ニザ東域守座
2章の導入になります。
試験を終えたアズルトとクレアトゥールのふたりは、候補生の慣例に倣いソシアラ領都キノルで1泊した後、イファリス騎士養成学校へと帰参した。
ひと足先に戻っていたバッテシュメヘ教官に迎えられたふたりは、危険行為の指嗾と請求した諸経費の額により3日の間、反省室に放り込まれる。
そこでエフェナとの再会を果たしたアズルトは、改めて幾つかの約束を取り交わし、釈放されるとすぐさまクレアトゥールを連れて学園を出立、バルデンリンド領へと向かった。
バルデンリンド西部の城塞都市カーネンゲルにてバルデンリンド公爵ロドリックに謁見したアズルトは、条件付きではあるものの、教会によって禁足領域と定められるニザ瘴土帯において迷宮浄化へ参するの許可を得る。
かくてアズルトらは夏期休暇の自主遠征をニザ瘴土帯にて行うことと相成った。
同じ頃、ソシアラ侯爵ヴェルダーは東方諸侯に異例となる秋口の軍事演習を打診した。
この演習は規模こそ小さかったが兵役の浅い――すなわち新兵の派遣を求めるもので、割り当てられた兵数の多さに諸侯は、これが軍備の拡大を求める要請であることを悟るのだった。
それからひと月あまりが過ぎた青深4節のとある晩。
バルデンリンドの領都イアルベランの公爵邸、その書斎に5人の男の姿があった。
冷たい翠玉の双眸を眼鏡の下に隠す壮年の男は館の主ロドリック・オン・バルデンリンド。アーベンス王国の公爵位にある男だが、領内に在っては別の役を併せ持つ。教会が神の座と奉じる天盤から叙せられた官名を、ニザ東域守護と言う。ニザ東域守座バルデンリンドの座主である。
魔術機関たる魔杖を手に、被った頭巾から垂れる布で顔を隠した男は『凪』の魔導師アウヘンラカヤ。
腰に3本の魔剣を差した老年の男は『剣豪』エタ。
たっぷりと髭を生やした小柄な翁は外法の錬金術師モルトボ。
そして最後のひとり、無精髭のうだつが上がらない中年は天騎士パルオゥの弟子たるゾラフタ門派の筆頭騎士で、名をラツェンと言う。
いずれも丞天の号を冠する、バルデンリンドの魔道部門を代表する者ばかりだ。
先ごろ、アズルトとクレアトゥールは監督役のラツェンの指示により、ニザ瘴土帯第2層で飽枝の浄化を行った。
その結果を踏まえ、この場ではラツェンからふたりの観察報告が行われていた。
ラケルにおける迷宮とは本来、空間の特定の状態を示す語である。
端的に言ってしまえば、魔力にって生じる世界の歪みだ。
神代の知識を継承する天盤では今なおその意で用いられることが多いが、地上世界では付随する現象を以って迷宮を規定している。
迷宮はその成因故に瘴気を留めやすい空間である。加えて安定を欠いた空間である迷宮は、状態を固定するため楔を求める性質を持つ。
これらの特性が合わさり、魔種の巣窟としての側面を人々は迷宮として認識していくようになった。
元々は魔種とは無縁の現象であったため、迷宮の形態は多岐に渡る。
魔法により発展した都市などは放棄された後、迷宮化する傾向が強い。
大迷宮のひとつである死都ナトゥ・イーハは、古代の戦争で敗北し住人が虐殺された都市の成れの果てである。
人類の生存圏を脅かす迷宮であるが、魔術的には有益な環境であった。そのため人為的な迷宮というものが世には数多存在する。
迷宮を生み出す人間は得てしてその本来の意味を知っている者たちであり、管理されている迷宮に害はないと考える傾向にある。
だが如何に徹底した管理を施そうと迷宮には瘴気が集まる。その維持には浄化が不可欠であり、それを怠り瘴気の集積を許せば、その迷宮は強力な魔種を生む温床となる。
