はまったくの私事である。
気のない様子で「そうだな」と肯定を示すアズルトの背を、ぺしぺしとクトの尻尾が叩く。
クトが教えろとせがむのも無理からぬことと理解はしている。
入学してからこの方、アズルトは一貫してキャスパーとの手合せを拒み続けてきた。
その求めているものが『アズルト』ではなく『リド』にあるからだ。
越えてはならぬ線をキャスパーは侵していた。
無遠慮に。無思慮に。
以前、メナとは役割を脇に置いて剣を交えたことがある。組の編成をまとめた折の話だ。だがあれは己の行動の代償という側面が大きかったし、どこまで見せるかという判断はアズルトに委ねられていた。
騎士を深く知るがゆえに、立ち入る危うさもメナは熟知している。
だからこそあの場限りとクトと同等に扱ったのであり、以来そんな手合せの事実など無かったかのように振る舞うメナを見て、判断の正しさに彼女の評価を改めたりしたのであるが、それは今すべき話ではないだろう。
兎にも角にもそんなキャスパーであるから、アズルトは距離を置いて接していた。クトを盾にして避けたこともあれば、身代わりにして逃げたこともある。
それでも、嫌っているのとはどこか違うと言える。
剣に打ち込む情熱。クトとの向き合い方。好感を持てる少年ではあるのだ。
けれどどうにも相性が悪かった。苦手と言うべきなのだろう。
アズルトは秘密と虚構の塊のような人間だ。相手が裏表のない真っ直ぐな人間であればこそ、折り合いを付けるのは難しい。
本質的に両者は相容れないのである。
それがこの度は渋ることもなく求めに応じた。ばかりか、望めば今後も付き合うとまで明言したのだ。
傍らで見続け、時にアズルトに代わって立ち合いを引き受けたクトであるからこそ、心境の変化を知りたいと思う気持ちも大きいはずだ。
アズルトはこの件ではクトに大いに助けられている。だからはじめから求められれば胸の内を語るつもりでいた。
ただ、大事であればあるほど話に嘘が乗るアズルトである。
少しばかり言葉を探すのに手間取っていたのだ。
そうこうしている内に、クトが別の切り口で言葉を投じた。
「捻じ伏せ方がエファみたいだった」
エファとは、アズルトらの間で白鬼エ・ルを示す呼び名だ。
昨今、秘匿通信の外で彼女の名を口にする機会が増えた。しかしアズルトはエフェナとその名を舌に乗せる度、言い知れぬ危機感が腹の内で燻るのに気づいた。
彼女の真名、エフェナ・ナーシャ・レキュネラスは劇毒だ。
歴史の闇に埋もれた、狂気を解き明かす鍵である。世界を蝕み滅ぼす災いと言ってもよい。バッドエンドに冠するタイトルそのものだ。
だからアズルトはふたりに提案し、エファの名を与えることでその悍ましい来歴と彼女とを切り離した。
古式魔術を彷彿とさせる手法だが、これでアズルトの心の安寧はひとまず保たれたのである。
さて、捻じ伏せ方とクトは言ったわけであるが、これはエファの名を必要とした理由にも繋がっている。
この夏の間ずっと、アズルトとクトのふたりはエフェナの気まぐれからその手ほどきを受けていたのだ。
その記念すべき第1回で、アズルトらは勉強させられた。自分たちの扱う魔術が地を這う虫けらの、滑稽なお遊戯に過ぎぬのだということを。
13階梯より上位の魔術は、世界を書き換える。
はじめ、アズルトたちは術比べと前置かれた指導の場で魔術を使うことすら許されなかった。周囲一帯から魔術の存在を奪う、異次元の概念魔術。
賜った言葉が「魔力があるのになにを呆けているの」である。度し難い。
加減をしてもらって用意されたのは、魔術は使えるが『発現』しないという状況だった。
魔術というのは事象の『発現』に先んじて、理を歪める『作用』の行程を挟む。そこがエフェナによって封じられていた。
もうひとつハードルを下げてもらってようやく、魔術を行使することができるようになった。もっとも、まともに扱えるのは体内に作用する魔術のみで、体外で作用する魔術はエフェナに制御権を奪われており見た目だけというお粗末な結果だ。
エフェナは辺りの魔力を完全な形で支配していたのである。
そこから幾度も手加減をしてもらってなお、彼女の髪の一筋すら揺らすことは叶わなかった。
休暇も水端、バルデンリンドへと向かう道すがらの出来事である。
これと似たことを、アズルトはキャスパーとの手合せのはじめに行った。
「あれは堪えただろ」
「ん。溜め息が耳に残ってる」
「にまにまと笑ってたけどな」
「あたしは怖かったぞ」
「そうだな、あれを思えばだいぶ手緩い。そんなもので挫けるような奴は相手にしてやる価値もない。それでお終いだ。だけど逆なら、少しは手を貸してやろうと考えていた」
気が付けば、指先が腰に差した錆色の剣を撫でていた。
それは神話の化け物に対抗するため作り上げた、アズルトとクトの夏の集大成だ。
「エファを追うのは愉しいな」
ぽつりと、溜め息のように呟く。
「ん、千年は励めって足蹴にされたけどな……それが理由なのか?」