王級の魔種が現界し、元の主に成り代わり迷宮の支配者となる、というのは人の手によって生み出された迷宮のお決まりの結末だ。
迷宮は楔となる主を得ている間、その力と意に従い成長を続ける。
魔種が主である場合、その方向性は一様であり、やがて瘴気を集めるのではなく吐き出す大迷宮へと変じる。
ここまで拡大した迷宮は楔を持たずとも安定し、守護者を討ったとしても人類種の用いる魔術では迷宮それ自体を消滅させることが不可能となる。
そればかりか、大迷宮は周期的に大規模な魔禍――瘴気災害を引き起こす。
奈落門とはその際に迷宮深部に形成される瘴気の吹き出し口のことだ。これを放置すればやはり強大な魔種が現界し、人界に甚大な被害を招く。
そして瘴土帯とは、大迷宮が更なる変貌を遂げたものを言う。
その深層は宝珠による抗支限界を越えた濃度の瘴気で満ちる死の極域。並みの黒位では踏み入ることすら儘ならない。
ニザはそんな現世の獄界のひとつだった。
境治断崖なる魔造山脈により人界から隔絶されたニザは、その山脈結界すら浅層と称され、無位の騎士の立ち入りが禁じられる魔物の跋扈する土地。
内には数多の小迷宮を抱え、騎士は日々その浄化と封穴に命を削り続けている。
ニザ瘴土帯第2層は境治断崖を越えた先にある、赤位相当の魔道士しか立ち入りを認められぬ領域だ。
飽枝とは小迷宮に形成された更なる迷宮のことで、決まって各層の危険度の指標である上限瘴度に飽和した状態で確認されることからこの名で呼ばれる。
飽枝には危険な魔種が発生しやすく、第2層の通常編成が赤位の班であるところを、班を3つ集めて隊として浄化を試みる。ないしは、第3層を担う赤位の上級班を呼び戻すのが常だ。
アズルトとクレアトゥールが送り込まれたのはそういう現場であった。
「実力は、まあ見てもらった通りだ」
ラツェンが灯していた投映の混合魔術を消し去る。
「餓鬼どもは2層の飽枝を余力を残したまま制圧。糞虫は見つける端からひと捻り。多系統の術を慣れた様子で操り、飽枝の瘴度であっても減衰を見ない。見事なまでに瘴下戦闘に順応してやがる。確かに魔術の運用は小僧が老師の弟子であることを物語ってる。だがな、奴の術理は俺たちとはまるで違う。出奔した高弟も独自の術理を持っていたが、根は同じと分かるものだった。それが、なんだ。あれは別の術理で似た運用をしているだけだ。奴が門弟だって。馬鹿げている」
「半年で随分と意見が変わったものだの」
「あれを見て喜ぶのは気が早いぞ、モルトボ老。あの餓鬼どもは異質だ。高度な混合魔術の使い手。赤位は言うに及ばず黒位にすら、決して多くはない。奴らは魔導師か、違う。騎士だ。術を用いる側であり、作る側ではない。術の展開速度は見たか。丞天の騎士である俺でも差し込み方に悩むほどだ。使う術の階梯は高くないものの、それは必要がないからだろう。低階で高階を覆す技の妙。連携も巧みだ。娘の方は連鎖術式を実戦で使う。得物はどちらも錬成した魔杖。極めつけに奴らは、ニザの魔物をも屠る呪毒を用いる。これで同門など、どうして認められる。半年であまりの変貌ぶり、道理に合わん。力を得るは易くとも技を磨くは難い。師を得たと考える他なかろう」
「理解が足りておらん様だの。9号の宝珠は魔術機関が不完全なのだ。騎士として高度な魔術は扱えん。それを老師が騎士の形に最低限整えた。あれの師足り得るのは如何なる者だ。他の騎士に技を仕込むのとは訳が違うのだぞ。仮に居るとして、ニザ東域守座が影すら掴めていない。ムグラノ主教座も同様。はてさて、どう理由をつけるのかの」