「いや。そいつはおまえがいただろう。ただな、ここにももう少し張り合い甲斐のある奴がいたらいいなと、そう思ったんだよ」
エフェナの指南は夏、学園を離れていた間に限ってのものだった。
丞天の黒位の監視を欺き、立てなくなるまで叩きのめすことを造作もなくやってのける彼女だが、なにごとにも限度はあるらしい。
アズルトもクトも学園に潜む魔族らに警戒をされている。彼らがエフェナに気づくことはあり得ない。けれどエフェナとの関わりによって生じるアズルトらの変化であればどうか。
エフェナは不測を許容しなかった。
そしてこの件についてアズルトに否やはない。
エフェナが道を示し、アズルトは手を引く。元よりそういう約定なのだ。
バルデンリンドへと出立する前日。学園の反省室で交わされたやり取りが思い起こされる。
『手を取りなさい、リド。あなたがわたしを師と仰ぐのなら、頓馬な弟子のために学ぶ機会を用意してあげる』
『けれど弟子ならば忠告には従え、と』
『迷うところがあるの。それとも自信がない』
『疑問なのですよ。貴女は……自身に傍観者たることを課しておられるのではありませんか。それが何故』
『主義を通してあなたが死んでしまったら、わたしは後悔してもし足りない。退屈でこの世界に見切りをつけてしまうかも』
『……無聊を慰められるかと、告げられた言葉の意味をずっと考えていました』
『それは、どうしようもなく無駄なことよ』
『慰めて欲しいですか』
『生意気。もしかして自分は殺されることがないとたかをくくっているの』
『貴女が私に求めているのは恭順ではないでしょう。万象は貴女の手の内にある』
『やっぱり生意気。でも知っていたわ。初めて見えた時からずっと、あなたはわたしに抗っている』
『俺には、為さんと心に決めたことがありますから』
『それでいいわ。そんなあなただからこそ、弟子とするに値する。手を出しなさい』
『ひとつ、その前に約束していただきたい件があります』
『安心しなさい。わたしが教えるのは騎士としての道だけ。その他のいっさいは自らの手で勝ち取るべきもの』
『貴女はもしや……いえ。お心遣い感謝します。すべてが片付いた後でよければ、貴女の気鬱にお付き合いしますよ』
かくてアズルトはエフェナと師弟の契りを結んだ。
クトすら知らぬ真相、気まぐれの裏側である。
休暇の前半は専ら魔闘術を叩き込まれた。キャスパーが指摘した棒捌きの変化は、これに起因するところが大きい。
監視が外れた後半は、エフェナが手を入れた高難易度の迷宮を攻略する毎日。
守護者は彼女の完全な操り人形と化しており、どれもバランスなんて投げ捨てた馬鹿みたいな強さをしていて、それらを前に数日対策を練ることもざらだった。
そんな死力を尽くす日々とも、しばらくはお別れである。
「出番はなさそうだな」
アズルトの剣を横目で見るクトもまた、その手を自身の剣に掛けていた。
「あっても困る」
これらはただの剣ではない。似た物を挙げるならば、騎士以外の魔道士が術の行使の補助として用いる魔杖だろうか。けれど、似て非なるものだ。
魔剣とも少し違う。
この世界の魔剣はいささか特殊である。いわゆる魔法の武器とはまるで別物だ。
魔剣というのは、迷宮に放置された武具が長い時を濃密な瘴気に晒され、魔種としての形質を帯びたものを指して言う。
分かりやすい表現を使うならば、呪いの武器だ。
所有者の精神を蝕み、人界へと潜り込んで人を殺める。
個体差が大きいものの、人の精神を狂わせ破滅をもたらす点で凡そ共通している。そして、人に絶大な魔法の力を与える点でも。
アズルトらの剣にそんな厄介な形質はない。
より物騒な性質を持ち合わせてはいたが。
元々はアズルトらの宝珠が持たない魔力回収機構を、外部端末に代替させる用途で生み出された簡易の魔杖、すなわち魔術機関だった。
蓄積した魔力を自分たちの扱う術に流用すべく手が加えられ、迷宮に満ちる瘴気をも回収できるよう術式を弄り、対エフェナ用の魔装として投入された。
魔種の根源たる瘴気すらも糧にするアズルトらの戦技は、この魔杖ありきのものだ。
そしてエフェナの傀儡に対抗できた理由の多くもまた。
だが瘴気なんてものを貯め込んだのが悪かったのか、アズルトが原形を組んだその回収機構に問題があったのか、ある時を境に魔杖が魔術的に変質を始めた。
今現在、魔杖の根幹を為す魔術機関は各々の意思により異空間に封印されている。
ニザ2層の飽枝を凌駕する膨大な瘴気と、幾多の迷宮に巣食っていた魔種らの魔力、そして魔杖を構築する質量の大半と共に。
「無くても勝てるようになりたいな」
「ふたりなら半分の五百年か。随分と短くなった」
「ばかなのか?」
自分たちの持つ魔杖を、アズルトは人造迷宮の亜種と推定していた。
それは教会の定める禁忌に唾を吐くが如き代物であったが、そんな人道などふたりにとっては意識にも上らぬ、些末な問題でしかないのだった。
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