「可能性を論じるなら封子の娘こそ怪しい。北の失敗作であるかの娘ならば、実験場でなにが仕込まれていようと驚くに値せん。サスケントとて同じだ。天魔の幼生を北の天位と潰し合せるなど、正気の沙汰ではない」
「北で幾度か同族の――成功例の天位を見た。あれらは斯くも道理を外れた魔道の徒ではない」
ラツェンとモルトボの論議にエタが静かに言葉を挟んだ。
「卿の言に寄るならば封子を育てた者が居る筈だ。だがソトゴニアの主教座にその基盤はなく、サスケントもまた然り。卿も約定を知る身だ、報告には目を通しておろう。魔力訓練が施されたのは確かなれど、技術的な指導の痕跡は認められず。サスケントの仕込みも魔力の基本的な扱いと肉弾戦の心得に留まり、魔術に触れてはおらん。儂がサスケントに出向いたのは1節あまりだが、この目を疑うか」
「まさか。エタ殿のことは信頼しておりますよ。ですがね、かの寺院はどうにも油断のならぬ相手。ムグラノの主教座にも増して警戒すべきでしょう」
「奴らに気を許さぬのは正解よの。しかしであればこそ、封子を相手に軽々な行動は起こすまいて」
「老は如何に考える。儂もどこぞの教座が天位を送り込んだのではと疑っておるが、条件を満たす者には心当たりがない」
「芽吹いたとは思わんのか」
「心にもあらぬことを抜かすな。妄想ならば弟子を前に垂れるが良いわ」
侃々諤々。されど堂々巡りに陥った三者の論議は、割り込まれたただひとつの拍子によって静寂へと置き換わる。
それまで黙していたロドリックがゆっくりと口を開いた。
「各人の考えは承知した。肝要なのはあれが使えるかどうかだ。師がいようと何処の誰であろうと、そんなものは些末な違いに過ぎない。卿らには、追って命あるまであれらに近づくことを禁じる。だが事とあらばその師ごと始末する手立てだけは整えておけ。天位に至るとなれば老師も動く。そちらの警戒も忘れるな」
「サスケントとの約定があるとは言え、封子をこのまま放置して良いのか。堕天する頃には老師に匹敵する脅威となっていよう。帝国の天位で片が付くか怪しいものだ。余波で老師までもが堕天すればニザ東域も共倒れとなろう」
エタの懸念を、ロドリックは小さく手を払う仕草で否定する。
「そのためのヤークトーナだ。あれらの実力が伯仲している間は静観に努める。良いな?」
「御意」「御意に」「御心のままに」
そうして3人の臣下は辞し、執務室にはロドリックとその魔術的な護衛であるアウヘンラカヤだけが残った。
「……座主、お聞きしても」
青年の声が響く。
「なんだ」
「例の件を何故お伏せになられたのですか」
「あれが封子を術の研鑽に使っていると? 伝えたところでどうなるものでもない。あの者たちはその道の大家。否定の言葉こそあれ、肯定の言葉を持ち合わせている筈もない。多忙な彼らを集めてまで決まりきった話をするのは惜しい。さりとて経緯を語れば彼らはあれらの処分を求める」
「経緯、ですか」
「9号は師に劣らぬ異才だ。騎士としての話をしているのではない、導師として、あれは実に見所がある。バッテシュメヘが生徒から4人、黒位候補を示した話はしたな」
「此度のふたりの記されたものであれば、確かに伺っております」
「それとは別に4人、あれは組から自らの手で黒位を作ると宣言している。自身も至っていない位格に、独力では達し得ぬ者たちをすると」
ロドリックが抽斗から1通の封書を取り机上に置いた。
「見てみるといい、先の試験の経過報告だ」
「では失礼して」
「そのまま育てばひとりは、確実に黒位に届く。長い目で見れば更に数が増えることだろう。これを為す人間が自らを黒位に至らせる手立てを講じぬと」
「私めにも座主のお心が分かりました」
「それを口にするのはまだ早いな。先の宣言に沿えて、あれは封子の扱いを一任することを求めてきた」
「なんとも不遜な輩です」
「確かに不遜だ。思えばカーネンゲルで呼び付けた時も、あれはお前の同席を拒んだな。しかしその判断を誤りとも言うのも難しい。“一連の行動は結果を意識してのものではない。4組には傑出した候補生がふたりいるが、それを除けば総合力は他の組に劣る。合同演習に併せて行われる組対抗試合で彼らの個人戦力に頼らず勝つには、夏期休暇前のこの時期から準備する必要がある”そうした趣旨の報告があの場では為された」
「香を用いてまで魔物を集めたのはまさか……」
「気づいたようだな。あれは宝珠が如何なる物か理解している。己の宝珠にその仕組みがないにもかかわらず。では、どこから得た」
「――封子」
憮然とした様子がその声からは伝わる。
「そういうことだ。アウヘルの危惧は承知している。しかし皆に述べた通り成果を出しているうちは好きにさせる。処分する時にはあれのヤークトーナを使うことになるだろう。当人も了承している」
「丞天の者たちの慮外を行く異端です。老師の後継にとお考えなのでは」
「アウヘル。あれが封子を調伏すると言うのであれば、それは一興とは思わんか。我々には力が要る。平穏な時代が長く続き過ぎた。不可侵であった教会の権威に陰りが見え始めている。帝国は武力によって主教座を掌中に収めた。奴らは力を欲しているが、その矛先にあるのは同じ人だ。加えて昨今はムグラノでも不穏な動きが絶えない。さてどうしたものか」
ロドリックの瞳に迷いは見えない。
けれどアウヘンラカヤは、求められるまま意見を口にした。
「アメノの臨界にニザ東域守座は関与せぬのがよろしいかと。先例に倣うならば今年の託宣でこの件は公表され、2年の後にムグラノ主教座の用意した駒が、緩めた封印の更新を行う筈です。イファリスはアメノの支援に動くでしょう。あのふたりも戦線に投入されます。守座から戦力を送らずとも事足りる。然らばここは兵を西へと移し、ニザの大事を装うべきです。バルデンリンドが動けぬと知った諸国諸侯がどう出るか、それで見極めては如何でしょう」
「諸国諸侯に留まりはすまい。宮中は未だ火種が燻る。目を離せば縛り付けていた奸臣どもがこれ幸いと動き出すだろう」
「リズベット様は老いた国と心中させるには惜しい方であると、臣下一同胸を痛めております。王権は軽んじられ、手を尽くしたところでわずかな延命が叶うばかり。破綻はここ300年の世情を見るに避け得ぬ流れでありましょう。されば新たな国主に傅くのが先100年の平安に繋がると、小生は愚考する次第で御座います」
「地に根差す臣らとは言うことが違うな。天盤から連れて来た甲斐があると言うものだ。世に士あらざればこれを如何に」
「要に迫られた時、人は起たずにはいられません。此度の臨界は好機かと」
「弱体の王に騎士、頭を垂れる能わず――か」
「ユーグ殿下で御座いましょうか」
「未だ世子を定めぬ暗愚な王だ。二公から救ってやった意も解さない。イファリスでの話は耳にしているだろう。バルデンリンドの名も地に堕ちたものだ。これも歴代の座主が政を下界の者らに任せたしわ寄せか……。よかろう。領軍をニザ境塞に移す」
かくてバルデンリンドはアーベンス王国を巡る騒乱の陰へと身を潜め、歴史は敷かれたレールを辿って進んでいくのであった。
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